👇「なな・つ」「ここの・つ」なのか、「名乃つ」「粉粉乃つ」「来来乃つ」なのか
(発音を単純化して表にした。)
上の数のロジックを踏まえて、色のロジックを考えてみると。
和色の4原色は(白/黒)(青/赤)と謂われている。
(1)すべての言語には白と黒がある
(2)色名が3つあるなら、その言語には赤がある。
(3)色名が4つあるなら、緑か黄色がある。
(4)色名が5つあるなら、緑と黄色の双方がある。
(5)色名が6つあるなら、青がある。
(6)色名が8つかそれ以上あるなら、紫、ピンク、オレンジ、灰色、あるいはそれらを組み合わせた色名のいずれかがある。(筆者訳)
上のBerlin&Kay(1969)の報告の味噌は、白と黒が「最初」とは言っていないことだ。「在る」ならよい。
そうすると実は基色の(pui色/kui色)に補色の(apui色/akui色)を加えた4色であると想像できる。そうすると、
一)pui(y)i ~ s iro ~ s iri
日 白 尻
九)kui(y)i ~ kuro ~ kuri
黄 黒 涅
白/しろ - 語源由来辞典
黒/くろ - 語源由来辞典
ここで、補色にあらためて着目すると、
灰汁色(あくいろ)とは?:伝統色のいろは
黄↔黒の曖昧さ、「白」の抽象さ(そもそも現代的な意味での「白」が存在しえたか。黄の持つ汎用性の高さから:黄→白、黄→黒の同時に可能:白←黄→黒:黄の度合いとしての白/黒、黄が「色」としては避けられた理由に考えられる。)
木綿 (ゆう) - Wikipedia
日本の塩づくりの歴史 | 塩のつくり方 | 塩百科 | 公益財団法人塩事業センター
p行とw行の曖昧さから考える、補語( a / ə )の分別化である(apui色/akui色)。
そして「あふい」には、「葵(日)」や「仰」があるのである。
つまり、黄の増減として白黒の系(基色系)と別に白黒の系(補色系)があったのではないか。
しかし古代においてこれは、現在の青色・緑色・紫色・灰色のような非常に広い範囲の色を総称して(漠色)用いられていたと考えられている
答えが出たのではないだろうか。もちろん、これは青を「青」として理解する以前にそれをもたらす系統の話であるから、『青色・緑色・紫色・灰色』のうち、『青色・緑色』は結果として現れる色であるから消えて、『紫色・灰色』のうち、基色系の黄を含む灰汁色は消すとしたら、残るのは紫(青系の灰)である。
ならば、白←黄→黒と同様に、赤←紫→青(緑)
赤は太古より血や火の色などと関連させられ、人を高揚させる色として多くの人間に認識されていた
緑の光源は、色合いとしては日常的に目にする緑色よりも明るく鮮やかに感じられる。
結局は、黄を中心に白黒系と緑赤系に分岐したか、黄/紫を中心に白黒系と青赤系に分岐したかのいずれかではないかと思う。日(1日の光の移り変わり)から考えると、緑を考えにくいが、「あお」と言えば多くは緑を指してきた歴史とどう折り合いをつけるか。
ここらへんの曖昧さが古代人が実はロジカルに考えていたのではないかと思わせる点で、実物から類推していたら折り合いがつけにくいのだ。
結論としては、Berlin&Kay(1969)の報告から言えば、(6)が基本設計(白、黒、赤、緑、黄、青)でただし、識別符号は4つ(色)である(黄はパラメータとして隠れ、「青」表示と「緑」表示は区別されない)。
👆 白 →(黄:灰 akui)→ 赤(aka)→ 黒 → 緑(ap(w)ə)→ 青(葵/灰 apui)→ 白
の並びにするつもりが
👇半分採用します。
「尻(しり)」の語源 | 日本語の意外な歴史
古語の「しりくめなわ」は、尻(端)を切らないで垂らしておく縄の意。
大君の命かしこみ青雲(あをくむ)の棚(との)引く山を越よて来ぬ加牟(カム)
青雲(あをくも)のたなびくきはみ、白雲のおりゐ向伏(むかぶ)す限り
「青」は灰色も表現していたので、灰汁色との対と考えても違和感なさそうだ。
つまり、日光について、朝夜ばかり考えていたが、なるほど天気もそうである。
「しりくめなわ」は「一り九め縄」「白黒縄」ではないのだね?
紙垂 - Wikipedia
木綿 (ゆう) - Wikipedia
幣帛 - Wikipedia
「紙垂」については「し」、木綿については「ゆ」
ここから分岐して、「夕」「夜」「明け」「朝」「東雲」「昼」などが生まれたのではないか。「太陽信仰(思想)」はやはり発話のロジックの後だろうと思う。
こうして、色には「S(行)」があり、数には「M(行)」があることがわかり、和語の論理的示唆と論理的包含は「色」と「数」のロジックがおそらく元祖で在り、ともに「 p k(一九)」を構成していたのではないかと思う。「陰陽」はその後だろう。
{ p・k }{s・j }{ m・t }{ w・r }が関連付けられるだろうか?
いやもともと👇を考えていたら、「色」になっただけである。
「名前」「姓名」「氏名」
「さつき」と言えば5月であるが、5つと言えば「いつつ」である。それが「稍手つ」もしくは「稍つ手」の「稍」を「稚」と考えると、対となるのは「大」である。「yaya」の対が「oto」即ち〈j-aa〉と或いは〈t-(ə)ə〉で「とと」なら父(t-(y)ui(y)ui)である。4(y-ə)と8(y-a)もそうであるが、1(p-(y)ui)と2(p-(y)u)から反転する感を受けるが気のせいかもしれない。そういえば「初」は「うい」である。
そう考えると、母音の 基 iu /補 aə /混 eo の順序と同じように、子音の、pk / jt /…などの、順序もあって、数は符号化されたのかもしれない。その際、数の符号化の前段に色の符号化があったと考えると考えやすい。それは時の符号化と pk から tk である。
春夏秋冬の「春」は遡ると、paru ~ pa(y)u :po で、その対は「い(な)ほ」である。
季節も色と同じように4分されてる。春はいつから「はる」なのだろう?
(m(≠)ui → na もしくは、m(≠)a → na )
中国から伝来したのだろうか?
※万葉(8C後)五・八一五「正月(むつき)たち波流(ハル)の来たらばかくしこそ梅を招(を)きつつ楽しき終(を)へめ」
正月は〈p-(y)ui〉月だったところ、p が剥落して後、宜(うべ)に m が付与されて宜/郁子(むべ)になったように、m が付与されたのだろうか?一方で、白色と同じように、s 化して〈s-(y)ua〉月になったのだろうか?
稍/漸(やや)の意味 - goo国語辞書
やや | 言葉 | 漢字ペディア
漸 | 漢字一字 | 漢字ペディア
御中(おなか)の意味 - goo国語辞書
p/sがセットであった可能性があるが、歯にしろ腹にしろpが前で、sが後ろだったところ、正面/背面では逆になるのはなぜか。
いずれにしても、sと n の結合で表示されているのはロジカルであると思う。
これが m だと、「ひめ」と「きみ」だろう。
「ひみこ」なんてのはなかなか洒落た名前で、「一三九」である。
アレクサでさえ「一二三」である。
そういえば、春夏秋冬は、春が最初だからこんがらがる。
そういえば、高校の頃にも、春が最初は本当は「変」と習った気がする。
秋が〈k a-ui〉の「kの直前(の区間)」を表して、その次はまた、pい戻るはずであるから、冬が〈p-( j )ui〉+〈ju〉が最初(一由)である。
その次が、〈p-( j) u〉+〈ru〉たる春(波流)で、その次が問題が。
「ひ」「ふ」ときたら、「み」と行きたいが、何しろ4月にはまだ実になっていない。ムカシのことだから、一応灌漑整備した沼地に種を直播しただろうか。
なら、pの打消しかmの打消しとなる。すなわち、「ば」「まだ」「な」に、経過でもないので、到着の「つ(着)」を添加して、「ばつ」「まだつ」「なつ」が候補である。そう考えると、確かに「ん」は空海が輸入したが、実(数)の対としての概念(数):虚(数)としての n は既に使用していたと考えて差し支えないのではなかろうか。それが「7(つ)」であり「夏」である。
ただ、これは非問のようで、なにしろ「一三九(ひみこ)」の次の王が「五(いと)」もしくは「十(とよ)」である。
漢字などはどうせ当て字なので別に気にしないが、「いと」ならば y ではなく t ではないかと思うし、「とよ」ならば、y は消失音でなかったかと思う。また、「十(とよ)」が「正しい」とするのは「正しすぎる」という気がしないではない。つまり、後世の帳尻:物語合わせのような。
漢文【5分でわかる】返読文字「与」はこれで完璧 | ViCOLLA Magazine
壱与とは - コトバンク
台与 - Wikipedia
なにしろ、「とよ」の息子は「ににぎ」である。ようやく「7(なな)」らしきものが出て来る。
「7」で「9の打消し」の運命を担った男は、やがて「日向」の「熊襲」に至るのであった。
なるほど、p,k,s の関係が垣間見られるか。
「一三九(ひみこ)」の次が「五(いと)」で、その息子の「七(ににぎ)」が生んだのが(日が一巡して)「火(ほすせり)」もしくは「穂」らしい。
何、自分の独創というほどのことはない。
夏目漱石と正岡子規のハナシでも、九州から火を調達してくる神話の不思議については語られている。
どうもここで、語彙の乏しかった和語のロジックは尽きて、もっぱら外来思想に頼ることに成っただろう。
名の伝統がどうだとか意味不明で、まったく無駄ななことを言い募るのであれば、古来もっとも完成度が高く、エレガントな名であった「一三九」からクライマックスとなる「7」くらいを語って欲しいものである。
「7」以降は、外来思想であると思う。
近代戸籍制度は近代社会に適合するように積み上げられた制度であるにすぎず、それ以上の意味を探っても無駄である。