ゼロとシロとウツロ

ゼロは「シューニャ」( サンスクリット語: शून्य, śūnya。うつろな)と呼ばれた。

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「シューニャ」は同じs系の「ゼロ」とn系の「ナル(ノート)」に分かれたけれど。

興味深いことに、「シロ」も「ヌノ」という媒体を持つ。「ヌノ」の「ヌ」は「7」だ。そしてそれは「ナナメ(斜)」であり、もっと高級な「キヌ」になると「ハク( )」である。

色のロジックを為すのは、対と順序である。
〈pui:日(黄※)〉を濃くすると〈kui:黄(黒)〉であり、薄くすると白であるが、白は概念であって、「より白い」という方向性でしかない。そして色ロジックの対は順序を持つ2対によって、〈pui:日(黄)〉を濃くすると〈a-kui:灰〉を経由して〈a-ka:赤※〉、より濃いのが〈kui:黄(黒)〉であり、反対に〈pui:日(黄)〉を薄めると、〈a-pui:灰〉を経由して〈a-pə:緑 〉、より薄いのが〈sui:白〉である。

※後代、ko(黄)として(あらためて)異なる扱いとなっただろう。
※血液は血球と血漿からなるが、赤血球が赤色、白血球、血小板が白色らしいが、ただし血小板製剤は黄色であり、また血液から血清がとれ、黄味がかった色であるらしい。

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赤血球 - Wikipedia
ヘモグロビン - Wikipedia
血小板 - Wikipedia
白血球 - Wikipedia
薬局新聞2014年7月号「血栓の薬」(白色血栓/赤色血栓)

 

つまり、もともとは黄味がかった色であったが、それでは敢えて純粋な「白」を考えるとどうなっただろう。
それは「ない」ではないだろう

実のない虚ろな色であり、しかし、示す意図だけある、「白」が(概念上)誕生しなかっただろうか。

それが「シューニャ」だとすると、あるいは「シ(ロ)」であり、あるいは「ヌ(ノ)」であったと考えられて都合がよいのである。

「ゼロ」は5世紀の文献上に発見されただろうか。
日本の色が最初4色であったとわかったのはいつの文献によるものだろう。
卑弥呼は3世紀の人物であるが、魏志倭人伝に何かかいてあっただろうか。
古事記は8世紀(712年)である。 

大和言葉(やまとことば)に潜んでいた外来語、見抜けなかったトリック | 日本語の意外な歴史
 消された語頭の濁音、昔の日本語のタブー | 日本語の意外な歴史 

さすがなるほどと思うが。「てふてふ(蝶々)」が「てぃえっぷてぃえっぷ」である一方で、実はベトナムでは「でぃえっぷでぃえっぷ/でふでふ」であると検索したことがある(中国語には発見できず、「てふてふ」は中国由来と考えられているかもしれないが、むしろベトナムではないかと思うに至った)。時代によって異なるかもしれないが、語頭濁音のタブーがどの程度の制限であったか。
また、数を考えるには「いくつ」であり、近接性が感じられる(ただし、一乃至九の打消しとして、「びくつ」であったところ、語頭濁音のタブーにより「いくつ」となったのかもしれない。つまり、「いく(行、幾)」は、(漢字でないが)「左右」「高低」のような対義語の並列構造を為していた〈pk〉(一九)の変形(濁音による打消し後の語頭消失)でないかと思う次第である。或いは、「いつ(5)」と同じような「いく」だっただろうか?そういえば、「いつ」には何時を問う場合もある。
「7」と「9」がペアであると思うが、それでも、「ななつ」が「なのつ」で、「ここのつ」が或いは「ここなつ」であっても、「9」が強調されていることがわかると思う。「虚ろ」な数である「7」とペアになってなお不思議な数であり、現代ならさしづめ、色と数がごっちゃになるが、敢えて言うと(つまり、「数体系」が十分に理解されない世界に於いて、数/色を明確に分けて理解する必要があるのか。そこにあるのは意味ではなく、ロジックである)

 {}負の極限として、正向:し)から1(基数:ひ)を形成して
 ℐ(虚数:な)を含みつつ ∞(ここ)に至る、対と順序を通じて、
 〈0/1/ℐ/ ∞ 〉すなわち〈0/1/7/9〉の世界観を形成した

のであり(「シューニャ」のうち、「し」が「0」として正のベクトルの根源を、「な」が規則で表現できない虚数を)、数の増え過ぎた現代は「7」を「素数」と呼んでひとまとまりにしているが※、このころは、対と順序による「1/ 9」と「7/9」の交錯があって「10」となる不思議な体系を持っていた。「10つ」という数え方が完全に否定できるなら、これは繰り越しである。
※このころは約数を完全に理解していなかったとしても、対となる数の構成と変化を以て表現して、すなわち4→8では補音を割り当てたうえでいきなり反転して、何かしらの理解があったことを伺わせるし、ひょっとして卑弥呼が完全な王としての「一三九」であるならば3の倍数も理解されていて、古代数学の完成がここにあり※、子の「五(いと)」の子「7(なな・ぎ)」が〈pui〉の向かう(日向)「9(くまそ)」によって〈pui〉(火)を得るのは、在る確固とした世界観を持った建国神話である。「五(いと)」が「十(とよ)」であると後が続かず残念である。
※数学の源流に(数詩から)「読解(意味)」、(簿記から)「表解(公平)」、(幾何から)「図解(開閉)」、(占いから)「盤解(巡回)」の4つがあると勝手に思っているが、縄文人の作った土偶に刻まれた印には規則性があって、10進数を理解していたのではないかとも言われている。弥生人も10進数を理解していたのではないかと言われ最近の発見もそれを裏付けることが期待されているが、こちらの方は、4源流で言えば、簿記的な意味合いが強いように思う。つまり、縄文人の10進数は「盤解」で、弥生人の10進数は「表解」であるように思う。

熟語 (漢字) - Wikipedia

ともあれ、ここにも、〈p〉〈k〉〈s〉の関係があった。「殺」から「ひ(この場合、魂)」を抜いてゆくと「死」である。或いは「苦」かもしれないがいずれにしても〈k〉(の変化)である。

 

「せ」が実は「そ」であり、後ろを意味するこの語がベトナムから来たのはわかった。
「そへ(後方)」ならば、対義語は「まへ(目方:前)」であり、
「そむく(そ向く:背く)」ならば、対義語は「おもむく(面向く)」であり、
「そる(反る)」ならば、対義語は「かがむ・くむ(屈む)」で、上代では「隠る」である。ほかに「めづ(愛づ)」という言葉もある。

こうなると、「かが(む)」と「くく(む)」乃至「く(む)」に近づく。

👇大学の講義内容なのだろうか。それからこの方が想像したことだろうか。

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「アガフイ」から「アガム」を導いている。(彼方から貴方となったように)「かがむ」から k が剥落したとは考えられないだろうか?そうすると、「くむ(雲)」も〈a-クム〉との順序関係からその対象となり、「汲む」からでなく考えられて楽なのであるが。

粋とは - コトバンク

「スイ」は江戸時代のハナシらしいが、古代「シ」は「スイ」だったのであり、〈kui〉から〈pui〉をより抜き、より抜き、より抜き・・・・すると、〈sui〉になったと考えられたら、まことに都合がよいのであった。


そろそろ終わりが近いようである。これ以上考えても文献にそれがなければ意味がないからである。

「0」を理解できなかったのは、むしろ、ギリシャ人の勝手である。
「0」という感慨、、は意外に簡単に辿り着く。なかったのは、或る算術による数体系の方である。

実は「無」の方がよほど難しい。