春はあけぼの、厭離穢土

 

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春は「あけぼの」ではなく、大区切り〈kui・ku〉/小区切り〈ju/ru/tu〉を置いた循環を企図した片変則ペアの「由(ju)」をまたがった2番目の区間に過ぎない。

なにしろ、現代のような基数/序数ではなく、対とその順序の世界観であるから、ややこしい。
〈pui→pu・yu〉の次の〈pu→pa・ru〉である。
第1期、第2期、第3期、第4期の決算公告というわけにはゆかない。次は「7」であり最後が「9」である。なにしろ、ケツの「9」が決まっているのだから、第3期は「7」であった方が良い。
これを「末広がりな8」と言ってしまうと、「4」になってしまう。奇数が望ましいのだ。

そう考えると、「春はあけぼの」は、正月思想に連なる革新思想である。だから〈は〉という示唆が使われるのだろうか。偉そうである。

「春」は在来というか前上代では「昼」ほどの意味しかなく、中途であったような気がする。上代は画期的な時代だったようだ。

日本民俗学と古典文学 『枕草子』の中の仏教 | IRDB

どうも中原思想、仏教思想、近代思想が何かを根本的に変えてしまったらしい
「きく」の世界観は、「あ(う)ん」の世界観に変更され、同じように〈pui〉を巡るのであるが「19(pk)」の記号的世界観が、記紀神話を経て※、「010(あけつと;日火※)」の意味的世界観に変わっている。どうも、刻んで表していものが、記して説明するようになったようだ。
※(甲骨文字、金文、篆文の違いがあるが)日は▢の中に点もしくは上下線を置いたカタチ、白は日に点がひとつに見えて実は△の中に点もしくは上下線を置いたカタチ、火は人に点がふたつのように見えて実は△がみっつ(満つ、たくさん)だが(要は、日/白/火は、▢/△/△△△)、これはいずれにしても漢字であって、清少納言はこの思想上の系譜にあっただろうか。複雑な記号が単純な図形に置き換わった代わりに補助説明が多くなった。

「日」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
「白」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
「火」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

蚊帳の隅 一つはずして 月見かな

「四角で三角で丸い句?」

江戸時代になると、丸いのはお月さんになっている。

👇「夙(つと)」と「苞(つと)」
つとめてとは - コトバンク
つと(土産)とは - コトバンク

天照大神はいつから偉くなったのか。中原的(漢字)世界観の中心である
高天原 - Wikipedia
女性という確証もない。
天照大神 - Wikipedia

したがって、日本の文化的説明は、それがなにであれほぼ外来思想である。
在来のものは、土偶と矢じりの世界観であっただろうか?

東アジアと縄文時代

enokidoblog.net

昼間が「偉く」なったのは、中原思想や稲による耕作が始まって以降だろうと思う。それまでの狩猟採集時代に昼を「特権化」する必要がない。夜は夜で豊穣だったからだ。

市原市埋蔵文化財調査センター 研究ノート22