Dなんちゃらって言う水のジャーゴンを言って喜んでいるのがいるのか。
「水に汚染される」と、仮に或る専門家が言うことは在っても、「川に水を発見する」なんて日本語はレトリック以外でありません。
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「川に水を発見する」
「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」
の類似性
『アレバ』はアラバの間違いではないかと指摘されることはよくあり、自分も小学生のころだったか中学生のころだったか指摘して窘められたことがある。
要は、『一旦』の意味で、ここに『発見』と同じ意味を見て指摘するのであるが、そうではない、ということらしい。
初日の出を拝むのは、その1回性と新規性を愛でる気持ちからまさに「おめでとうございます」となるのであるが、それは時間の観念以上の時刻への動機付けで当って、主体的な態度から来るのであると思う。c.f.能動的/主体的/自主的
むしろ、一旦には日常的な意味があって、黄道下に地球があっても太陽の運行は変わらないのであって、見え方が変化するのに過ぎない。その見え方の変化を以て「主体的」とは言わない。
一方で、「川」を構成するのは水であるから、水が流れるのに新規性はないが、物珍しいという意味での新奇性がないかというと、水の流れていない川も存在して、川は水と水の流れる道の総称ということになっている。これは経験的であって、回数として刻み込まれる記憶に由来するから、そういった様式を持つ総て(統べて)ということらしい。だから、一般的に『発見する』などはただの形容矛盾であるが、驚きを以てそれを眺めることは在り得る。そのような個別の物語の話法であって、文脈に依存する。
ただ、物語にも「我々」の共通の物語はあって、例えば「常在戦場」と云えば越後の長岡藩牧野家の教訓(家訓)であるが、語り継がれ共有されてきた言葉である。
「寄らば大樹の陰」とは言うが、「寄れば大樹の陰」とは言わない。ただし、「大樹」が一般的な意味なのか、将軍の唐名である(がゆえに儒教、左氏春秋の影響下にある)のか、(「陰」とともに)仏教用語なのかは、知らない。
【実在を基礎づける規範(抽象化)意識の発達の周辺ー小室直樹にことよせて】
教育ニ関スル勅語 - Wikipedia
☆北前船貿易と国際貿易ー抜け荷の二重規範 c.f.赤穂事件の規範力
☆網野歴史学における、貨幣(シンボル)流通(自由)における寺社の規範的役割
☆喧嘩両成敗法による公訴裁判権の芽生え
☆出島における裁判記録の物語ること
☆(農民)一揆の考証の変化