「荒ららげる」にあって「荒げる」にはないニュアンス(『高慢と偏見』)

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#PrideandPrejudice #高慢と偏見 692

Mr. Bennet made no answer.
“Do you not want to know who has taken it?” cried his wife impatiently.

ベネット氏は返事をしなかった。 「誰が借りたのか知りたくないの?」と妻はイライラして声を荒げた。

(上掲、以下『原書』)

 一行目"Mr. Bennet made no answer."のニュアンスについて

*I have no answer.
This is not commonly used." I don't have an answer" is used. It mostly used when you make a decision.


【I have no answer.】 と 【I have no idea.】 はどう違いますか? | HiNative

“make a decision“のニュアンスが含まれるかはよくわからず、don't answerと何一つ変わらないかもしれないが、そう考えるもうひとつの興味深い言葉へ繋がる。

#PrideandPrejudice #高慢と偏見 693

“You want to tell me, and I have no objection to hearing it.”
This was invitation enough.

「言いたいんだろう、聞くしかないじゃないか」
これで充分だった。

(『原書』)

“ I have no objection “が

"Objection!" "Sustained." : 「異議あり!」「異議を認めます」◆法廷で


objectionの意味・使い方・読み方|英辞郎 on the WEB

 を思い出させるのだ。 

Caution: Be prepared to laugh until you cry!
裁判所員は、どうして真面目な顔でいられるのか?
How Do Court Reporters Keep Straight Faces?

 

抱腹絶倒 法廷小話inUSA

生真面目な人からすると、ふざけたハナシかもしれない。
或いは、浮ついた泡のようなハナシである。どうも「面白くない」と言われる理由はそこではないか。内容の「軽さ」という意味では清少納言を思い出し(お堅い紫式部からは腐された。ここで「お堅い」とは漢籍に精通しているかどうかである。)、語り口調の「軽妙さ」では井上ひさしを思い出す。 
いや、嘘である。よく知らない。

さて、“Do you not want to know who has taken it?” cried his wife impatiently.“の“cry“である。法廷小話では“laugh until you cry“なのであるから、laugh と cry は連続的である。
laughを考察した文学と言えば、ベルグソンではなく、 

であって、これは、フランソワーズ・サガンが、子どもに作った笑い話である。そのせいか、笑いの効用、或いはすばらしさについて語っている。要は、内から起こる爆発なのだ。そういえば、この物語でも笑っているうちになぜか泣き出したのであったか、よく覚えていないが。そうなると、「泣く」ことの語彙、意義論になってしまうので、ここでは避ける。単なる音として考えた場合、cry とはどんな音なのか。
以前、『内村プロデュース』で、ふかわりょうさんがお得意のギャグである「ティン」の使い方を内村さんに問われて、「程度」で説明していた。もちろんこれはフリに対応するボケなのでオチがあるのだが、エスカレーション方式に最後は「爆発」するのであった。「ドレミファ」と音程が上がってゆき、最後は声が出なくなるのだが、顔面が引きつっているのだ。こういうネタは定番らしく、『オードリーのオールナイトニッポン』でも、若林が夜中に「へいたく」ことHEY!たくちゃん(物まね芸人であり、ラーメン屋店主。『2019年、ニューヨーク最大のラーメン世界大会にて歴代最大評価1371票を得て優勝』するなど数々のコンテストで好成績を残すがセコイことをして失格にもなっている苦労人であるらしい。HEY!たくちゃん - Wikipedia

www.nyseikatsu.com

に電話をかけ、シチュエーションコメディーの状況を設定して決め台詞(一言のみ)を物まねをさせるのだが、テンションの低かった調子が三段落ちで最後は声にならない声まで上がった瞬間に「ガチャン」と切って大笑いするのである。これも「爆発」の比喩だろう。

すなわち、“cry“を日本語で言うと「大声」であるが、むしろ「強勢」であるだろうと思うのである。そうすると「まくし立てる」だろうか。ただ、これは喋る様態のことなので、ニュアンスがずれる。

実はこのアイデアが思い浮かぶ前は「が鳴る(が鳴り立てる)」「金切声」「喚く」くらいを考えていた。cry の語源を探してもネット上に見当たらないが、発生的にオトノマペであったなら、「が鳴る」が近いような気がする。要は、「ガーガーと鳴る」ことである。

『ブレイクスルー音系』だと思えば「なるほど」と思い、この本で触れられているかは存じ上げないが、或いは排便的な快楽と思えば、「クソリプ」の快楽であるだろうか。子どもはとにかく「うんこ」が好きである。。。と幼児性を発揮してみる。 

たぶん、違う。「金切声」だとcryの持つ広範なニュアンスを捉えきれないし、どうにも下品である。

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実は「喚く」が本来一番近いニュアンスではないかと思わないではない。困ったときの聖書を見ても、「遠くに声を届ける」意味があり、そこには「苦しみ」や「切実さ」がある。「喚く」はお産のときの声であるが、男性が出産の立ち合いをするとき、その根源的な姿に感動出来たらその後も夫婦円満で、恐怖を覚えたら夫婦仲が微妙になるらしい。夫の「冷めた」というのはおそらく言い訳で、弱い狩られる立場に置かれて動物的な恐怖を覚えたのが正解であると思う。要は単純に尾っぽを巻いて逃げるのである。 

まぁ、それはよいとして、「尻に敷かれている」のに間違いはないが、そこまで壮絶なハナシでない。
ただ、それは威嚇であって、怒気を含んでいることには気づけた。そうすると、「喚く」ではフォーカスが曖昧になる。
では、「しゃなりしゃなり」の反対ではないか。これなど衣ずれの音かと思ったが、「しょなりしょなり」であって、「修那羅修那羅(しゅならしゅなら)」であるが、修那羅峠を地元では「しょならとおげ」と読むらしい。もとは「須那羅」だったらしく、なるほど、

籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母


雄略天皇 - Wikipedia

は本邦の元祖ナンパ師雄略天皇の、路上におけるキャッチのコールだが(丘で作業中に声をかけたとなると、さすがに違和感がある。精勤中に声をかけたというよりも、「下校中」に声をかけた方という方がソレっぽくないだろうか。)、「須」は音である。ちなみに、大分ムカシのハナシで申し訳ないが、「麻布」の連中のナンパはコレだったみたいでどうにも女子ウケが悪かったらしい。ただ、さすがにこの場合は、どうだろう。聞いてみないとわからない。
何が言いたかったか。

「修那羅」(しゅなら)は梵語で石を意味する「アシュナ」 (ashu-na) の略音「シュナ」と、チベット語で峠を意味する「ラ」との合成語であり、「石峠」を意味する[8]。

「音だった」と言いたかったのであった。ただし、当て字は当て字であっても、原語に対する当て字であった。そういう音を立てた振舞いのことではない。 

なるほど、cryの状況をよく知ってはいるが、それを訳語で表すのは難しい。
むしろ、空羅威でよい加減である。

「空」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
「羅」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
「威」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

でもまぁ、本当は、「荒ららげた」でよいと思っています。

resemom.jp

ら抜き言葉だから、ニュアンスも抜けてしまったのではないだろうか、と思わないではない。別によいけれど。
そうすると、この抜けた「ら」が、「受身」なのか「可能」なのか、気になるところで、「受身」なら、妻が荒らげた声を「受ける」夫の気持ちを、作者が代弁しているような印象を持たせかねない。何かしらを傍から活写している語にありながら、(自身のこととして)入り込んでしまっている。金田一先生の説明だったか、「ら抜き」の効率性に「受動態」表現の進展にともなう役割分担があったと記憶しているが、ということは、反対に「ら入り」は曖昧な、「矛盾」した表現なのだ。ここで「矛盾」とは、前提が排除されない状態のことで、要は、選択肢のいずれかに明証的に決定する前のことでる。そういった分別不能な曖昧さが「ら入り」にはある。
もし、cryの語感もそのようなものであったなら、『ピーターラビットのおはなし』を思い出しても(話中のお母さんうさぎと話者であるビクトリアス・ポターの境界が曖昧である。)、なるほど、自由間接話法の嚆矢であったときれいに収まるハナシであった。
ただ、cryなんてよく使用される語なので、それはこじつけだろう。

はて、「こじつける」の「こじ」とは漢字ではどうなるのだろう。故事とか故実が原義で有力らしい。一方「こじあける」だと「抉じ」らしい。「抉る」である。

2 ひねくれた言い方をしたり、抗議したりする。

「小母につけつけ—・られていたりするところが」〈三重吉・小鳥の巣〉

「抉る(えぐる・くじる・こじる)」の意味や使い方 Weblio辞書

 心をエグるわけである。 

『小鳥の巣』は、田舎に帰った「結婚したい男(エリート)」のハナシであった。
ただ、これも、ニュアンスが異なるだろう。言葉の調べとしては「ねちねち」であるかもしれない。


鈴木三重吉夏目漱石の弟子である。

1908年(明治41年東京帝国大学文科大学文学科を卒業[2]。この年の7月に、父悦二が亡くなる。同年10月、成田中学校[1]の教頭として赴任、英語を担当する。1910年(明治43年)3月より、「国民新聞」にて、長編小説『小鳥の巣』を連載した。

鈴木三重吉 - Wikipedia

なんと、明治41年には、血盟団事件井上日召が生まれている。この時代の時間・空間間隔からすると、意味ありげである。

それはまた地方から中央への道筋でもあった。
(略)
ただ、それは漱石の言う「命のやり取りをするするような維新の志士」の如き「烈しい精神」に応ずるものであるかは別である。

ーおわりに(P21)

地域性と文学 : 鈴木三重吉「千鳥」「山彦」、「小鳥の巣」を中心に
槙林滉二
広島大学近代文学研究会

後世からの、この時代の民主主義への誤解めいたことへの不満のようなものがあって、それは地域(特に農村)しかし日本の大部分への理解のなさであったが、こういった文学も「大正デモクラシー」を前にしてちゃんとあったのだ。
田舎が辺境であったことが重要なのではない。『道筋』(化※)であったことが重要なのである。そして一方には維新の熱が末端に行けば行くほど残っていたかもしれないのであった(「中央化」されても「中央」にはならない矛盾を抱え込みやすい)。熱が冷めるにしても、それはヒトが運ぶしかなかったのである。

漱石は『僕は一面に於て俳諧文学に出入すると同時に一面に於て生きるか死ぬか、命のやり取りをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやつて見たい。それでないと何だか難を捨てゝ易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰抜文学者のような気がしてならん(中略)三重吉先生破戒以上の作をドンドン出し玉へ』(上掲P15で紹介。)と明治40年の三重吉宛書簡に記していた。三重吉は『小鳥の巣』で地方を、刷り込まれた思いで描写するのではなく、(描写は在りつつも、その「思い」を抜くように)記号化、叙事化し、また「思い」を本能化して、「中央化」し(『中央思潮に組み替え』(同P21 おわりに))てしまうのであった。喩えて言えばどうなるだろう?東京の人が喋る「大阪弁」は東京弁である。そのような似て非なるものの内実だろうか。

井上日召のテロは容認できないが、あの時代「行動主義」は陽明学或いは在野の思想に由来して広く一般に受け入れられ、東京帝大の人気ナンバーワンも西郷南洲であったし、美濃部の法学上の(「憲法の番人」を脅した実行行為である)「クーデター」も彼が兵庫の庶民出で、関西には広く「行動主義」が根付いていたからだろうと想像できる。文化で明治の建国を支えた「おっとり刀」の加賀藩支藩大聖寺藩)出身、或いは藩校で「虚妄の学」であった朱子学を収めた上杉と違うのだ(反対に、彼は、だからか、神学論争がちゃんとできた。これは西洋の学問を収めるにあってはー美濃部にないーアドバンテージであったと思う。しかし、それは当時すでにあまりに例外的で、学識上の仲間が増えなかった)。

近代日本のナショナリズム
常木, 淳
大阪大学経済学. 68(1) P.1-P.115 Issue Date 2018-06

これなども「グランドセオリー」への興味を欠くから素朴実在(観察)的な「顕教/密教図式」を持ち出すのであって、それは美濃部と変わりがないために循環論法に堕する宿命を持つのであるが、近代国家は、前時代の無限/有限の議論を踏襲した一元的な決定論を含意するのであって(だから、近代社会はポストキリスト教社会であることを逃れられない。)、主権論争はその実近代国家に不可避な、、、意思決定に関する一元化論争にしかなりえない、、、、、のであった。このとき、これを「国家」としたら当然の帰結として「天皇」を内に孕むのであるが(イギリスはどうであるだろう?コモンウェルスにおける女王はどのような位置づけか。女王は共有されるシンボル乃至存在であっても、「国家」は単独で「国家」である。ここで「孕む」とはそういう意味である。)、これは政体論を吸収した国家論としては、意思決定を自己責任化できるため、当然であるのだが、このとき、国家が法人であることと、国家自身が主権を持つことは実は意味を異にする。「国家主権」の内的な意味と外的な意味の分離である。そしてそれこそがドイツ流の「曖昧議論」だったのであり、外的な意味において責任主体と責任行為を一致させる便宜性から、対等な単位であるモナドとして主権に窓を作らない意義はあるが、(もとより窓の内側である)内的な意味においては、法的な「無限退行」を行為装置である国家自身に担わせる「自己拘束」が課せられえることとなる。要は、「無責任体制」とは内的な意味における「国家主権」の当然の帰結であって、もとよりその限界の超越を天皇に託したのが、その発想の文化的端緒においても、「天皇主権」の意義だったのであった。それは上杉の言葉に明瞭に表れている。天皇は巨大な権力を持っているように見えて平素は政治的威力を持たないシンボルに過ぎないのであって、一方で、だからただの哲学的シンボルでもない。の  なのであった。
主権とは今日「憲法制定権力」から問われるが、あの時代においては、「そのレジームにおける内的制限(限界の露呈)の再生機序」であった。だから、反対から居言えば、平素は「機関説的」であってもよく、しかし、それは「的」に過ぎないことを語義に拘って明示するのがアタリマエと考えたのが、穂積、上杉達であって、それが法的コンサバティブであった。それを国家自身の責任で逃れようとした法的アクティビストの美濃部の解釈改憲が幅を利かせただけであって、しかしそれは顕教とか密教とかいうハナシではない。それは単に近代国家の含意する、キリスト教の無限/有限論を踏まえた、決定一元論が理解できないだけである。

ちなみに、夏目漱石については、朱子学陽明学の双方の影響が研究されているらしい。