「正当性」は動員される対象を持つ②                                                                 循環論法の理論上の定礎   

つまり、循環論法を理論上(必須のこととして)定礎しなければならないが、その仕方(理解)の違いが理論の違いを生むのである。

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普通選挙

普通選挙の精神 - 国立国会図書館デジタルコレクション

上杉慎吉は、国家主権説(天皇機関説)・穂積学説批判から天皇主権説・穂積学説積極受容へ転向したことは有名だが、その結果それ以上に意味をもたらしたのは、法学から政治学へ転向したことだろう。つまり、よりキリスト教神学に近づいた※。
※オカルトに近づいたのではなく。ヨーロッパ社会に根付いている知的伝統の  に近づいた。乱暴に言えば、プラトン主義(ネオプラトン主義)とアリストテレス主義であり、自然法の理解である。上杉慎吉の生きた時代は神学世界後の「社会主義の時代」でありなぜ、それがもたらされたかをキリスト教神学(のギリシア受容)を通して理解するのが適切だろうと思う。
そう考えると、北一輝も(上杉慎吉と同じく)この時代の人間であって、社会進化論をベースにユートピア(或いは空想社会主義)を論じているような趣がある。
この二人は結局、「超越」との、二元的世界(神学世界、個人主義の時代)から一元的世界(非神学世界、社会主義の時代)
「超越」を託された天皇の社会的配置を
日本の「超越」受容は貨幣にその原型を見ることができる。
北一輝の目指したことは、社会主義の内在する二元世界の一元化即ち「超越」の内部化の説明であり、神の専権事項であった森羅万象の成立が(それゆえ成立したはずの「個人」を包含して)社会に統一されて理解されなければならないときの記述的説明であって、その帰納主義的誤謬(後件肯定の誤謬)が因果関係との混同を必然的に含意して、その結果テロ(2.26事件)を準備したのは故無きことではない。

同じ時代を生きたトマス・マンパウルトーマス・マン(Paul Thomas Mann、1875年6月6日 - 1955年8月12日)北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)1906年明治39年)に処女作『国体論及び純正社会主義』(『國體論及び純正社會主義』)刊行。1914年に第一次世界大戦が勃発。マンはこの大戦を文明に対する文化としてのドイツの戦いと位置づけてドイツを積極的に擁護したが、この立場はロマン・ロランや実の兄ハインリヒ・マンから批判を受け、一時兄弟で仲違いをすることになった(1922年に和解)。1915年より2年の間『非政治的人間の省察』を執筆、協商国フランスの帝国主義的民主主義に対し、反民主主義的不平等人格主義のドイツを擁護して論じた。1918年にドイツが敗戦すると、マンはドイツにおける市民社会の代弁者として各地で講演に招かれ、1923年の著作『ドイツ共和国について』でヴァイマル共和政への支持をドイツの知識層に呼びかけた。1924年魔の山』発表。1926年より『ヨセフとその兄弟』に着手。旧約聖書の一節をそれだけで図書館が建つと言われるほどの膨大な資料をもとに長大な小説に仕立て上げたもので、その後幾度も中断を経て1944年まで書き継がれた。1929年、ノーベル文学賞受賞。翌年に受賞第1作となる『マーリオと魔術師』を発表する。 上杉 慎吉(上杉 愼吉、うえすぎ しんきち、1878年明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)