『別の意味では、アジア主義からの逸脱、偏向である』
これ批判的な文脈だとしたら、その理解は誤りで、『逸脱、偏向』だからよいんだよ。
連合軍(国)の大西洋憲章に対抗して出した、日本コモンウェルス(大日本帝国ではなく。)が、到達点だよ(イギリスと違って、それを実現でなかっただけで)。
韓国なんていまだにそれを期待しているのか、一方で、レーニン主義憲法を戴いているから、ややこしくて仕方ないだろう。
これは『逸脱、偏向』なくして得られなかった。
制度なんて、そんなもんだよ。
だから中島には違和感を抱くんだなぁ。わかった。
自由民権運動を考えるのであれば、夏目漱石、上杉慎吉、井上日召かな。
つまり、島崎藤村、平塚ライチョウ、(井上日召はわからない。)で、そうして、鈴木三重吉、吉野作造、(井上日召はわからない)。ところがそれは表現論であって、構造的には、 や が、ヨーロッパのイデオロギーを血肉として制度化して行った(つまり、穂積、上杉らは「狂信的」と言われたが、同じように商法の の依拠した自然法はそう言われなかったのだ。近代化=ポストキリスト教社会化の理解が深まったと考えるべきだー反対にそれまで一木らが推し進めていたのは、報徳思想などの土着化していた非近代的な商人思想に過ぎない。それはそのまま終戦時の制度理解につながる。美濃部はオールドリベラリストに過ぎない)
文明開花と参加或いは解放が結びついていた。それがある程度進むと、その先に、また陶冶が目指されるに過ぎない。大正デモクラシーは昭和デモクラシー以降の時代を準備したに過ぎない。だからそれは本質的には『逸脱、偏向』ではなく、進展、帰結に過ぎない。
一方『逸脱、偏向』を批判的に捉えると、太宰治でしょう。
ありていに言って、ただの社会生活困難者です。
でも内に何かを秘めていると口説を弄すると「文学者」になる。
こういった倒錯が「しっくり」くる時代だったのが、異様なんです。