一木喜徳郎を学祖とする「仕法」の伝統の上に(ドイツ法学と無関係な)「天皇機関説」がある

 

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驚いたことに、美濃部はおそらく、端から間違えている。
それはいいとして、なぜ間違えたのか。
その原因が報徳思想にあったのではないか。
なら結局、「天皇機関説」とは、一木喜徳郎の独創に過ぎない。
神学的伝統が欠落しているようである。
すなわち、本邦の近代法学思想は、井上毅を学祖とするキリスト教神学の伝統と、一木喜徳郎を学祖とする仕法の伝統とがあるようだ。

述語 接辞

オッカム

ルター

朱子学

報徳思想

Sein 

  〈が〉  

(実・も)

 論理的抱含 

   救済   

   気   

 真名:漢字  

Sollen

〈は〉

(然・は)

論理的示唆

啓示

真心:誠  

c.f.日本語構造伝達文法 主格3形式と客格と「は」 日

文法上「は」は、主題、取り立て、対比とされるが。。。。(論理上は不適当である。論理とは、包含/示唆/評価)

「真/眞」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

「名」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

「誠」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

真名は漢字。「真」は匙と計量カップ(が満たされる)。「名」は朝を知らせる鳥の声、文字。「誠」は「安心できる言葉」すなわち、「真」は満ちたり、「誠」は然り(さあり)。

中国語は「概念語」であり(👆)、「孤立語」(分析的言語👇)

孤立語 - Wikipedia

美濃部はどうもここらへんから間違えたのではないか。
美濃部は法を概念分析と勘違いしたのではないか
そして、だから、上杉慎吉も田中耕太郎も変節したのではないか(上杉のような「狂信者」だけではない点が味噌である)。厳密には、上杉は、名辞論から井上ー穂積ラインの統語論(一部、命題論)への改説であり、田中は仕法(報徳思想)から自然法(トミズム)への(発展的)解説だろうと思う。

さて、報徳思想である。

 

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👆に書かれていることを、勝手に要約すると、

至誠  万象具徳  【単  位  化】
勤労 心田開発 【資  産  化】
分度 積小為大 【管理簿化】
推譲 一円融合 【分  析  化】

要は「徳」というphlogistonフロギストンが世界を巡って計算できると言っている。
こうなると、複式簿記を使った近江商人と比較した方が良い。

そうすると、大正デモクラシーの「地方」の側面が彫琢される。
すなわち、偶々「我田引鉄」があったのではない。小日本主義の帰結として「鉄」があったのである。それもまた一円融合である。