昭和デモクラシーと国民的文学

ふと思い出したが、

私たちは「新見南吉」を👆で学びました。

『ごんぎつね』を選ぶか、『手ぶくろを買いに』を選ぶか。
対象年齢が若干異なり、『手ぶくろを買いに』は3年生程度、『ごんぎつね』は4年生程度でしょうか(ちなみに、私たちは、6年生のときに『銀の匙』を授業研究で学びました※)。

※「学んだ」と言うとおこがましいかも知れません。取り上げたのは1時間だけでしたから。当初2時間(2回に分けて)とり上げ理解を深める予定だったと思いますが、内容が学齢に比して高度で授業が難しくなるため、1時間で切り上げられたのだと思います。『こつ』という音の響きの文脈上の理解を教わりました。

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擬音語の理解については、小学館の雑誌『小学校1年生』で『ドラえもん』を初めて読んだときに、のび太が『ポキリ』と勢いよく鉛筆(懐かしいですね。)を折る描写を見て、こんな音が鳴るはずがないと言い争いになったことを思い出します(下の理由で、のび太が『ポキリ』と発言したのではない、、、、、、、、、ことが問題でした)。

つまり、光も音ももっと名状しがたいものだったのですが、ここで初めて機能語を受け入れたわけです。言葉に拓かれた瞬間です。

それまでにももちろん、犬は「わんわん」猫は「にゃあにゃあ」と教わっていますが、それは同じように鳴けないための真似であって、それそのものを表現することではないと思っていました。

場面に沿って(後から)添えて「そのような(違う)もの」として人づて、、、に説明するのではなく、言葉そのものとして物語に流通して意味を成す機能に、成長に伴って気づいたわけです。いわば、物語の内部(構成)要素としての「擬音語」です。

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銀の匙』の授業研究は、そのような一般的な精神的成長を前提として、文脈の発展的理解に「擬音語」を置くわけですが、私たちには難しかったようです。

銀の匙』は中勘助の小説で、もともと新聞に連載されたものでしたからね。
それを「わかる」と小学生が言ってしまうのは「本当かな?」ということですよね。
社会関係について、抽象的理解に応じて、より広く受け入れられるようになるのは、中学生以降でしょうから(「わかる」にもレベルができることとなります)。


言いたいのはそういうことではない。

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辻正信が「国民的文学」だったことの、戦後国語的な理解の仕方だ。
これが「昭和デモクラシー」という、戦後等閑に付してきたことー表現行為としては、せいぜい梶原一騎の漫画などのサブカルチャーで消化されたことだからだ。

メインカルチャーは、「大正デモクラシー」か「社会主義リアリズム」だったからである。
そして、「大正デモクラシー」は「昭和デモクラシー」を準備したことであって、それを否定するものではなかったからである。

山月記』の授業に戦前のフランス学派とドイツ学派の対立の影響はなかったか。
就中、中島が依拠したことも考えられる耽美派からの理解を排除しなかったか(或いは、耽美派を唯デカダンに落とし込んで、解釈の上で換骨奪胎しなかったか)。
それは「大正デモクラシー」における与謝野晶子理解にも通じて―『君死にたまふことなかれ』は単純な反戦詩だったか―、「大正デモクラシー」が準備したはずの「昭和デモクラシー」の代表かも知れない、杉浦民平に『我々の目指した国民的文学』とまで言われた辻正信の政治的排除につながらなかったか。

「国語史」は高校国語の新学習要領において正当に評価されているか。

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さらに漱石とは敵対関係にあった自然主義の作家・田山花袋正宗白鳥らは

【第4回】初めて「漱石神話」を解明した書 夏目漱石と帝国大学 WEDGE Infinity(ウェッジ)

非常に興味深い。

漱石近代文学の最初期のひとりで、「哲学」と言っても本当は言語哲学の方で、イギリスならホワイトヘッド、日本なら井上毅と比較されてもよいはずなんだよね※。
それがこのような狭い理解しかされないことが国語の不幸だと思う。

おかげで、与謝野晶子中島敦もその程度にしか理解されない。

※反対に井上毅教育勅語も変な理解のされ方が一般的になってしまっている。あれは法学的な理解が必要で、歴史学派に直接の影響を受けた、(デカルトが『方法序説』で表したような)「ロジック」のパンフレットに過ぎない(ただし、デカルトは優れた数学者であったから、そこでは何か数学的なことが語られていると理解される)。
この国には、「ロジック史」が軽視されているか、まったく「ない」から気づかれていない(欧米にはある。ちゃんとアリストテレスゲーデルを繋げられる)。