ロジックに光を

つまり、「教育勅語」などは、多くの者が誤解しているのとは異なり、本質的にはロジシャンである井上毅にとってただのパンフレットであって、それはフランス語で初めて哲学を著したデカルトもとった方法である。

 

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要は、当時まともな「近代的人間観」などななかったのではないか。
だから誰もが教育勅語から逃げた。
ここらへんは、洗礼を受けても社会主義者に転向した心機と近いのではないだろうか?
(近代化が思った以上にキリスト教的だったのだが、そのキリスト教が思った以上に理解しづらいものではなかったか?)

ただ井上は近代国家が本質的に損なわれるおそれがあったため、宗教保守的な傾向をそらす必要を感じたのが本当だろう。

彼にもまだ「近代的人間観」はなかっただろう。彼にあったのはロジックである。

私の想像では、その「近代的人間観」は、大正デモクラシーが与えたと思う。
(そのとき、近代的人間観をキリスト教抜きで衒いなく断言できた渡辺政盛がウケたのではないか。エリートの問題意識はより一般化されてあった。例えば、ルソーは、完全な男性優位主義者であるが、その程度の差はあれ、日本社会の現況に於いて、完全に男性優位社会を作ることはきわめて困難だったし、エリートからすると、意味の在ることに思えなかった。
そうすると、「ところどころ感心はする〈し〉、良いことも言っている」が、『急進的』という評価になるーが本音では馬鹿げていると思っただろう。
そのとき庶民なら、取捨選択〈できる〉と思うのだろうが、それは社会観の違いである。
ただ、これが一変するのが、大正デモクラシー後である。昭和10年代を大正デモクラシーに比肩できる昭和デモクラシーと呼ぶ研究者も居るらしいが、あらためて大正デモクラシーの内実が問われる。
大正デモクラシーとは、明治期の社会制度の変更に伴う社会基盤の整備の効果が眼に見えて、すなわち統計上ーすべてを計量から判断する近代化の一側面からー現れ始め、とくに人口増大を背景に、諸制度の中心的役割に占める「平民」の割合が大きくなるとともに、産業にしろ、軍隊にしろ、市場にしろ、より広範な、より多くの庶民を求めて動き出し、反対に庶民は群衆化した時代でなかったか。
その中で、「女」も「子ども」も「地方」も語勢が増したが、それは制度主体間:5大法律学校、師範学校8大主張:の表現上のハナシで、もともと岩手の女戸主は12%居たのであった。
日本の近代化を色づけるのは意外にキリスト教化と反キリスト教化で、ルソーは反キリスト教化の極北に位置するとも言える。それが美しい人間観とそれによる社会観を提供しても、実際には望ましい人間像や社会像を提供したわけではない。イデオロギーとリアリティーの乖離であった。曖昧な人間像でお茶を濁したエリートたちにはこの現実感があった。
そういった意味で、身の回りの、あくまで渡辺にとっては手軽なriskに向き合うだけで済ませられる渡辺の主張は、どこまでも庶民の勝手だっただろう。
そういう主張が演芸として花開いたのがー庶民のー大正デモクラシーであった。それを支えたのは出版事業の産業化で、情報収集にしても、情報提供にしてもマーケットが支えたのであった。
そのようにして庶民の大きくなった能力の実感は、大きくなった社会の反映であったから反対に次の縮こまる社会の中では、それにつれて小さくなるか、そうは成らずに、畳み込まれるかすることとなった。
それが次の「男」と「女」の時代である。いずれにしても統制的な「男」が跋扈した時代であって、大日本婦人会の時代である。統制社会に畳み込まれた「女」が、しかし小さくならなかったのは、世界的に見ても標準的なことだったか見る必要がある。
小さくなったのは意外にも或る「男」たちであって、大正デモクラシーに登場した、『寂寥感』を湛えた:「女ぐるい」な:「男」たちであった)
それまでも近代的国民になるべく成人教育は熱心に行われたし、もちろん小学校も普及した。それで日清・日露の戦争を戦ったのであるから、それなりに成果はあっただろう。
しかし、それが明確に意識されたのは、師範学校の整備が進むのと同時にその内実を満たす「平民」の進学が増えてからではないのか。
それが理想的な人間観としての「子ども観」ではなかったか。「8大」と呼ばれた論者の主張を見ると、どうしても「国家を担う国民」が当然に出てくるのだ。

やはり「小さな大人」問題が浮かび上がるのである。


民法が仏法(ナポレオン法典)の大きな影響を受けたようだが※、  

旧通説の眼目は、天皇絶対主義体制の一翼として家制度を位置付ける立場から、その不都合が最初から立法者が意図したものだったと考えることにあり[1242]、戸主個人の専横によって家族団体が害されることは家制度擁護論者からも本意ではなかったとみるのが批判説の発想である(我妻)

民法典論争 - Wikipedia

 ※自分はプロイセンの影響、ユンカーの封建制の影響も受けたと思わないではなかったー「戸主権があったのは中世まで」というのを知って実態としてどうだったかどこかでわからないかと思っていたが、こんだけ詳細に調べられると「そうですか」と。 

ローマ帝国崩壊後のヨーロッパでも封建制が各国で確立していたが、マルティン・ルター宗教改革(1517年~)において、カトリック教皇権に対抗して世俗的君主権の強化が説かれたことから絶対主義が確立[103]。

民法典論争-Wikipedia
👇P116

どう考えても諸悪の根源はルソーのように思えるんだけれど。

フランス革命の理論的指導者ジャン=ジャック・ルソーは、カトリックプロテスタント以上の徹底した男性優位思想であり、家父長制擁護論者であった

民法典論争-Wikipedia

 フランスにおけるフェミニズム - Wikipedia

👆と直接関係してくるのが、大正デモクラシーで、「女」「子ども」「地方」のうち、「女」の権利である「離婚」については穂積重遠が力入れたところ。

そうすると、実は、エリート間のこういう様子を知っていた者たちからすると、なかなか「ルソーもなかろう」って感じで、のらりくらりと避けてたんじゃなかろうか。
それを「ルソーでしょ」って思い切り(今更)ぶち上げたのが渡辺政盛で。
それを文部省は「まただよ」って真面目に取り合っていなかったらしいけれど、大正デモクラシーが終わって、再び「男」の時代になるとどうだったのか。
ヒトラーユーゲントが(改組)結成されるのが大正15(1926)年。大正デモクラシーが終わったころだ。
1918(大正07)年 第一次世界大戦終了
1920(大正09)年 戦後不況
1923(大正12)年 関東大震災
1926(大正15)年 浜松市会議員選挙(日本初の普通選挙
1927(昭和02)年 昭和金融恐慌
1928(昭和03)年 第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙
1930(昭和05)年 昭和恐慌・昭和農業恐慌

要は、「人間観」ってそれほど明言しにくい、嫌な題材だったというね。
つまり、「人間像」は出せても。

 

美濃部と上杉の争いは、実は、素朴実在論と抽象的実在論の論争であって、その原因を提供したのが、もうひとりの言語の天才、井上のロジックにあった。
或る意味で、社会像に拘ったのが美濃部で、ロジックに拘ったのが上杉と言える。その経緯を知るのが穂積で、だから時に批判にさらされ、時に苦言を呈した。
従来のエリートが抽象的なロジックと具象的な社会像或いは人間像しか出せないのを傍目に、新しい知識人である与謝野晶子が天才的言語能力を発揮して(芸術)のための(芸術)を自己表現の手段として代表する「人称」で言い当て、政治的な「女」たちは運動の諸相を適当に配置することで満遍なく見せ、一方で、庶民のなかの庶民である渡部政盛の、素朴な人間観(抽象的人間)という、識者両成敗的な矛盾ーリアルなイデオロギーーが芸として喜ばれた、そういった「表現の時代」の呼称が大正デモクラシーである。
そうして「科学」が(より、いっそう)語勢を増す時代へ移行したのであった。

日本の脚気史 - Wikipedia
アインシュタイン日本来日
アルベルト・アインシュタイン - Wikipedia

 

ラッセルは尊敬すべき人物か?
階級的人士としてのラッセ

市民:都市エリートとしてのラッセ

 差別主義者としてのラッセル 

どれも彼の中で矛盾していない。
彼の矛盾は実を言うと、フィリッパ・フットと対峙するものだからだ。

第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル
1872年5月18日 - 1970年2月2日
フィリッパ・ルース・フット
1920年10月3日-2010年10月3日

 

人間には卑劣なことや残忍なことをしない理由があるという事実によるものである。

フィリッパ・フット - Wikipedia

なぜ平塚らいてうの紹介で(上杉はよいにしても)穂積が出てこないか不思議であるが、なぜフィリッパフットの紹介でバートランド・ラッセルがでてこないのか。

macska.org

あなたは路面電車の運転手で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。  

ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気付く。  

どうすべきだろうか?
(上掲小山)

あなたは路面電車の乗客で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の市民が財布を手に床屋の前に立っている。行くのを止めようとするのだが、できない。彼の客で彼は床屋なのだ。頭髪が一気に白くなる。五人の客を無視すれば、全員の髭が伸びるとわかっているからだ(明白な事実で疑いがないことがを自明とする)。  

ふと、右側から入れる非常口が目に入る。そこからも作業場に行ける。だが、自分一人だけだ。非常口から入れば、一人の髭は剃れるが、五人は髭が伸びることに気付く。
これが毎日のことであり、一日に5人までしか髭を剃られない、、、、、とする。 

どうすべきだろうか?

大勢の人たちが、ある罪人を吊るし上げようと暴動を起こしている。あなたはかれらに罪人として名指しされている人物をかくまっているが、かれが実際には無実であることを知っている。しかし群集はそれを聞き入れようとはしない。かれを群集に差し出せば、かれ一人がリンチを受け殺されるかわりに暴動はおさまるが、かれを匿い続ければ暴動によって五人が命を落とすことになる。あなたはかれを群集に差し出すべきか?
(上掲小山)

大勢の人たちが、ある床屋を指名しようと殺到している。あなたは指名された床屋を囲っているが、かれが実際には無休であることを知っている。しかし群集はそれを聞き入れようとはしない。かれを群集に差し出せば、かれ一人が臨時開業で髭を剃らされるかわりに殺到は平滑化するが、かれを囲い続ければ、五人の髭を剃れることになる。あなたはかれを群集に差し出すべきか? 

ある患者が生存のために希少な薬を大量に投与することを必要としているが、同じ薬を五つに分けて他の患者に投与すれば五人の命を救うことができる。かりに一錠しかその薬がないとして、どちらに薬を与えるべきか?
(上掲小山)

ある学生が社長面接のために優秀な床屋で時間をかけてメイクすることを必要としているが、同じ床屋が五人の学生を施術すれば五人の一次面接に間に合わることができる。かりに一日しか床屋の指名がとれないとして、どちらの施術を優先すべきか?

それぞれ別の臓器の移植を必要としている五人の患者を救うために、一人の比較的健康な患者を犠牲にして臓器を取り出して良いか、
(上掲小山)

それぞれ別の時間帯の施術を必要としている五人の客の髭を剃るために、一人の床屋の社会性(自分が髭を剃ること)を犠牲にして良いか。 

ラッセルは、ある述語をvoiceを二値に分別したうえで再帰的に主体()を形容させて、背反的な評価の一斉表示(手続きに沿って展開すれば無限退行となる。)という「矛盾」を導出した。要は、「剃る」の二態を主体内でに不可分に(主体を)形容させたのだ。反対にこれが上手いのは、アリストテレスの論理の持つ或る「飛躍性」を存在(主体)と行為(述語)として表現したからで、その「飛躍」は「述語を通す」という機能への評価の転化(の効果)のことであったから、それを適示したとも言える。
歴史的にはその発見の栄誉はオッカム村のウィリアムに帰するようで(論理的抱含と論理的示唆の分別)、さらに研究を進めたことで、それをそれぞれの系として立てて、系間の問題として初めて自覚したのがルターの画期であった。オッカム村のウィリアムの学統ゆえにルターと袂を分かつこととなったのがツヴィングリであって、ルターが聖体で共在説をとってまさに、「評価」を置いて、述語問題を惹起したが、彼の提示した二系統、回復の機序(正義、公平)と動員の機序(正統、)が、「キリストが我々にもたらされ(我々のうちにあ)る」というイベントを通じて行われた、オッカム村のウォリアムの言ったように、包含から示唆の分離であったがゆえに、反対に示唆から包含を形容すると、(或いは)史上初めて論理的にパラドックスを導出したのであった。それを「評価」に即して指摘したのがツヴィングリであって、機械論を奉じるギリシャ哲学を認識から排除したためだろうか※、彼らの画期的業績をそうとは気づかずにロジシャンのラッセルに奪われた格好であるのは、或いは、無理数を知っていながら認めなかったギリシャピュタゴラス教団に似ている。
※そういった意味では、ギリシャ哲学から論じ始めたデカルトは、自覚的な機械論者であり、人文学者である。ツヴィングリは〈自由〉の余地を「評価」のうえから認めたが、ギリシャ哲学を認めた人文学者だったろうか?

ラッセルのやり方があまりうまいやりかたでなかったのは、その選択されたvoiceが社会命令に過ぎなかったからで(だから本質的な規約を表現する、「偽文」の自己言及に劣る。文は正しい評価を与えられてはじめて機能するが、その機能は偽を評価してはじめて正しく機能的であると言える。機械的評価の本質的分離機序である。これがアリストテレスのはじめたことに由来して、アリストテレスの論理のことに他ならないので、それそのものを適示するのが適切であった)、社会性に根差すならば、社会評価を与えなければならなかった。それを反対から積極的に意義付けるとフィリッパ・フットとなる。

ロジックゆえの表現問題だ。
要は、こういうことを、大正デモクラシーもやっていたのであった。
フィリッパ・フットも素晴らしいけれど、どちらということもないが、与謝野晶子の天才性がやっぱり光るように思う。

あるいは博愛(友愛)に女性は最初から含まれていなかった

民法典論争 - Wikipedia

だからこそ、『君死にたもうことなかれ』ですよ。
おそらくフランスのモラリストの系譜を継いで耽美主義的な表現の中で、「博愛」の欺瞞を突くのだなぁ。それが例えば、イギリス人(シェークスピア)の"I don't love you/Ilove thou"をひっくり返す"I(love) you"の表現を以て即ち英/仏、このほか、男/女、博愛/性愛、生/死、政治/文芸、他人/近親、古典/現代のコントラストを背景に浮かび上がらせてそれだけで満足しない。つまり、外延に浮かび上がる或る種のパラドックスである。自明な対比乃至対立に意味がすべからく回収されるのかを問う。
フツウこれを「天才の仕事」と謂うと思うけれどねぇ。
なぜか日本だと(同じ大正デモクラシーでも)新見南吉になるという。それっていかがなものなのかと思う。
中島敦もそうだが、なぜか耽美主義の評価も「正統な男」に限られている。
中島も「女ぐるい」の一人だったみたいだけれど、それを隠したのが「異端」扱いされたのだろうか?いや、耽美主義とデカダンって一緒だったのか?という。
これも文学観と文学像の違いだろうか?
言語作用だけれど、像をむすばない。ここらへんがいまだによくわからない増淵への理解の伝手になるかもしれない。反対に増淵の理解では人物像を造形しているのだ。

それを極端にしたのが、👇だろう。 誰が誰かの「モデル」だそうだ。
それが文献学に沿っているなら確かに興味深い。
しかし、モデルがいたとしても、モデルどうしの関係に沿って「読解」するのが正しいと評価されるわけではない。
だからこそ反対に、それに違和感を抱かせない『山月記』の「読解」の特徴があるようにも思えて来る。

つまり、増淵の「読解」は目標が人物像理解にあって、それが渡辺政盛の人物観理解と反対にあるのでであった。ならばそのような主張をした論者は誰であったか。

増淵の教育を方法論から見ると、効率化という点では「自学主義」、課題学習という点では「プロダクトメソッド」ではないかと思ったが、『山月記』の「読解」に関して言えば、人物の〈合理(性)〉が文法と平仄を以て現れるらしい。

それは妥当だろうか?

これがどうもフィリッパ・フットの言う〈厚い〉基準を伴って〈合理(的)〉の評価が与えられるらしい。しかし、それが肯定文においてではないから、フィリッパ・フットの倫理的パラドックスを回避している。行為選択ゆえに倫理的パラドックスを導出するのがフィリッパフットだが、この積極的義務の消極的否定ゆえに〈合理(性)〉が表現されると考えたようだ。 

この種の「薄い」倫理的概念の分析は、それよりも具体性ないし「厚さ」の点で勝る卑劣、残忍、貪欲といった概念について特殊な切り分けを行う説明と関連している。それらの概念は、非認知的で「評価的」な要素を、明白で「単に記述的」な要素に結びつけていると考えられる。

フィリッパ・フット - Wikipedia

消極的自由

関係の消去

消極的義務

侵害の禁止

積極的自由

関係の付与

積極的義務

与益の命令

与益(beneficence)原則とは「患者の利益になるようにするべきである」,無加害原則(non maleficence)とは「患者に害を加えないようにするべきである」,正義・公平(justice/equality)原則とは「社会的公平を保つべきである」という原則をさす。

ガイドライン|日本緩和医療学会 - Japanese Society for Palliative Medicine

増淵は、消極的義務と積極的義務を『正義』の天秤にかける。これは左右対称な表的判断で在りりつつ、『義』に係る道徳的判断である。
これをさらに内包化するのがそのロジック(妥当なロジック)乃至トリック(不当な口説)である。
評価(二値:A評価/B評価)から判断される積極的義務違反(B評価二値:b評価/¬b評価)が消極的義務違反(A評価二値:a評価/¬a評価)を導くと説くのだが、これに〈合理(的)〉との評価を与えるために、文法上の評価を当てる。
要は、李徴の言い分を彼の合理性に根拠に求め、それが文法に現れていると言いたいらしい。
フツウに考えて、変であるからこそのファンタジーであるが、そこから〈合理(性)〉と銘打たれた社会性が導入されているのが特徴であるようだ。
つまり、それを〈合理(的)〉との評価を与える側の社会の倫理的機序である。
これが目的的合理性であることを想像させるのである。
つまり、行為の〈合理(性)〉に関して主観的なのであった。

大分遠回りとなったが、これが、(行為無価値論に代表される)「刑法の時代」と(社会主義リアリズムを範疇に収める)「マルクス主義法学」の対立となって現れるのが、増淵荒木論争だったようだ。