「イメージの略奪への怒り」を喚起する心理的機序

 

 

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〈2-1〉失われた“母性"~村上春樹作品をめぐって
5章 ハルキ作品における「おにぎり」の不在

という章がもうけられているらしくて、

 え?

と思ったのだけれど。
確かに食べてはいない。
そういうことなんやろうね。

 

「こういうのが革命なら、私革命なんていらないわ。 私きっとおにぎりに梅干ししか入れなかったっていう理由で銃殺されちゃうもの」

「ありうる」と僕は言った。

 『ノルウェイの森 下』 あらすじ2 | *lily of the valley & water lily*

おにぎり=母親か。そうか。一般的にはそうなんだな。

僕は著者を腐したいわけじゃない。

読んでないからね。

そこに何かしら主張があるんじゃないかってこと。

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これはまさに村上の父親に関係してくることだけれど。

https://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/hikidashi/20cent/html/20cent020.html

あるいは、ひょっとしたら、「母親=おにぎり」という作られたイメージへの何かしらかもしれないよね。
つまり、村上は、女性を通しておにぎりを否定する「複文構造」を採用するのだけれど。(作者){女性:おにぎりを否定}というふうにね。その「語り手」への信頼及び、そうであるがゆえの、そのイメージの「略奪」への(秘めた)怒りのようなことがね。

彼は「ユング派(河合派)」だったから、なにかそういう表現に含みがあるのかもしれない。

 

村上の文法を記述すればこうかもしれない。type(token[real])

  村上(女性(おにぎりきらい))

つまり、「おにぎりきらい」は或るトークンであって、この文法において重要なのは、女性は表現形(形容詞)だから tokenに係っていること(という普通の理解の反対だ)。つまり、new(shoes)となるべきところ、shoes(new)とすることで、〈newそのもの〉がshoesの表現を以て実現すること。すなわち、「おにぎり」があるイメージとしたらそれへの〈忌避心そのもの〉が女性という表現を以て実現すること。ただし、彼はカント派ではなく、ユング(河合)派だから、(修正)一元主義だが、「そのもの」というよりは「リアル」だろう。これが二重になっているから、村上という表現を以て現前しているとの主張だろう。

これが村上の拘る井戸の比喩だ。

しかし、これはあくまで村上の主張であって、そこに敢えて女性を介在させることへの何かしら考えるところがあったのかもしれない。

 
ユングと深く関わりを持った人物としてはパウリの方が有名かもしれない。
村上の受賞が待たれるノーベル賞を当然のように受賞した「時代」の偉人だ。おそらくアインシュタインはそのきっかけに過ぎない。

  パウリは女性の姿をした大勢の人々に囲まれている夢を見た。そして、彼の内なる声が「私はまず父から離れなければならない」というのを聞いた。

 ユングは最初に、この「離れなければならない」という言葉が完全なものになるには、「無意識にしたがうために」という表現と結びつかなければならないと解説している。この夢では、無意識が女性の姿形として具現されているのである。

P215 第八章 パウリの夢を分析し、治療する

 パウリはこんな人だけれど、アメリカに行ってからは不遇をかこつ。

オーストリア生まれのスイスの物理学者。スピンの理論や、現代化学の基礎となっているパウリの排他律の発見などの業績で知られる。

ヴォルフガング・パウリ - Wikipedia

20世紀を「フロイトの世紀」と言ったのはアメリカ人だったか。ユング派の彼は(祖父方がユダヤ系であるが)警戒されたのか? 
パウリがユングに出会うのが1932年。アメリカ移住が1940年。ドイツ降伏とアインシュタインの推薦によりノーベル賞を受賞するのが1945年。アメリカを去るのが1946年。

👇ややこしい事情があったらしい(この際それが大事だ)。

ユングナチスとの関係に関しては、フロイト派でユングに批判的な人たちの言説―すでにおおむね否定されている―に一面的に依拠した形跡が明らかに見いだされ、


並木道
5つ星のうち1.0 絶版になって当然
2005年8月27日に日本でレビュー済み 

 違うハナシであるが、アインシュタインは昵懇となっていたゲーデルの保守的政治指向について「頭がおかしくなったのか」と言って心底驚いたそうだ。たまたまだろうが、それからゲーデルもパッとしない。 

  数学者も「夢」が好きだったりする。

 ライプニッツ易経から二進法を考えた。 

彼は記号に取り憑かれていた人物で、論理学以外にも、例えば幾何学について、記号を用いて機械的に証明をする構想を得ていた(これも後世には現実となった)

ゴットフリート・ライプニッツ - Wikipedia

縄文人も計算していた。 数は運/不運を表現する手段として現れ、位上げを含む巡回性を持つぞろ目を導く数列という法則性が求められた。
数詩から始まる「読解(意味)」、簿記から始まる「表解(公平)」、コンパスから始まる「図解(開閉)」を以て数学の3始原と思っていたが、これに、呪術から始まる「盤解(巡回)」を加えた4始原にした方が自然かもしれない。
要は、双六盤(2つのサイコロを使ってぞろ目を出す遊び。)のことであるが、日本書紀には流行りすぎて禁止されたことが記載されている。縄文人は何かしらの計算道具を持っていて、呪術の運/不運を算出していたらしい。

行列こそが行列式の「基盤」となる概念であると考えられ、「matrix」と命名されました。

母さんの面影

ここの関連で言うならば、semantics (意味論)が「読解」で、syntax統語論が「盤解」である。

算術する縄文人、. 一高度な数字処理の事例一. 藤田 富士夫 

教育における算数の完成(昭和10年の「小学算術」(緑表紙)は、現在のものよりずっと完成度が高いそうです。内容は本文参照)、

p-2
5つ星のうち5.0 「無数の模倣と暗記の先に独創がある」、数学のプロの言葉です。大納得です。
2002年9月1日に日本でレビュー済み

limguistic racismの一例だが、昭和10年にどれほど中学進学率があったかを理解して言っているのだろうか?それともその教科書に学んだ小学生に分数を理解できないものが一人もいなかったと言いたいのだろうか?そんなファンタジーは存在しない。社会制度として全く異なるものは比較にならず、「ゆとり教育」によって学力低下がなかったことがすでに明らかである現時においてそれをまだ言うとすれば、それが「言語による差別」と言って間違いないだろう。
『円周率3ちょい』は👇で言う『男の子』と機能的に同等である。それを本人が自覚しないからlimguistic racismとなることを付け加えておく。

あなたが知らないかもしれない用語は人種差別主義者です

いまだに何度でも言わなければならないのは、「「ゆとり教育」問題」はおおむね教育問題ではなく秩序問題であることである。それは、経済階層的属性と共同体内部の意思疎通における語彙の意義と結びついて、ソモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』の問題を惹起するのであった(なぜ、著名な科学者が高齢になってから活動が停滞する一方で、芸術家は活動が花開くのか。シモーヌ・ド・ボーヴォワールはそれを「技術の習得」に求める。科学者にとって新しい活動はコストが大きすぎまたサンクコストが発生するが、芸術家にとってはリターンが大きくなるのであった)。 人間がいかに科学的に考えるのが苦手か。興味深い事実である。

その筆は見過ごされがちな老人の性にも及び、老人=情欲から解放された清らかな存在という、ステレオタイプの老人像を容赦なく打ち砕きます。

名著111「老い」:100分 de 名著

「老人」の言葉はどのようなものであるか。また、「老人」は直ちに高齢者を意味するか。実はこれは社会制度と深く結びついて、戦後の福祉対象(客体)としての「高齢者」と戦前の階層(部分)社会に於ける主体としての「老人」の分離と再統合が現在の様相であるー社会階層はどのように構成されるべきか、という問題を胚胎する。戦後のメッセージはそれは経済階層であってはならないということであったから、「「ゆとり教育」問題」はそれとは異なる社会階層化への期待から攻撃的な言辞を伴う「差別」を以て噴出した。

 

さて、17世紀末ライプニッツが2進法で成し遂げたことは、足し算、引き算以上は難しすぎて進めなかった市井人々が頼らざるを得なかったピュタゴラス表(九九表)を無用のものとしたことであった。
シェークスピアとほぼ同時代のネイピアは籌算(ネイピア・ロッド:検算付計算棒)でさらに好評を博し、あまりに好評で世界中に伝わり19世紀初葉中国を経由して日本にも輸入された。
ネイピアのこの実学的才能は、この延長に、対数の発見を為しとげたのだった。


 

『壊れたレコード』はなぜ、『壊れたレコーダー』ではないのか。

👇のような問題を考えてみる

4章「隠喩」は言語拡張メカニズムにも関わる興味深いテーマである。本章でサールは「冷たい心という隠喩はなぜ理解できるのか?冷たい氷と何か似ているのか?共通点があるのか?」といった問いから、最終的には類似性概念の原初性にたどり着き、言語理解の根底に人間の感受性に関する生の事実、反応の仕方の共有があることが示される。

皿皿
5つ星のうち5.0 存在論的な心の哲学(?)よりずっと面白い言語論
2009年4月12日に日本でレビュー済み

すなわち、氷〈が〉冷たいのか、氷〈は〉冷たいのか。
氷〈が〉冷たい 主語化:主体の外部化
氷〈は〉冷たい 主体的

心〈が〉冷たい 冷たい(心) 〈指定系〉→対象化;「私」の物象化
心〈は〉冷たい 心(冷たい) 〈措定系〉→ 私(冷たい):主体の隠喩

レコード:∃「私」≠∀「私」c.f. all(被造物の逐一)とwhole(全帰属の一元)の違い

レコード(壊れた)  レコードの心性としての隠喩;「壊れた」は語られる※
壊れた(レコーダー) 

※タイプトークンでは、トークンはタイプにもなるが、このとき、トークンは「語る」こともできるし「語られる」こともできる対象として認識される 

そのとき、token⊆talked(≠語られる)が違和感あるとして、referd to なのか、calledなのか。

例えば,ProductやServiceと大文字を使用して一度その中身を定義したのであれば,それを表すときは必ずこれらの用語を使用すべきです。

Hereinafter referred to as(英文契約書用語の弁護士による解説)

呼格は早くから主格に吸収されていった。古典ギリシア語では、呼格が独立の格形を保持しているのは単数のみで、それも第一変化男性、第二変化男性・女性、第三変化男性・女性の一部のみである。ラテン語ではさらに減り、第二変化男性(まれに女性)単数のみとなる。

呼格 - Wikipedia

つまるところ,voice は,中世後期から近代初期にかけて,しばしば動詞の「態」を表わすほか,ときには名詞や動詞の屈折範疇をも広く表わすことができたらしい.  関連して,ラテン文法で「態」は "genus" と呼ばれるが,これは名詞の範疇である "gender" とも同根である.

#1520. なぜ受動態の「態」が '''voice''' なのか

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※砂川判決では、アメリカと通謀したうえで、自衛隊を合憲としたが、それは、米軍が合憲であるとき、()が合憲である要件:社会事実性を導入したうえで、(自衛隊)は合憲であるとの実証的説明を行った。このアメリカの通謀は政治的含意もあるかもしれないが、明治憲法を実質的に相続して大陸実証法に彩られた:反革命的に勝手解釈された(当時の状況ではドイツも同様であった。)日本国憲法アメリカ革命に揺り戻した(アメリカ革命の「アメリテロリズム」理解)。つまり、宮澤の主張した「8月革命」は日本にもたらされた法的正統の変更であるアメリカ革命が大陸実証法から英米実証法への変更を企図する内容を含意していたことを明らかにする。そして、反革命は、日本国憲法が実質的にGHQに起草され、また英米的制度を形式的に採用するにも関わらず(議院内閣制はープロシア・ドイツの憲法を参考にしてなおー明治憲法も採用していた。)、大陸法として解釈される違和感を前にして、明治憲法の起草から美濃部らによる解釈改憲までの歴史の変遷を相続することであった。「自衛隊合憲論」はかくもややこしい戦前からの背景を持つことであった。そもそもの明治憲法が紆余曲折を経ていたのであった※(そもそも政治的保守と法的保守をそれぞれ理解する知的習慣がほとんどなく、近代社会のポストキリスト教社会であることの理解に必須な神学論争への理解の欠如は当時からあったのであって、アメリカ革命の本旨でもある自然法を一般的にはそもそも理解する伝手がない。おそらくここらへんの理解の欠如が、文法という、英学由来の英語の日本語への機会的援用による、主語と主体の混乱の元にある。一元的と二元的を〈芽〉と〈鏡〉の比喩を通じて言語実証的に理解する必要があるのではないか。キリスト教では、三位一体を受け入れるかをめぐって、言葉が媒介であるかが議論されたのであった。主体/主語とはそういうハナシである)。近現代史を短絡する弊害のひとつ(或いは目的のひとつ)である(それは村上春樹理解にもつながる:村上はなぜ一貫して、テキストに明示される宗教の直接的な影響を、語らないのか。c.f.社会主義リアリズム。そしてそれはユング/フロイト受容ーの差異ーという意外な影響を生む → パウリ)。

※戦後の政局史上では、小泉「革命」時の、解散総選挙がある。亀井は(そのような理由による解散は)「憲政の常道に反する」と言ったが、彼は学生運動のリーダーのひとりだったのであって、すなわち(元)マルクス主義者であったが、「憲政の常道」とは実は「憲法の前に憲政あり」という日本の憲法史の特殊性に根差していたのであったから、政治的にきわめて保守的な態度で驚いたことであった(ナポレオン3世の「ボナパルティズム」を引き合いに出したりしていたので、まぁ、大正デモクラシーのことであろうがーここで「大正デモクラシー」を神話化しているのは「誰か」が透けて見えるのである。「大正デモクラシー」の背景にあるのは、世界同時的にみられた、社会の拡大経緯で、それが地方の振興乃至勃興と様々に繋がっていたのがおそらく真相であって(米騒動は目覚めた大衆による革命行動ではない。社会変化の影響を受けて大規模化したかもしれないが、或いは女性の主体的参加という多様性が認められるにしても、根っこにあるのは、従来型の農民一揆であるだろう。農民一揆はもとよりー神意的な形式に則るにせよー体制に協調的な政治的デモンストレーションであった:ステイクホルダーとしての示威である。それが革命の前駆となり得ないのは「聞いてもらえる相手」がいないと根本的に困るからであった※)、したがって、人口増加(量の増大)の社会化(意味化;正統による統合:動員)である群衆化を前駆としてあった「右傾化」を大正デモクラシーは(実質)妨げていない。つまり、それくらい、日本の憲法理解は根本的にややこしい)。
※加賀の一向一揆を考えると、徳川家康を考えざるを得ない。徳川時代はやはり「赤穂事件」であって、二重権力の一元的な組み入れに焦点が当たるのだが、それは独立した秩序を伴う体制間抗争ではなく、あくまで組み入れられた秩序の様相が問題となる体制内抗争の表現問題に帰着するのであった。それを別様に表す言葉が「天下」であって、これは中国のような革命思想ではなく、正当化思想(説明論理)である。近江商人は現行体制を理解するのにあたって、いったん抽象的理解へ返し、そこから再帰的に具体的な理解を得たのだ。それはまさに中国から輸入したであろう複式簿記にあった「科学性」のアナロジーとなる。そうして日本仏教は独自に中世を生み出すことができ世界的に見ても繁栄したが、近代を生み出すことはついになかった(が、明治革命以降の「大正デモクラシー」という中央の、、、政治運動に前後して金融資本、商業資本、産業資本として華開くこととなった。これはあまり語られない。
明治革命が重要なのは、このような徳川幕藩体制の持っていた仕組みをひっくり返したからである。加賀の一向一揆本願寺の指導にあって、やがて独自の自治に向かったのであるが、その「革命性」のうち徳川時代に持ち越されたことが何かしらあったとすれば、その「歴史」だけだっただろう。それくらい徳川時代の支配も優しいものではなかったのは、銭屋 五兵衛を見ればわかる。商業資本とは - コトバンク)。

27 私たちの魂がなにも書かれていない書字板[タブラ・ラサ]に喩えられるのは、どのようにしてか。またいかにして私たちの概念は感覚に由来するのか。(p.69)

 
yojiseki
5つ星のうち4.0 決定的著作
2013年9月21日に日

安部公房河合隼雄を通じてユングを知っただろうか。
安部公房は〈無機〉と〈孤独〉を考えたらしいが、これなどは、デュルケームだろうか。デュルケームは、コント、スペンサーらが唱えた社会有機体説を批判して社会学主義の立場を取ったらしい。
社会有機体説は
・近代自然法の反動として生まれた(外部性、正統性)
・社会機構体説と対比される(不可逆性、全体性:正統性)

社会有機体説とは - コトバンク

読んでもいまいちわからないのは『法思想史』で経験済みで、これが説明論理だからである。要は、一元説〈芽〉を由来に持つが、「神」を否定するために〈自己〉を再帰的に規定して二元説〈鏡〉と統合したのである。この「統合」が肝であって(それが「神」を否定するロジックであったことが本質。)、そこから構成的に語られないからよくわからない。神とヒトの関係を社会とヒトの関係に於き替えたのだが、〈鏡〉の二元論に帰着しないのは、社会が神の代替物だからである。しかし、それが再帰的なのは〈鏡〉だからで、すなわちパラドックス的なのだが、ラッセルのようにパラドックに気づかなかったのは、なぜか?
ラッセルの最初に考えたパラドックスの例は床屋である。
床屋が一人しかいないとき、その床屋は自分で髭をそるときに、床屋に髭をそってもらうことになる。
このいずれかを背反的な二値の属性(Aでなければ¬A)から否定する(¬Aもしくは¬¬A)とパラドックス(帰着不可:無限導引)になるというのだが、すんなり頭に入ってこない。嘘つきのパラドックスの方が説明が素直と言われる始末だ(👇P165)。 

なぜか?
ラッセルは要素性(を〈語る〉:述語を通した主語)と行為性(が〈語られる〉:主体)を分別しなかったからだ。
そして、これは英語話者による論理の発達史の正統であり、ドイツ人と相克する所以である(なんと!英語とドイツ語は親戚関係にある。しかし、同じではない。英語は被支配言語として、、、、、、、、より複雑な経緯を持つ)。ラッセルはフレーゲを「瀕死」に追いやるが、ゲーデルに「死刑」宣告される。
しかし、ラッセルはタイプ理論を発見した。イギリス流論理或いは英語流論理の素晴らしい成果である。
さて、デュルケームはそのような内部完結の考えを推し進めてマクロ(社会)の評価はマクロ(社会)の評価でミクロ(ヒト)の評価から独立していると社会学主義を立ち上げたようだ。このとき、そのミクロ(ヒト)の評価が感情からの評価であることから、それを排除することで、道徳を排除する科学性を獲得するのは、それが目的論的統合を排除したからだろう。「感情」や「道徳」と呼ばれることがあっても、その本質は(実は)デカルトエーテルである。したがって、これが〈モノ〉と呼ばれようが、ニュートン式の機械論である(デュルケームとは - コトバンク)。社会機構体に近づくが、ここで近代自然法が否定される意味がある。構成要素であるヒトの胚胎した特殊な地位が放棄されているのだろう。そこが「社会主義」である。
さらにデュルケームはアクロバットを見せる。
有機的連帯である。
これは機械的連帯に対峙する。ここで〈集合意識〉と個人を結びつける。
なんのことはない、ルソーの(否定した)「最大公約数」であるが、それが完成してしまっているのである(つまり、同数)。
ならば、これを否定するのもルソーであるはずだが、これを〈集合的無意識〉とすればユングである(機械的連帯とは - コトバンク)。準備はできた。デュルケームはフランス人で、ユングはスイス人だ。ドイツ人でもフランス人でもない。

 何故孤独が/石のように機械のように/強くあってはならぬのか

 何故孤独が/都会のように人間のように誇らかであってはならぬのか

 何故孤独が/金貨のように性欲のように健康であってはならぬのか

 『無名詩集』

P74逃亡する〈夢〉の行方:安部公房論,相澤一紀

ここにも「女狂い」が一人。『金貨』(〈モノ〉としての資本主義)と『性欲』(〈モノ〉としての動物性)が同等に並べられ『健康』(〈モノ〉としての社会)という高評価を得る。それが『孤独』(〈モノ〉としてのヒト)の反対にある。大正デモクラシーの『寂寥感』にあった秘事をここまで侵略的なエゴとしてあからさまに表現するのは清々しいを通り越して気持ち悪い。戦後の「気分」とは(朝鮮戦争のころであったか。)なんとも「男性的」なのか。〈モノ〉という表現を得れば誤魔化せると考えるのはオトコだけである。

 ヒトは自分を本当に騙す動物である

ということを真理としてそろそろ受け入れた方が良い。〈モノ〉じゃないと言い得るが、それは言い換えたに過ぎない。結局は、おそらく、同じである。
そう考えると、ヴォーボワールは先を行っている。それを事実として否定できないことを言ったのだから。「事実として」否定できないことが大事で、ならどうする、ということである。そのような社会的開放を得るには開き直ることではないだろう。隠して鬱屈する様をこれ見よがしにするのが大正の『寂寥感』から昭和の『孤独』への流れだが、それに開き直るのが最近の風潮であるようだが、ややこしいのは、『不倫文化論』であって、これも本当に言語たる社会制度をフランスに照らして正当に評価されているだろうか。日本に照らしてしまっては日本文化の表象である(から、係る『寂寥感』『孤独』の隠してきた本音の暴露にしかならない)。

 チヨという少女をサンチャが現実の中で求めていた存在であり、チヨもまた「サンチャ」という〈名前〉に自らの鎖に繋いでいたのだ。〈無機物〉になれない者たちの闘争である。

P72(同上)

要は、デュルケームの〈連帯〉であるが、だからユングであり、ともすれば近代自然法かもしれないが、ここで安部公房が村上のように社会主義リアリズムに立つならユングどまりであり、デューイに立つなら近代自然法かもしれない。人間とは結局は似たような形式を借用して語るから微妙な関係である。

ここで本当に取り上げたかったのは、

最後には、壊れた時計(これは現実との断絶のメタファーであろう)を手にしたサンチャを夢の中へとつれていくが、

P72(同上)

 壊れた時計は、壊れた(時計)ではなく、時計(壊れた)であるだろう。

 

なぜ、ジョン・サールが居るか。タイプトークンの表現の限界例。
いずれも、type(type(token))

息子が病気の友人 病気(息子(友人)) 〈指定系〉
 ある(息子)〈が〉居て、その(息子)は病気であり、また、友人の息子である

息子が病気な友人 友人(病気(息子)) 〈措定系〉
 ある友人〈は〉病気である息子  が居る 

 

www.hokusei-ghs-jh.ed.jp

 

例えば、日本でも「リベラル」の語義をめぐってもめるが、単純に「」としてしまうと、アメリカを見失う。 

要するにクーパーは、ものは最も安いところから買うべきだとの経済学の原則の教えるところであるのに、現在政府がとっている政策は、社会を犠牲にして一部の特権階級の利益を図るものだとの主張につきる。
 ここからクーパーは国民("nation")概念をとりあげ、その「嘆かわしい誤り」について批判を加えている。それあ、彼によれば、「国民をその構成部分である個人とは別に存在するある種の知的人間であり、それを構成する個人に属さない性質をもっと考える傾向」だと指摘している。しかしこうした国民概念は、単なる「文法的考案物」(" a mere grammatical contrivance")以外のなにものでもないと、クーパーは批判している(同上、P28)。


P53第2章 北東部および南部自由主義経済
アメリカの経済思想ー建国記から現代まで

クーパーは南部の奴隷制を擁護するのだが、 このように「普遍論争」を引きつつ、個人に立脚した「最大多数の最大幸福」を援用するのだ。
それに対してリストは、それはイギリス資本による「植民地農業」に過ぎないと批判し、北部の工業が南部の農業の犠牲のうえになりたつものではないとして、「個人経済学」よりも「国民経済学」または「政治経済学」の必要を主張した。

アメリカにおける世俗化された古典派亜流の経済学批判であった。そしてそのことは。リストの「アメリカ体制」経済学が、明らかに北部の産業資本を社会・経済的基盤としていたのであり、イギリス資本およびそれと経済的に結合し、その支配下に組み入れられていた南部プランテーション資本および商業資本に対する批判であり
(中略)
それはまた、同時に、北部の商業資本の主張=自由放任的経済学に対する批判でもあった。

P75第3章 アメリカ資本主義成立期の経済思想
アメリカの経済思想ー建国記から現代まで

なお、クーパーは、イギリス人で、リストはドイツ人である。

フリードリッヒ・リスト - Wikipedia
クーパー(1759-1839)は不思議な人で、オックスフォードを出た法律家で、1781年にプリーストリーに出会ってからはラディカルな社会運動家だったのだ。奴隷制廃止も強く主張していた。それが『生計を立てる必要に迫られて、時間の経過とともに、彼の思想に驚くほど変化がみられる』(アメリカの経済思想P48)こととなったようだ。

これは間に政治学上の「中間団体論」を考えると見通しが増す。
中間団体は個人を擁護するか、個人を抑圧するか。
そのようなどちらでもない「中間性」を導入できるのが特徴だ。

とまれ、日本で開国後に丁々発止していた議論は、ドイツ人がドイツ(本国)での敵を日本でうつ側面があったように記憶しているが、アメリカで一足先に、イギリス人とドイツ人はやりあっていたのだった。
この後、アメリカでは先進地ドイツへの大量留学があるのだから、やたらと日本に似ている。この「大挑戦時代」は熱い戦争ばかりに注目があつまるが、思想戦も熾烈だったのだ。

ちなみに、英語がフランス人に占領されることで国際語に飛躍したのは、フランス人が合理的にも英語を改変してしまったからだろうと思う。イギリス人はそれを学習し、被植民地民の言語を改変するなどということはせず、ひたすら英語を押し付けるのであった。