大きな子どもの読解力

 

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だれかこの若いボクちゃんに注意するベテランはいないのだろうか?
社会レベルと科学レベルの区別がついていない。
「大丈夫」というのは、『陰性証明』を欲しがる社会レベルの話であって、理論上のことではありません。実践批判のことです。

このレベルの頭がホニャララのを見ると、暗澹たる気持ちになる。
何度も言うけれど、今回の「コロナ禍」は、まず第一に人文リテラシーの危機。

日本の道徳教育は、(これもなんども言うけれど)「人権」(個人主義)を中心に、

 (最初の人権教育としての)性教育    ↔ 人体の学習としての性教育

 (実践的戦略としての、)キャリア教育  ↔ 職業教育(乃至職業訓練

 (責任主体としての)主権者教育     ↔ 選挙制度教育(乃至選挙の訓練)

を実践教育レベルでは行うべきだが、それ以前に

 パラドックス   paradox

 ジレンマ    dilemma

 セオリー    theory

を日本国民の使用する国語(論理)の語彙(概念、体系)として共有しなければならない。論理は倫理の「子ども」であって、ここでは取引観念の停止が目論まれます。その意味で、論理的な思考は、倫理的な態度を求めます。

わかるでしょうか?抽象的概念は実践的概念に置き換えられなければならず、実践的概念は抽象的概念の「実践」でなければなりません。

例えば、今盛んに「リスクコミュニケーション」が云われますが、それも確かに一面で実践的ではありますが、別の実践においては、(民法上の)「危険負担」に置き換えられなければなりません。中間利益の帰趨を社会的に決定する必要があるのです。

ここ今回の「コロナ禍」で社会結合のレベルで深刻な様相を見せた

 オペレーション operate

 アナリシス          analysis

への(区別の)無理解があるのです。オペレーションには run とう述語を持ち、アナリシスには watch という述語が当てられるでしょうか。

尚、これは社会統合の問題なのでメタアナリシス/wikipediaのことばかりを言っているのではない

 つまり、(或る意味)「子どもの読解力」の話をしています。

言語における意味

言語における意味

 

 

第二に

 


人文リテラシーの欠如はかなり深刻であって、例えば、今アメリカで或る事件をきっかけとして貧困層による暴動が起きているわけですが、日本国民としては、本当にこれを「人種差別」の問題として理解すべきでしょうか。
私は疑問を抱きます。

ある意味で、「ソマリアの海賊」の問題と一緒だろうと思います。
まず第一に気付かなければならないのは実は「日本の特殊性」です。これはあくまで仮想的な物言いですが、「疑似単一民族化による革命国家」というモダニズム modernism の一側面が見えてきます。そこでいうモダニズムは都市化 civilization の側面が大きく、都市民として十分訓練されているということです。その訓練 disciplin を与えているのは、学校と職場ですから、これはそういう「教育」並びに「雇用」の問題だと気付くわけです。そして、「都市」に対置される「共同体」の問題なのは言うまでもありません。そして共同体の問題ならば、特にアメリカにおいては、宗教の問題に気づかないわけにはゆきません。もちろん、宗教を問題視するのではなく、宗教に付随してどのような共同体間の利益調整を社会は共有してきたかへの気付きです。
私なんかが思うのは、カナダにおける実質的多婚制です。これは信教の自由に基づきます。一夫一婦制が絶対ではないのです(法定されていますが、柔軟な運用が為されています)。そしてこの法律問題を提起する共同体は、もとを辿れば、実は、アメリカの中央部から移動してきたらしいのです。

そして、アメリカの中央部はもとはフランス領でした。フランス領ルイジアナです。

何が言いたいか。中身は入れ替わっても、アメリカはもとよりモザイク国家だったのです。その「自由」な寄せ集めがアメリカという国家を為していたのです。

日本人の国家観の特徴として、国家と社会の無分別が挙げられると思いますが、類似のこととして、アメリカ人の国家観の特徴のひとつに、世界と国家の区別をなくして考えることがあることが挙げられると思います(所謂「アメリカにおけるコスモポリタニズム」)。これは日本人にとってかなり奇妙に思えるはず、、のことです。

歴史的な「分断」というと、アメリカ人は「南北戦争 Civil War」を好みますが、それこそまさに『父親たちの星条旗』の  であって、そのようにアメリカ人が話すとき彼らの社会文脈への当然の選好が含意されており、反対的にそれを共有しない我々には違和感を抱かせる、何かの欠如が潜んでいる、ことに気付かなければなりません。

即ち、我々にとって、アメリカにおける暴動は、「人種差別問題」ではないのですから、それにコミットするもアンコミットするもないのです。

もちろん、アメリカ人にとっては「人種差別問題」(の側面を持つ)でしょう。彼らの共有する社会文脈がそういう理解を要請していますから。彼らの友人としてそれに理解を示すことは大事です。

 

"つまらない"学校の勉強が如何に大事か
freedom liberty と特権例えば、不輸・不入の法(みんな、学校で習う)
明治維新を「革命」と呼ぶとなぜか、嫌がる人がいますが、これらが結びつかない点で、特別な価値を以て眺められているのであり、それこそが「革命」の源泉であり、本質であり、定義なのです。そして、「革命」の効果は、忘却です。

 

 

羅生門

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 第三補助線〚《民法出デテ忠孝亡ブ》(《法学新報》第5号)〛