今日も大作となってしまった。
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今日はまとめると、
〇ルターの共在説こそ、オッカム村のウイリアムが発見した論理的包含/論理的示唆を正統に発展させた、論理的に至当なパラドックスの元祖であったが、ギリシャ哲学(アリストテレス論理学)を否定したために、そうはみなされなかった。
おかげでバートランド・ラッセルがその栄誉にあずかれた。
〇バートランド・ラッセルの提示したパラドックスは例示がvoiceに付与される社会性(外部評価)を伴っていたので完全ではなかったが、フィリッパ・フットの先駆けとなった。フィリッパ・フットは対照的な義務の否定からパラドックスを導いて倫理を説いた。
〇増淵の読解は、渡部政盛の批判した大正新教育に源泉があるが、それはその個々の主張内容よりも、それを批判した渡部が主張した人間観の反対にあった人間像をもとにしていた。
〇増淵の人間像は対照的な義務を正義の天秤にかける主観的なもので、その評価は道徳的価値判断が行為の正しさを導いて目的合理的ということであった。
〇増淵荒木論争は、係る修正オールドリベラリズムとコミュニズムという(或る意味で、体制/反体制の対立である)二大思潮を背負ってなされていた。
以下は(今までの)総括として
〇その論争によって排除されたのは、研究者としての中島の経歴を占める耽美主義で、実際に作品を見ても、古典作品を(ゴチック的に)取り上げ規範の持つ社会効率性の彼岸を描き出すなどそれをうかがわせるが、「耽美主義」として主流に理解されたのは結局はむしろ表現対象であって、道徳と対を為すデカダンな風俗小説だったため、一方の、自然主義と象徴主義の双方に棹差したことで或いはモラリスト然とした例えばジェイムズ・ジョイス的な、表現を為す言語自身の規則性を逆手に取る刹那的、破綻的な文芸手法は無視され、中島の持つ表現の可能性ー日本文芸の伝統でもあった古典に題材をとる手法や(ジョイスに限らず)海外の作家の手法との比較で理解されることーが狭く解釈されることとなった。
1882(明治15)年2月2日 - 1941(昭和16)年1月13日
中島 敦 1909(明治42)年5月5日 - 1942(昭和17)年12月4日
とにかくかっこいい作家。リズムのある文体は音楽を聴くように読み心地が良く、当時の日本人には珍しいコスモポリタン的視点が作品の広がりや愉快さに秘められている
ようやく伏線を回収できたようである。渡部政盛が居なかったら無理だったな。
人物観対人物像を開示されなければわからなかった。