日常語と中央語

これは興味深い指摘で、参考に挙げられている教科書をなかなか手にして読むところまでいけないが(そもそも語学力の問題があって、「読む」ところまでいけません。)、これは言語の持つ制度面の指摘だろうと思う。

 

 

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 『山月記』の授業研究が興味深いのは、「読解」が言語理解ではなかったことであって、制度面の追求だった点だろうと思うからだ。だから、中国語の理解で破綻をきたす。我々は日常で中国語を使わないからだ。そして我々は日常で論理を気に掛けることがない。だから、中国語と論理は授業で一顧だにされない。
にも拘わらず我々はそこで中国語の意義(意味ではなく)を理解したと錯覚し、また、論理的に理解したと錯覚する

それは(説明の言葉尻がどうであれ)現に主張として読まれているからで、主張の帰属の適正さが問題にされたに過ぎないからだ(荒木と増淵の議論)。
したがって、これは本質的に、主体をめぐる論争であった(より政治的には類体をめぐる論争) 。ここで増淵は、『表現そのもの』と言ったが、まるで数学者以前の数術師のように、術を提示するのみで、普遍的な法(ロジック)を提示できなかったがゆえに、結局、終始荒木の議論に巻き込まれていただけに過ぎないと言える。つまり、政治的に「保守」なだけだった(荒木は「革新」であった)。すなわち、『表現そのもの』とはカントたちが主張した超越的であるがゆえに抽象的であり、また抽象的であるがゆえに操作的である神学論争の系譜を踏まえなかったために、記号論へ向かわなかったのである※。つまり、肉(パン)と血(ワイン)を(比喩:反射としての具象として)分別できず、一体として「そのもの」と呼んでしまったのだ。「パンそのもの」に意味があると考えたときに、(荒木の主張する)「生活」からは逃れられなくなった。
※論理的に読めば、  的な矛盾であって、意味をなさない。しかし、それが主張であるがゆえに主張する意味を選択的に探してしまう。「なぜ、彼はそう言うのか」。
つじつまの合うように再構成するのだ。しかしそれでは『表現そのもの』ではない。そこでは言語規則の機序から自然にそう読めるのではなく(『山月記』では自然に読めない仕組みになっている。それをどう評価するかが実証的な問題で実証主義とは社会事実をどの時点で加味するかの問題であって、社会事実を無視する営みではない。『山月記』を実証的にかつ積極的に読むならば、矛盾であるがゆえに芸術が際立つとなるだろう。そこにおける社会的事実とは「『山月記』がそこに在る」ことの社会性の解釈であるーしかし内容そのものの理解には加味されない。内容は内容であって、この場合、単純に矛盾である。別の社会的事実を探すならば、芥川『藪の中』の系譜でありーこれは前回の「長嘯」とも相性が良い、中島の耽美派の研究である。ただしそれは原則作品並びに作者周辺の文献から探し出すものであって、矛盾以外で今ここに挙げたものは、一読者の希望に過ぎない)、社会的意味付けから当然にそう読むべきである判断がなされる(したがって、意図に背く重要な内容は無視される)。

そういったこともあって、主張と論理をわかりやすく区別する方法を探そうかと思ったが。その過程で主張は制度に過ぎないことを言えればよかった。

👇主張において主体に焦点があたると感情的に受け入れやすい。
(これはそこで行われた競技に不正があったことを言っているのではない。記事としての外形のハナシである。またこれから言いたかったのは、その競技の採点における着目すべきポイントであったー主張に於いて主体に着目すべきかどうか。英米実証主義とヨーロッパ実証主義の違いをプロットしながら)

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 Washington Postには、ハーバード大学チームからのこんなメッセージが。

「予想外の視点から切り込んでくる彼らの発想には驚きました」

プログラムのディレクター、ケナー氏はこうコメントしています。
「更生が目的ではありません。他の大学の学生との交流を含め、所内の人と人との繋がりをより深めています」

ここで気づいたが、別に「虎」と「囚人」を(比喩的な意味でも)並べているわけではない
①主張に付随する主体の語彙選択があったとき、主張の評価が主体の選択した語彙の再選択なくして評価されるかの問題ー『予想外の視点』の語彙の評価
②社会統合に付随する語彙の問題ー『人と人との繋がりをより深めてい』るときの語彙の評価
語彙群の選択(囚人自体、指導者の選択と評価者の選択)に何かしら意味を見つけ出せるかどうかである。ここで学生と比較するのは学生同士の試合よりもそれが目に見えやすいのではないかと思ったからだ。
そしてディベート大会とは結局何を評価するためにあるのか。

それを見ることに拠って、『山月記』では読解上何が積極的に排除されることが当然と理解されていたかに気付けたらよいと思った。
それは「虎が吼える」ことと「人が喋る」ことの二分ではない。「人が喋る」ことと「人が喋る」ことの二分である

だからこそここで「中央語」に気づいた文芸実践である  
これは戦後における町名復活にも近い。どのような説明で町名変更がなされ、どのような説明で町名復活がされたか。すなわち、近代的な制度である。

「中央語」は所作(マナー)としての標準語ではなく、認識としての標準化に根差していた。ある種の反身体言語である。「身体言語」とはフツウ言葉に拠らずに身体を使った意志の外部化と解釈することであって、手旗信号のようなシグナルとは異なり1対1の対照群を持たない、本来異なるものどうしの同意味に着目する比喩に近い、シンボル解釈になるが、「中央語」は手旗信号に近い語彙操作の方である(しかし、法律上の「外形的に見る」ことの外部表示、暗黙の表示とは異なる。それは外部から非制限的な行為群にあって、主体間の共通の選択体験を通じて共有される意図が適切に読み取れることである。)。もちろん会話、言葉の操作も「行為」であるから、身体による外部表示である。我々が何かを言葉で表現しようとするとき、あらかじめ用意された語彙群に照らして行うときの、第一語彙群の選択に関する(標準語と重ならない部分がないワケではないが、標準語と必ずしも同じではない。)マニピュレーションのことである。

語彙は意味の体系を為すので、第一語彙群の選択は、認識の制限をきたす(それがマニピュレーションであるならば、認識の制限を企図する)。その企図が「中央語」であった。標準語が地方の言葉を言い換えるだけの表現上の変更だけを企図して着眼点や構成上の重心を変更しない一方で、中央語はもはやそんな点に着目しないし、注意を払ったりはしない。太宰は津軽弁の克服に苦労したが、単にモーラだけの問題だったのだろうか?地方が地方であるとは都会ではないことであるが、同時に、都会人の箱庭でもないことであった。中央の人が語る地方と地方の者が語る地方はおのずと異なったのではないだろうか。かつて東京の役者が演じる大阪弁に違和感を持ったのは単にイントネーションへの違和感だけだっただろうか(このご時世にそこまでの違和感を抱くかは知らないがー「かつて」のハナシである)?

着眼点や重心が異なると、会話に支障をきたすことはないだろうか。それがコミュニティーの制限であったはずである。

 

それが『山月記』の読解であるだろうと思う。
「生活者」に対峙した旧来型エリートの矜持を示したのだろう。エートスを示したのであった。それがコミュニティーとコミュニティーの対峙にしかならなかったのは、主体に根差したからであった。
虎は違う。
それが完全に人間と異なる存在であるならば、或いはそれは音に過ぎないかもしれない。つまり、蜂が8の字に飛ぶのと同じ理由であって、シグナルである。社会性動物であるが社会性動物の意思疎通は、シンボルのみによってではない。そこに気づけたらまだロジックに近づけたかもしれない。ロジックもまた音になるからである。云十年前にプログラムを読み込むピー音もまた「鳴く」と表現しても違和感はなかったのであった。そこに意味はない。意味は主体に働きかけるのである。そのとき、文章を「表現上無差別な音が鳴る「機械」(ロジック)」と読むことができなかっただけであった。記号化とは無差別化のことだからだ。記号の選択の意図を記号論は外部に排除する。それが実証主義であった。

増淵の授業は政治哲学と文学教育が混濁していた時代の産物であっただろう。しかし、彼には、政治学も法学もなかったし、根源に於いて、分析哲学がなかった。
実はいまだにマルクス主義の影響で日本に分析哲学が根付かないと嘆く分析哲学者がいるらしい。しかしそれはひとりマルクス主義者の所為ではなさそうである。

 

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