第一次世界大戦前の世界と世界観

「少し論理的にお願いいたしたい」とナフタが応じた。「プトレマイオスとスコラ派が正しいとします。すると世界は時間的、空間的に有限です。そうなると神性は超越的であり、神と世界との対立は保持され、人間も二元的存在である。すなわち魂の問題は感覚的なものと超感覚的なものとの抗争にあり、すべての社会的要素はずっと下の方の二義的なものになる。こういう個人主義だけを、私は首尾一貫せるものとして承認できるのです。ところがこんどは、あなたのルネッサンス天文学者が真理を発見したとします。すると宇宙は無限です。そうなれば超感覚的世界は存在せず、二元論は存在しない。彼岸は此岸に吸収され、神と自然の対立は根拠を失う。そしてこの場合には人間の人格も、ふたつの敵対的原理の闘争の舞台ではなくなり、調和的であり、統一的である。したがって人間の内面的葛藤は、ただ個人と全体との利害の葛藤にのみもとづくことになり、実に異教的なことに、国家の目的が道徳の法則になる。これか、あれかです」(下巻、114ページ) 

トーマス・マン『魔の山』 | 文学どうでしょう

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

 

あ、これは、トマス・アクィナスだと気付いたときに、当時の社会主義への傾倒が理解できたような気がしたのであった。
トマス・アクィナス - Wikipedia
 

 

『1915年より2年の間『非政治的人間の省察』を執筆、協商国フランスの帝国主義的民主主義に対し、反民主主義的不平等人格主義のドイツを擁護して論じた』(トーマス・マン - Wikipedia

  

『ヨセフとその父ヤコブの関係を軸に、フロイト心理学を援用しながら人類の和解とヒューマニズムの主題を扱っており、背景にはナチスの思想、特にローゼンベルクの『二十世紀の神話』に抗する意図があった』(ヨセフとその兄弟 - Wikipedia

ヨセフとその兄弟 1

ヨセフとその兄弟 1

 

『フランス古典主義からの解放』(ゴットホルト・エフライム・レッシング - Wikipedia)レッシングという人は18世紀ドイツ啓蒙思想の代表的な人物らしくて、非ヨーロッパ世界への関心が高く、「転生」の紹介者でありまた、イスラム文化への理解もあったらしい。

レッシングの空間の芸術/時間の芸術二分論は、後に、若く才気煥発な知識人であり数学者、ウィリアム・ローワン・ハミルトン(William Rowan Hamilton、1805年8月4日 - 1865年9月2日)の空間の科学としての幾何学/時間の科学としての代数学との二分論理解に影響を与えたかもしれないと思うと興味深い。 

心は孤独な数学者(新潮文庫)

心は孤独な数学者(新潮文庫)

 

 

それはマッハの時代でもあった。

エルンスト・ヴァルトフリート・ヨーゼフ・ヴェンツェル・マッハ(Ernst Waldfried Josef Wenzel Mach1838年2月18日 - 1916年2月19日)

マッハの認識論の核心部は現在では「要素一元論」と呼ばれることがある。ヨーロッパで発達した、近代哲学及び近代科学は、主-客二元論や物心二元論などのパラダイムの中にある。マッハはそれの問題点を指摘し、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだとした。つまり我々の「世界」は、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば、色彩、音、感触、等々)から成り立っているのであって、我々が「物体」と呼んだり「自我」と呼んでいるのは、それらの感覚的要素がある程度安定した関係で立ち現れること、そういったことの複合を、そういった言葉で呼んでいるにすぎず、「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などではない、と指摘し、因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる、とした。そして「科学の目標というのは、感覚諸要素(現象)の関数的関係を《思考経済の原理》の方針に沿って簡潔に記述することなのだ」といったことを主張した。

エルンスト・マッハ - Wikipedia

 

markovproperty.hatenadiary.com