中欧と東欧                                 

我々がここに取り上げる無限という概念は,トマス・アクィナスの体系において重要な役割を担っている。というのも,神および被造物を説明する,あるいはそれらを対比的に説明することは,トマス哲学の本分とも言える課題であるが,それらに取り組むにあたって無限の概念は不可欠だからである。

 トマス・アクィナスにおける 〈現実態における無限の多〉について
/中世哲学会 小山田圭一.pdf
小山田 圭一 (Keiichi Oyamada) - マイポータル - researchmap

あべまりあ   5つ星のうち4.0
無限な他者
2006年6月13日に日本でレビュー済み  

 西洋の思想の地平−西洋特有の考え方の形を決定したのは,トマス・アクィナスであり,近現代においてもなお,トマスの考え方こそは,西洋の伝統をなしているものである。思想史的におそらく正統な主張をしたうえで,トミズムを現代において活気あるものとして再把握するために,それをアリストテレス自然学から解放しようとする。  
 具体的には,アリストテレスの原因−結果というカテゴリーを,限定−被限定として読み替え,トマスの神を,なによりもまず「無限なる他者」として読みなおそうというのだ。このとき従来からトマスの鍵概念と認められてきた存在と,この存在と対置される本質とは,無限なる他者(非限定)と限定された自己同一性との対置として掴みなおされる。並行して,本質あるいは自同性は,実体的にではなく,関係性の観点から再把握される。

トマス・アクィナスの言語ゲーム

トマス・アクィナスの言語ゲーム

  • 作者:落合 仁司
  • 発売日: 1991/10/01
  • メディア: 単行本
 

そうであれば、ドストとマンを比べたくなる。 

なお、3乃至4日間の出来事。
ヴィトゲンシュタインは従軍したときに50回読んだらしい。

三兄弟を軸に親子・兄弟・異性など複雑な人間関係が絡む中で、父親殺しの嫌疑をかけられた子の刑事裁判について三兄弟の立場で向き合うことが本筋と目されているが、この本筋からやや離れたサイドストーリーも多く盛り込まれている。無神論者のイヴァンと修道僧のアリョーシャが神と信仰をめぐって論争した際に、イヴァンがアリョーシャに語る「大審問官」は、イヴァンのセリフ «Если Бога нет, все позволено»(神がいなければ、全てが許される) によって文学史的に特に有名な部分である。

カラマーゾフの兄弟 1879年- Wikipedia

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 この間にWWⅠ(1914年7月28日から1918年11月11日)を挟む。
ちなみに、アインシュタインが分子の大きさを決めたのが、1905年。
アルベルト・アインシュタイン - Wikipedia) 

その7年の滞在期間中に、サナトリウムの最高責任者ベーレンス顧問官、進歩啓蒙主義者セテムブリーニ、ロシア夫人ショーシャ、虚無主義者ナフタなど、彼は大戦前のヨーロッパの縮図を構成しているような様々な人物との交流を通して学び、成長していく。

魔の山 1924年- Wikipedia 

魔の山(上) (新潮文庫)

魔の山(上) (新潮文庫)

 

マンがこの構成を以て高名なドストを意識していなかったとしたら、いささか不思議な話であるし、戦間の活動を見ても、戦後の活動を見ても、第一次世界大戦がマンにとって「或る審判」だったと考えてよいのではないだろうか。
それを荒唐無稽と言うなかれ。
第2次世界大戦の(アメリカによる)解決にしたところで、そうなのだ。

中世の神判―火審・水審・決闘

中世の神判―火審・水審・決闘

 

 

 

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