Pan(人々に伝染する根拠のない恐怖をかきたてる謎めいた音を出す羊飼いの神)
~pan(汎)~peh(羊飼い)~phter(父親)~pater(父親)~papa
パン(食べ物)やパン(鍋)もこの系統
最期のヨーロッパの祖母(Grandma)から汎スラブ主義・汎ゲルマン主義(Grandpa)へ
パン=ゲルマン主義は、19世紀中葉に行われた「ドイツ統一」の理念の拡大であった。ドイツ人の民族主義の昂揚によって、「ドイツ語響く所がドイツである」とまで言われた。
ポーランド・リトアニア共和国の基本理念である多民族共存(多文化主義)の「コモンウェルス」の概念と対立すること、また他のスラヴ諸国と異なり東方正教会よりもカトリックが優勢であることなどから、いかなる形の汎スラブ主義ともポーランドは距離を置いた(5月3日憲法参照)
(関係ある事柄)
c.f.王政ローマ~共和政ローマ~ローマ帝国~神聖ローマ帝国
どうもローマはいろんな想像を掻き立てさせて行かぬ。
なぜ、日本では、ポーランドの歴史をこれほどまでに教えないのか。
マルティン・ブーバー - Wikipedia
「ゲーデル」が「不完全性定理を証明した」とき、「ゲーデル」は統合概念であって分析概念ではないため、「不完全性定理を証明した」は操作可能な形容にすぎないのであるが、これが誰にとって操作可能かというと、彼我のうちの一方乃至両方だろうというハナシ。神を考えるとき人間はその分析要素に過ぎなかったが、神を失って分析されない「唯一」で「単独」な地位を手に入れたかというとそう簡単ではなく、神に変わる公共善の全体性(無限性)を考えるとき、まだその分割対象に過ぎないのであった。
法の規定した人間関係の基底にあった所有概念は、実感的側面と観念的側面があったのではないかと思う。
そういった意味で、むしろ日本で、近代の黎明期においてすでに「(統合的な)ヒトとして平等」の観念が成立したのは東洋的だっただろうか(その後はヨーロッパ的な抽象的所有概念=内包概念に置き換わって行っただろうかー女性の戸主による地位確認訴訟のその後)。東洋哲学上の「天下」と西洋哲学上の「神」の違いはこんな感じだろうか。