美濃部達吉の実在論                                              "SollenではなくSein"と云うときに欠けていた可能を巡る「大きさ」の比較 

 今まで何を見てきたか。
 トーマス・マンの議論を梃子に、北一輝上杉慎吉の議論をトマス・アクィナスヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの議論に擬えることで、無限が実在として理解されなければならない時代の個人と社会の関係であった。

「神が無限であったからこそ、社会を無視して、個人であり得た」

 おそらくケルゼンの議論はこうである。法群の順序問題として考えるならば、「再帰帰納)」と「一意」から「実在」を基礎づけられると考えるとき、法そのものを法の実在(実定法)とみなせる、と言って、実定法より大きな法は(必要)ない、と謂ったのである。つまり、「必要」の問題は「可能」の問題であるということだ。ケルゼンは根本法と言ったが、それは「循環法源」と言うべきで、それが「循環法群」であってよかったどうかを言ってないところがまだ論理的に未熟であったと言えるだろうか、思弁的に過ぎると言うべきだろうか。
 法がそのようなものであるとき、国家主権説(天皇機関説)は国家それ自体を国家の実在として、即ち国家そのもの=国家実在として自己実現性を持つことを以て自己拘束的とみなせることを言うならば、美濃部たちはまだ素朴実在論を越えることができていなかったと考えて差し支えないのである。
 ただ、それが帰納的であるがゆえに危険を伴うことは論をまたず、実際僭主層(新たな支配層、支配階級)を呼び込んでいたに過ぎないが(その意味で美濃部の議論は「高尚な自己弁護」であった。)、その危険の制御こそが本質的な問題であったと言えるならば、そのどうしようもない愚鈍さは、次の「僭主」として現れて社会を支配することになった、「普遍的な科学性」を僭称する、社会設計主義に抗しうることでもあった。
  ともあれ、美濃部の「素朴実在論」が、(どこまで的を射ているかはさておき)美濃部の批判したケルゼンの「観念的実在論」がケルゼン独自のものであったかイェリネックを踏襲したものかどうかが大事で、それはつまりは、美濃部の「国家主権説(天皇機関説)」が美濃部独自のものであるかどうかの話に成ってくる。
 また、「科学的実在論」が「観念的実在論」と「素朴実在論」の、或いは止揚aufheben)として現れた時、国家社会主義国家社会主義による社会設計主義がどこまで「科学的実在論」の範疇にあるのか。
ヘーゲル的な意味でも、ドイツ人の会話で日常的に使われる、ありふれた言葉でも。
👇冒頭『ヘーゲル哲学がキリスト教と内面的な関係を持つことはよく知られている。』
ヘーゲルとキリスト教/野田又夫,Memoirs of the Faculty Letters,Kyoto University(1956),4:105-140 .pdf

国家法人説(国家主権説)

19世紀後半のドイツ国法学が樹立した国家の法概念。アルブレヒトWilhelm Eduard Albrecht(1800―1876)によって創始され、ゲルバー、ラーバントPaul Laband(1838―1918)を経て、イェリネックによって完成された。国家は、一定の領土を基礎とし、固有の統治権をもち、国民を包括する団体と定義される。国家はその成員の個々の意思とは別に統一体として独自の目的をもち、機関を通じて活動する。国家は国民の人格化ではなく、国家それ自体が一つの人格、法人である。すなわち国家人格は、国家の個々の成員のみならず、その分割されない総体の外に存在することになる。国家を統治権の主体であるとするため、国家主権説ともよばれる。

国家法人説(こっかほうじんせつ)とは - コトバンク
※包括的統一的国権(主権)が法人たる国家に帰属するという学説。主権主体を具体的な人間以外のものとすることによって、主権論の本来的な問題を回避しようとするもの。

 

ケルゼン教授の法及び国家理論の批判
緒言
第1節いわゆる純粋法学の誤謬
  1 法の本質はSollenではなくSeinであること
  2 法の成立する根拠は何にあるのか
第2節法律学における国家概念
  1 国家の国体的性質の否定とその批評
  2 国家の権力の否定とその批評
法律学上における意思の観念は果たして心理上の意思と無関係であるのか
②実在の現象としての国家は意思の主体であるのか
③国家は国を作るものであるのか
  3 国家双面説の否定とその批評
  4 国家自律説の否定とその批評
法律は当為なのか存在なのか(横田教授に答える)
1、ケルゼンは法律の本質をどのように解しているのか
2、法律は単純な観念上の存在ではない
3、法は社会力であって社会上に実在する
4、法の実在性を否定する結果
5、法は因果関係に支配される
6、法は社会心理の存在である
7、法はその内容において必ずしも当為のみではない
国法国際法一元説を駁す
第1節 序論
第2節 フェルドロッスの国際法優位説
第3節 ケルゼンの国法国際法一元説 

ケルゼン学説の批判(全)

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