こうしてようやく、トーマス・マンが『魔の山』で議論していたことが理解できるようになり、この同時代(第一次世界大戦の前後の)のドイツ人の議論を補助線に引くと、北一輝と上杉慎吉が(ヨーロッパ的思考の基礎を十分踏まえて)何を議論していたかが理解されてくるだろう。
パウル・トーマス・マン 1875年6月6日 - 1955年8月12日 享年80歳
(明治8年) (昭和30年)
上杉 慎吉 1878年8月18日 - 1929年4月7日 享年50歳
(明治11年) (昭和4年)
北 一輝 1883年4月3日 - 1937年8月19日 享年54歳
(明治16年) (昭和12年)
👇北一輝は23歳(1906年 明治39年)で『国体論及び純正社会主義』を刊行した。
トーマス・マンは25歳(1901年 明治34年)でノーベル賞を引き寄せた『ブッデンブローク家の人びと』を書き上げたのである。
なお、上杉慎吉は、24歳(1903年 明治36年)で『東京帝国大学法学部政治学科卒業(恩賜の銀時計を授与される)、同年には同大学助教授に就任した。この頃の上杉はキリスト教に傾倒』とのことである。(上杉慎吉 - Wikipedia)。
ちなみに、アーネスト・ヘミングウェイは30歳(1926年 大正15年)のとき初の長編小説『日はまた昇る』を発表した。
J・S・ミル 1806年5月20日 - 1873年5月8日
G・ブール 1815年11月2日 - 1864年12月8日
F・L・G・フレーゲ 1848年11月8日 - 1925年7月26日
A・N・ホワイトヘッド 1861年2月15日 - 1947年12月30日
D・ヒルベルト 1862年1月23日 - 1943年2月14日
B・A・W・ラッセル伯爵 1872年5月18日 - 1970年2月2日
H・ケルゼン 1881年10月11日 - 1973年4月19日
C・シュミット 1888年7月11日 - 1985年4月7日
L・J・J・ヴィトゲンシュタイン 1889年4月26日 - 1951年4月29日 享年62歳
(明治22年) (昭和36年)
蓑田胸喜 1894年1月26日 - 1946年1月30日 享年52歳
(明治27年) (昭和21年)
F・A・V・ハイエク 1899年5月8日 - 1992年3月23日 享年93歳
(明治32年 (平成4)
A・ヘミングウェイ 1899年7月21日 - 1961年7月2日 享年61歳。
(明治32年) (昭和36)
1879 『概念記法』(ただし、ただし、ゴットローブ・フレーゲ)
1889~1901 『ブッデンブローク家の人びと』
1896 『ドイツ社会主義』(ただし、バートランド・ラッセル)
1906 『国体論及び純正社会主義』(ただし、北一輝)
1913~1915 『非政治的人間の省察』
1914~1918 第一次世界大戦
1916 『社会改造の諸原理』(ただし、バートランド・ラッセル)
1918~1921 『論理哲学論考』(ただし、L・J・J・ヴィトゲンシュタイン )
1918~1919 『論理的原子論の哲学』(ただし、バートランド・ラッセル)
1919 『国家改造案原理大綱』(ただし、北一輝)
1919~1933 ヴァイマル共和政
1923 『国家改造法案大綱』(ただし、北一輝)
1923 『ドイツ共和国について』
1912~1924 『魔の山』
1926~1943 『ヨセフとその兄弟』※
1926 『日はまた昇る』(ただし、アーネスト・ヘミングウェイ)
1927 『過程と実在』(ただし、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド)
1930 『理性に訴える』(ただし、講演)
1933 1/30ヒトラー内閣成立
1933 2/27ドイツ国会議事堂放火事件
1933 3/23全権委任法制定
1936 トーマス・マン、ドイツ国籍とドイツ内の財産没収
1939 『ワイマルのロッテ』(後に、ニュルンベルク裁判で裁判官が引用)
1944 『隷属への道』(ただし、フリードリヒ・ハイエク)
※以下4部構成
1933 『ヤコブ物語』
1934 『若いヨセフ』
1936 『エジプトのヨセフ』
1943 『養うひとヨセフ』
アリストテレスの目的論的世界観は前時代のニュートンとオイラーによって、アリストテレスの実在論はこの時代の論理学者の挑戦を受けた。
新しい哲学を基に社会変革をそれぞれがそれぞれの方法で目指したのだった。