共和主義対民主主義ー共和制の対義語は

共和制の対義語は君主制と『一般には定義されている』
この定義は正しいだろうか。
しかし、アメリカの建国では、民主主義と対置される、共和主義が採用された。
民主主義は直接民主主義を指し、民主主義は、大衆という疑似的な「専制者」を生む制度と考えられたためだ。

英語で共和制や共和国を意味する「republic」の語源はラテン語の「res publica」で[5]、「公共の事」との意味を持ち、更には「公共の政府を持つ国家」の意味で使用された。特定の個人や階級のためにではなく、全構成員の共通の利益のために存在するものとされる政治体制を指した。

共和制 - Wikipedia

当時、民主主義は直接民主主義を意味し、有権者の多数となれば、権利や自由をいつでも踏みにじられると考えられていた。この多数派による暴力の最たる可能性は、金持ちに対して貧乏人が揮うことができることだと考えられた[32]。民主主義は、扇動政治家によって即座に形作られ得る暴徒支配の形態を採ることができると考えられた[33]。 

アメリカ合衆国の共和主義 - Wikipedia

 今でも、大統領は、民主的に選ばれた独裁者と表現されることはある。
「唯一人」のよる国家の暴力を避けるために、共和政とは何か、が考えられたのだ。
国民主権において、人民の意思を胚胎する大衆には自己犠牲の美徳を、人民の意思をデザインする制度には連邦制とエリート※を求めた。※直接には、大統領を選ぶ、選挙人のこと。
 

ジョン・アダムズは市民の美徳について熟考することが多かった。1776年にマーシー・オーティス・ウォーレンに宛てた文書で、ギリシャ人やローマ人の考え方に同意し、「大衆の美徳は私的なものが無ければ存在できず、大衆の美徳が共和国の唯一の基礎である」と記した。アダムズは「大衆の善、大衆の関心、栄誉、力、栄光には、大衆の心の中で打ち立てられた肯定的な情熱があるに違いない。さもなくば、共和制政府も真の自由もあり得ない。この大衆の情熱は全ての私的な情熱に勝っているに違いない。人は、社会の権利と競合する立場にあるとき、その私的な喜び、情熱および関心を、それどころか、その私的な友情や親愛な関係者を犠牲にすることに備え、それを誇り、また幸福であらねばならない。」と述べていた[27]。

アメリカ合衆国の共和主義

 

一般的な共通認識としては、共和政と君主制が対置される。
しかし、それは歴史認識に過ぎない。
このような学問では沿革を述べるほかない、経験主義があるだけであり、普遍性は最初から求められていないのだ。
アメリカには、共和主義と民主主義が対置された歴史がある。
これは、大衆とエリートの対置と併存する。アメリカには、大衆の自由を基礎としつつも、社会の広範にわたってエリートを信頼することを求める土壌がある。日本では逆に、エリートを求めつつも、エリートへの信頼は厳格に限定的であろうとする歴史の教訓がある。戦前とは異なるのだ。

アメリカの国民主権、ドイツの国民主権、日本の国民主権

国民主権 - Wikipedia
国民主権 - 日本における国民主権 - Weblio辞書
ドイツ連邦共和国基本法 - Wikipedia
ドイツの国民主権

憲法改正とは何か: アメリカ改憲史から考える (新潮選書)

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