主知主義者北一輝、主体主義者上杉慎吉                                                              上杉慎吉がネットワークの中心だった時代

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 そりゃ、違うな。
上杉慎吉を入れないから、飛躍することになる。
上杉を入れると、イェリネックを通して、カールシュミットに辿り着く。
それと、北一輝の著作を直に読んだだろうか。
北は、政体論/国体論/主権論の関係に於ける法的実在/(普遍的)実在の意味を述べていて、ぱっと見その議論は、スコラ哲学とアリストテレスギリシャ哲学の統合を「存在(esse)」で果たしたトマス・アクィナスの議論そのものだよ。
北は、政体と国体と主権の謂わば「三位一体」を実在で担保するとき、「社会進化」がギリシア的な現象理解の通り起こるのであるから、社会自体がそれ自体の実在であると論じたんだよ。北にとってはそのような変化を遂げる社会が単なる「名」であっては駄目だったんだ。そして、その一端である天皇も別の一端である国民も同じように。そこで謂われる「社会」はスコラ哲学者のいう「(神の救済対象である)人類」に比肩される。「人類」は「人類」であって誰それのことではない。

 👇トマスアクィナスが7~8ページにわたって紹介されている。北一輝を理解するには、まずはそれだけでも十分である。

政治思想史 (有斐閣Sシリーズ)

政治思想史 (有斐閣Sシリーズ)

 

 

 👇読んでみたい。これを読むと、トーマス・マンの云ったことがより明瞭に受け取られるように思う。 

我々がここに取り上げる無限という概念は,トマス・アクィナスの体系において重要な役割を担っている。というのも,神および被造物を説明する,あるいはそれらを対比的に説明することは,トマス哲学の本分とも言える課題であるが,それらに取り組むにあたって無限の概念は不可欠だからである。

 トマス・アクィナスにおける 〈現実態における無限の多〉について
/中世哲学会 小山田圭一.pdf
小山田 圭一 (Keiichi Oyamada) - マイポータル - researchmap

あべまりあ   5つ星のうち4.0
無限な他者
2006年6月13日に日本でレビュー済み  

 西洋の思想の地平−西洋特有の考え方の形を決定したのは,トマス・アクィナスであり,近現代においてもなお,トマスの考え方こそは,西洋の伝統をなしているものである。思想史的におそらく正統な主張をしたうえで,トミズムを現代において活気あるものとして再把握するために,それをアリストテレス自然学から解放しようとする。  
 具体的には,アリストテレスの原因−結果というカテゴリーを,限定−被限定として読み替え,トマスの神を,なによりもまず「無限なる他者」として読みなおそうというのだ。このとき従来からトマスの鍵概念と認められてきた存在と,この存在と対置される本質とは,無限なる他者(非限定)と限定された自己同一性との対置として掴みなおされる。並行して,本質あるいは自同性は,実体的にではなく,関係性の観点から再把握される。

トマス・アクィナスの言語ゲーム

トマス・アクィナスの言語ゲーム

  • 作者:落合 仁司
  • 発売日: 1991/10/01
  • メディア: 単行本
 

 

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