数学は社会や思想と無関係に存在するものではなく、むしろ、人間の言語能力から数学の諸概念が培われ、逆に数学によってわれわれは言語や思考の方法を鋭利なものに改良してきたのである。
ー『無限の果てに何があるか』紹介/角川文庫版のためのまえがき
(『無限の果てに何があるか』紹介 - 足立恒雄のページ)
なお、赤字強調は、私
一方、同時に、数学が他の学問ばかりか、人間の営為とは無関係に宇宙全体に遍在する数学という「実在」を探求する学問であると考える、独善に陥りがちな数学者に対して、数学は客観的実在を扱う学問ではない、人間を離れて数学は存在しないのだということを力説したつもりである。
(同上)
「数は人間の知性による自由な創造物である」
ーJulius Wilhelm Richard Dedekind
(同上)
無限の果てに何があるか 現代数学への招待 (角川ソフィア文庫)
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👇デデキントの言葉は下でも紹介
フレーゲの「形而上学」と「方法」ー汎論理主義と解明ー/荒畑靖宏
(成城大学大学院文学研究科-紀要-ヨーロッパ文化研究【第33集】 2014年3月 発行).pdf
フレーゲは、純粋な論理的推論の連鎖として数学者の思考を再現すべく、新しい記号言語を開発した。そこで彼の記号は、数学者の直観において使用される代わりに、あらかじめ書かれた規則だけにしたがって操作される。彼は自らつくったこの体系の中で、算術の真理を導出しようと試みた。5+7=12という命題を証明するために必要なのは、身体でも歴史でも直観でもない。必要なのは、適切な記号言語と、それを運用するための論理的な規則だけだ。これが、フレーゲの大胆な「仮説」であった。
ー計算と仮説/森田真生
(新潮 2018年 03月号p177)
なお、赤字強調は、私
ハトの神経活動を観察している限り、客観的な色彩世界の存在を示唆するものはどこにもなかった。
そこで彼は、発想を変えてみることにした。ハトの網膜と神経系は、ハトと独立にある外界を再現しようとしているのではなく、むしろハトにとっての色世界を生成するシステムなのではないか。ここから彼は、研究へのアプローチをがらりと変える。
(同上P182,文中の『彼』とは、チリの生物学者Humberto Romesín Maturana;『認知の生物学』(原題 Biology of Congnition))
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超算数か、メタ数学か。
ひょんなことから、言語と数学に関わりに関心を持ち続けることとなった。
必要なのは、問題文の数学的な評価である。
超算数と揶揄するのは、(受験でもそうであるが)学校外のステイクホルダーだろうと思う。(演繹能力が求められるがゆえに)ルール設定の裁量の排除を目論むのだろう。特に塾の意味が「時間の先食い」にあるなら、ノイズは禁物である。
しかし、数学とは、制限の組み合わせ以上のことはない。