VALU & SPORTS ⓮

 

markovproperty.hatenadiary.com

 


アンセルムスの神の存在証明は、

神学史上、アンセルムスが高く評価されたのは、神を「それよりも大なるものが可能でない対象」と明確に定義した点である。

 『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』P206,高橋昌一郎

 

とあって間違いではないが、この説明は誤解を孕む危険があると自分には思える。
つまり、「もっとも大なる」※という表現は、アンセルムスの証明したことの具体例であって(その内容を含むため、それを用いても説明できる。)、本質的には、神を量化して把握したことであり、すなわち、神が認識上の量であるならば、自己言及して、その量を「在る量」と独立して把握できない為、神をある量とする前提に矛盾するため(すなわち、神の或る量は、AかつBかつCかつ…と無限に説明できるうちのどれかで、しかし、論理的には、Aかつ¬Aであるために、矛盾している。「もっとも大なる」とは、AかBか、それ以外のどれかのうちの一つ、という意味にしか過ぎず、そのどれでも(「最も大なる」でなくても)"可能"で実は変わりがない)、「認識上のみ」であると独立性が保障されない為、独立性の保障のために実在の神を"必然"とする、ということである。※アンセルムスのこの言い方は、「すべての情報を含んで、なお」という意味と等しいため、∀で表現できる。
これは順序数を考えるとわかりやすく、順序数は、つまりは「数学的帰納法」であって、起点を設けることで、個々の数の独立性を保っているということである。
したがって、逆に、認識上の操作でもそのようにして独立性さえ保たれれば、無限による矛盾は生じないのである。それが、超限順序数ωであり、順序を保って枚挙的な∀であって無限である(アンセルムスが予定したのは、非枚挙的な∀であって無限である※)。
※いつも挙げる、形式論理の基礎式である。∀x∃y(x<y)が枚挙的∀の例、∃x∀y(x<y)が非枚挙的∀の例。


アンセルムスはフレーゲの業績の先駆者であるといってよいと思う。

アンセルムスの推論を詳細に分析したパーデュー大学の哲学者ウィリアム・ロウエは、存在論的証明そのものは誤りだが、まさに「天才の仕事」だと感想を述べている。

 同上p207

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)

ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)

 

なに、フレーゲだって、間違えていたのだから。フレーゲがそのアイデアゆえに偉大だとするなら、アンセルムスも同様に偉大である。