囀り(さえずり)と曰くと白す

 

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だとすると憲法17条は〈が〉系の文だろうか

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すなわち、「一が言う」だが

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日本語が不自由なのか「一〈が〉言うの(に)〈は〉」と〈は〉を補わないとうまく言えない。

〈は〉が「感動」と言いたい気持ちはわかる。しかしならば〈が〉が〈な〉ならば「禁止・命令」なのだ。〈と〉は「 」である。違和感がないではない。

 

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聖徳太子、そしてその側近の秦河勝(秦氏)を象徴するトーテム(動物霊)こそハトでした。中国のキリスト教宗派・景教と同根の原始キリスト教シルクロードを経て新羅系の渡来民・秦氏によって日本に伝わり、新羅系仏教と同化しつつ、聖徳太子厩戸皇子神話として定着しました。

斑鳩はなぜ「いかるが」なのか?古代ミステリー、七十二候「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」(tenki.jpサプリ 2019年04月25日) - 日本気象協会 tenki.jp

景教が伝わったのは知っていたが、そういう影響があったのか。
なんと聖徳太子は「(仏教景教流)鳩派」だったのか。それは知らなんだ。
じゃあ、秦氏と鳩氏でいいんじゃないかと思う。厩戸王聖徳太子)あらため「鳩氏」でよくないだろうか。そういう文献がないのか。「渡来系の「秦氏」とその影響を受けた「鳩氏」が居ました」だと覚えやすい。
これから鳩を見る目が変わる。
なんか昔にも「これから鳩を見る目が変わる」と思った記憶があるが、まぁよかろう。
イカルガ」が「イカルクルックルゥ」だったとは驚く。
👇公式説明

斑鳩町の概要 | 斑鳩町
斑鳩 - Wikipedia

何度見ても、『枕草子』と聖徳太子の三段論法(遣隋使外交文書)は関係あるように思う。

春はあけぼのやうやう白くなりゆくぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。  

夏は夜。のころはさらなり。やみやみ)もなほ、)の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。など降るもをかし。 

秋は暮れ。のさしての端いと近うなりたるに、の寝どころへ行く とて、三つ四つ二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいてなどの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。入りはてて、風の、虫の など、はたいふべきにあらず。  

冬はつとめて。の降りたるはいふべきにもあらず、のいと白きも、また さらでもいと寒きに、など急ぎおこして、)もて渡るもいとつきづきし。 になりて、ぬるくゆるびもていけば、桶の白き灰がちになりてわろし

これだけ交錯しているので避けていたが関係ありそうな語彙を色分けしてみた。
『つとめて』は「夙めて」で要は、明けないうちから大忙しな様子で、

「夙」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

どんな風に忙しいかというと、

「雪」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
「雪」の由来|天気のサカイ目|UMKテレビ宮崎

それは

雪/ゆき - 語源由来辞典

だったりする。ならば、俀王、阿毎多利思北孤阿輩雞弥(推古天皇)のことではないか。

開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥(おおきみ)と号(ごう)し、使いを遣わして闕(みかど)に詣(まい)らしむ。上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。使者言う、俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時に、出でて政(まつりごと)を聴くに跏趺(かふ)して坐す。日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて、我が弟に委(ゆだ)ぬと云う。高祖曰く、此れ太(はなはだ)義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。

遣隋使 - Wikipedia

興味深いのは「昼」で、「晝」が「書」に近く、確かに上半分は「書」と同じだが、問題は半分だ。「火」説と「口」説がある。口と言ってもマウスというより詞を入れた容器だ。薪を集めて火を燃したか、容器に祈りの詞を入れて埋めたかの違いとなる。

「闇」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

「闇」にも共通して、「門」に蓋されている「音」の下半分の「日」はひらびであって、「言(刃物で脅されて誓の意)」の「口」に「詞」なり音を鳴らす「(道具)」なりが付いている。「音」(オン)は「暗」(アン)に通じ「陰」(イン)である。「陰」は「山」+「(覆い)」+「云(雲)」である。

「昼」の「日」は太陽らしい。(「手」+「筆」)+(「|(仕切り)」+「陽」)らしいが、「法」+「家」+「陽」の方がわかりやすい(「家屋」とは四方を仕切られて初めて「家屋」なのだが、謎なのは、なぜ下線も引かれているかだ。
そうすると、「法」+「囗(めぐらす)」+「陽」であって、「太陽の運行に関する決まり」の方がわかりやすい。
そうすると自然の決まり(詞)である「音」と対照的になる("て"と"ね")。

【漢字トリビア】「書」の成り立ち物語 (2017年4月16日) - エキサイトニュース

「家」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

部首「囗(くにがまえ)」の意味・成り立ち・読み方・画数を学習

「巡」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

「霜」は「雨(天)」+「喪(失)」らしい。「(いと)白き」「(いと)寒き」の分別を導く。「雪」は清浄だ。

「霜」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

なるほど、「日」ではなく「火」を以てしてもついには「わろし」なのだ。
「白く」「紫立ち」が「白き」「灰がち」になる。

109「火」は物を焼く時の音に由来する語か? : 常用漢字論―白川漢字学説の検証

「火」が漢字の由来から言えば「微妙」なのだ。
そうすると、統一的なイメージがつかめる。

 春   夏   秋   冬 
天子 自然 人為

太陽信仰であると同時に、「鳩」ではなく「烏」(や「鴈」)であり、「夙」を暗に批判し?あらためて太陽信仰を確認している。

深読みすれば、聖徳太子薬師如来を信仰して「女を男に」することで対等外交を指導したが、やはり「弟」たる「曙(日)」こそ望ましい。それを導くのが「烏」だ(「鳩」の否定)。

日本書紀』では天照大神によって遣わされたと伝わる。

八咫烏 - Wikipedia

金鵄(きんし)は、『日本書紀』に登場し、神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄。

金鵄 - Wikipedia

仁徳天皇の本来の名前は「大鷦鷯(オオサザキ)」であり「鷦鷯」とは「ミソサザイ」という鳥の古名だからです。

茨田堤で雁が子供を産みました

『ようよう』は「漸漸」で「八八八八」であり、これは8888ではなく「又又又又」であり二分の連なりのことだ。春から秋にかけて威光が轟き、冬に一面を覆うが、それは喪失でもある。

やすみしし 我が大君は 宜(ウベ)な宜(ウベ)な 我を問はすな 秋津嶋 倭の国に 雁産むと 我は聞かず 

茨田堤で雁が子供を産みました

『やすみしし』とは

高光る 日の御子 夜須美斯志(ヤスミシシ) 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの月は来経ゆく

安見知・八隅知とは - コトバンク

蛍は「星垂」「火垂」の語源が言われているらしく、「垂」は草木が辺地に届く様だ。

彼地多有蛍火之光神及蠅聲邪神

第272話 ホタル - 「ホタル」は豊かな自然環境のバロメーター - ピートのふしぎなガレージ -TOKYO FM 80.0MHz

「木」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

木は柱に通じ、神聖なものとして古墳造成では氏族ごとに立てさせたものである。

 

と、このように〈訓む〉と、どれだけでも解釈が広がる。
ただ、建国神話に根差した「教書」だろうことは想像できる。
問題は(神武系烏派?、仁徳系雁派?が)鳩派(新仏教派・景教派)をどれだけ排斥したかだ。
紫式部との論争はそれが焦点だろう。

二曰。篤敬㆓三寶㆒。三寶者〈佛法僧也。〉則四生之終歸。萬國之極宗。何世誰〈一作㆑何〉人非㆑貴㆓是法㆒。人鮮㆓尤惡㆒。能敎從㆑之。其不㆑歸㆓三寶㆒。何以直㆑枉。

(略)

五曰。絕饗棄欲。明辨訴訟其百姓之訟一日千事。一日尙爾。況乎累歲。湏訟者。得利爲常。見賄廳讞。便有財〈一有者字〉之訟石投乏者之訴水投是以貧民。則不所由。臣道亦於焉闕。

十七条憲法-Wikisource

「者」を「は」と〈訓む〉のは、解釈に過ぎない。


枕草子』を「随筆」と断定して違和感がない、後期の思想状況こそ不思議だ。
そう考えたら、明治期の正岡子規志賀直哉も、けっこうキモいな。
一生懸命、近代的「復古」を形成しようとしていた。
井上毅は欧米帰りのロジシャンだからわかりやすく非難された。

志賀直哉の大山の有名な描写にはまったく感動しなくて我ながら驚いたが(まだ、   『城崎にて』のいもりの描写には感動した。)、こういう宗教的感動がないと理解できないしろものだったのだ。
逆に言うと、明治、大正のひとの思想はそうだったということに他ならない。
志賀直哉無宗教家というが、しっかり宗教に根差しているではないか。武者小路もそうであったが、気取っていただけである。
乃木希典こそイイ面の皮だ。こういう連中に貶されていたのか。
ちっとも変わりがないではないか。