メモ

 今向かっているのは、明らかに、
いじめ防止等対策のためのスクールロイヤー活用 ... - 文部科学省 2019/07/02 .pdf
こっちなんだけれどね。
それはたぶん、

「学校保健の歴史」(1)|その他|コラム|学校保健ポータルサイト
学校に配置された看護師の職制と職務に関する一考察/守屋美由紀,津島ひろ江/2003.5/川崎医療福祉学会誌vol13No.1 2003 127-131.pdf
学校看護の歴史的考察/藤原素子/1994.12/北海道女子短期大学紀要第30号

学校看護がモデルになると思う。バックボーンには、キャリア教育がある。

マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実

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そして、そのキャリア教育の背景に、所謂「民営化」が絡むことは考えられる。
ここでいう「キャリア教育」はコマーシャルリズムなそれであったり、現に岡山の高校で実施されているような(研究職としての)「職業訓練」ではなく、語義本来の、『個人』の戦略的  のことで、したがって(個人の尊重を当然の前提とした)法的リテラシーの教育が前置され、(そのような社会の尊重を目的とする)主権者教育が後置される。

背景の所謂「民営化」との絡みについて。
どこにフォーカスを当てるか難しいが、わかりやすいところで、「ゆとり教育」と「英語入試への民間入試導入」を挙げたらよいだろうか。
それぞれ別の政策的文脈を持つが、大きな括りとしては、「国家」の相対化(社会に於ける1プレイヤー化※)とアメリカ型(自由)社会への移行が挙げられ、前者にはヨーロッパの学風の影響を受けているので、「アメリカ」とひとくくりに出来ない(なお、ヨーロッパ型組織或いは社会とアメリカ型組織或いは社会の比較において、伝統的な政治学上の学識からは、「中間団体」の有無が指摘される)

ゆとり教育」は「格差」を公に認めたことが画期(効果としては、晒したことが、画期"的")なのだが、もちろん学校は、システムとして、経済格差を穏やかに均す(或る近代社会の)装置の一環~ベンダマシーン(ガラガラポン)であったのだから、大きな感情的な軋轢をもたらした(が今花盛りの教育の自由化の希求への基礎を与えたのは、学校の社会から求められる中心的なタスク※と学校(自体)の表現論ーそれは端的には建築様式に見て取れるが、コア・コンピテンシーも含むーの見直しがあったからである)※学校が「社会人」(より正確には共同体の成員であるがーこれは実際の話ととして、明治の学校設立の最初から、共同体の中心位置に、(「学校に行かなくてもよい」とする農村社会(の父権性)に並置されつつ※)「共同体の中心」として、建てられることが求められてきたー、社会が一様に広がっているという、近代社会の理想的な社会観がある。)の再生産を求められるのは普遍的であるが、目的を生み出す社会が変化しているために、それに応じてタスクに変化が求められるている。その変化は明治維新時のあれやこれやを思い出させることで、「知育」「体育」「徳育(モラル教育)」の再認識と、情動教育と認知の発展段階に応じた教育の再配置に向かっている。
※これって実はすごいことで、学校が「軍隊的」であるのはよく知られているが、仮に学校内部が「全体主義的」であっても社会全体では権威の二重性が一般的だったのだから、その「中心」性が社会にどれだけの影響を与えることができたかまではわからない(これは、戦争の、都市部と農村部での受け取り方にも影響を与えているようにも思う)。その二重性が共同体の成員皆に幸福をもたらしたかどうかは知らない。

国防婦人会―日の丸とカッポウ着 (岩波新書)

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日本の軍歌 国民的音楽の歴史 (幻冬舎新書)

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 👆要は、()に入れる相対化も一般的で、うまく消費できていたという話。

これはいきなり現れたわけではなく、一方では70年代から学生運動対策として学生の学識(における、少なくとも、意識)レベルを入試段階から下げるという物語もあるにはあるが、直近の事実としては、塾との歴史的和解がある。
「英語入試」については、その前段に、センター試験河合塾等への民間委託があるし、また大学院の入試における実績もある。大学ランキングに表徴される、グローバル化における大学の価値の見直し※があって、日本の大学も、授業の英語化と(「秋入学」が求められるような)留学の奨励と促進もある。
※そこには中国の経済的な台頭による、留学生の激増に関する諸問題があるし、それと直接に関係があるかわからないが、日本の留学者数の減少(実は、公には語られないが、即ちアメリカの学識レベルでの影響の低下ー東大はハーバードの下請けと揶揄されることもあることを理解できるか)への懸念があった。

そうした世界と日本の大きな社会の変化を踏まえて、所謂「民営化」を考えても、『国鉄民営化』などは古い話であって(馬鹿げた話でないのは、ノーベル賞を受賞した経済理に基づくことから、わかる。そして、現に成功している)、「郵政民営化」ですらなく、むしろ似たような感慨を抱くのは、「道路民営化」であって、それはNPMの文脈に在るPFIの流れに沿った話である。それならば、塾との関係で、民間資本とのある種の「結合」ということだろう。これも、民間側から眺めると、例えば、小さなレベルでは「1円起業」、比較的大きなレベルでは企業買収といった、資本の流動化に掉さした社会に於ける、(カイシャから見た)資本構成と組織運営の最適化の流れの話に近づくのではないだろうか。
そうすると、法科大学院の乱立の是非に近づくのだが、あれは実際のところ、不動産経営の問題だったのだが、それを促すこれまた社会の流れがあった。要は、大学の乱立問題があって、それは大学生の激増問題なのだから、逆に、エリートである大学を頂点としたピラミッドが(エリート大学を頂点としたピラミッドではない。)維持できないための問題であるとしたら、大学院で民間試験を導入していることに、大学院の扱いに何かしらの寂しさを感じないわけではない。


長くなったが、所謂『民営化』などの言葉は所詮タダのマジックワードであって、そんなことを言っていても、何もわからない。
社会は一体となって変化しているのである。

(メモ)
資本主義と簿記
イギリスの奴隷制廃止と労働者雇用
簿記のイギリスにおける完成
近代主義ニュートン主義
ロック(イギリス)とルソー(フランス)
労働価値説(イギリス等)と行為(無)価値(ドイツ)と限界価値説(フランス、イタリア、ドイツ、イギリス等)
資本主義と全体主義 

資本主義に出口はあるか (講談社現代新書)

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