👇これ、ボクの小学校の同級生にも、居たよ
【教育心理学】
— 河原省吾 Shogo Kawahara (@HUiixIAZRyCVXZ1) 2019年10月7日
分数の通分を 習い始めた小学生が
2/3+3/5=5/8
と 解答した
その理由を 聞くと…
野球の選手が
1試合目 3打数2安打 → 2/3
2試合目 5打数3安打 → 3/5
で
2試合の合計が 8打数5安打 → 5/8
だからだと 答えた
…あなたは この小学生に どう教える?
算術平均の定義
算術平均 - Wikipedia
👇左の模試の結果の比較は、実際に、ワタクシの中学生のときにあったことです
(点数は適当)
この児童の理解の仕方を受け入れて、敢えて(コレに限って)説明を試みるなら、👇こうなるかな
「加法性」ということを踏まえて
👇言いたいことはわからないではないが、それでは納得しないだろう。
10割と10割を足しても10割だから。
本人が 「バグ(という言葉は使わなくても)だった!」と 気づくには
— 河原省吾 Shogo Kawahara (@HUiixIAZRyCVXZ1) 2019年10月7日
Nobさんの説明が 入りやすいかと
大学の授業で 学生も…
もし この子の考え方が 正しいとすれば…
1試合目 1打数1安打 → 1/1
2試合目 1打数1安打 → 1/1 なら
2試合の合計 2打数2安打 → 2/2
で
1+1=1
となってしまう!
と説明 https://t.co/98sd88kCxq
1=1.00
彼は闇雲に分母と分子をそれぞれ足しているのではなく、それが「打率」に等しいことを言っているのであるから、
彼の計算では、1+1=1.00(10割)《足す》1.00(10割)《は》1.00(10割)
となるはずで、彼は納得せずに、
例えば、
1+1=2/[1]+[1]=1
を区別するだろう。
ここで彼が主張するのは、こうであるはずである。
[1]+[1]=1が正しい場合もある
言い換えると
部分的に正しいこととして、[]に入れてしまうと、[1]+[1]=1
すなわち、
1+1=2より(1/2)+(1/2)=1であるから
これで部分化された等式を還元すると
[1]+[1]=(1/1)×(1/2)+(1/1)×(1/2)=1
それだけで理解に近づくのではないだろうか。
それでは最初の彼の計算に戻る。
[3/5]+[2/3]=5/8 は部分的に正しい。
5+3=8より(5/8)+(3/8)=1であるから
これで部分化された等式を還元すると
[3/5]+[2/3]=(3/5)×(5/8)+(2/3)×(3/8)=(5/8)
加重平均の意味と計算方法 | 統計学が わかった!
先ほど、算術平均は、A=(1/n)Σfと記述したが、
ある事象群{x}の度数群{f}の比を表わす群{℘}を考えると、
A=Σ(xf)/Σf=Σ(x℘)であるとき、(Σ℘=1で){f}={1,…,1}
で与えられる(特殊な)場合である。これを踏まえると
x(3/5,2/3),f(5,3),℘(5/8,3/8),つまり(機械的には)
{3/5,3/5,3/5,3/5,3/5,2/3,2/3,2/3}の算術平均であるが、これに先立って
x1(1,0),f1(3,2),℘1(3/5,2/5)
{1,1,1,0,0}の算術平均
x2(1,0),f2(2,1),℘2(2/3,1/3)
{1,1,0}の算術平均があるので、
つまり
(1 (3/5 2/3 (5/8
0) 2/5 1/3) 3/8)
{{1,1,1,0,0},{1,1,0}}すなわち{1,1,1,1,1,0,0,0}の算術平均である※。
※算術平均の定義により、{{}}={}
このとき算術平均の性質により、{1,1,1,1,1,0,0,0}も(順序を入れ替えた){1,0,0,1,1,0,1,1}も同じ算術平均を導く。
これに対して「通算」とは
Σ(xΠfexp)/Πfを、(特殊な)比例式Y=(Πf)Xに当てはめて考えたときに、
Y=XをY=kXに写すと言える。
👆グラフの和から、この児童の考えに近づくと、下のグラフになる。
👇そして、分母を足しても差し支えない場合を考えてみる。
ならば、(9/15)+(10/15)=(9+10)/{(15+15)/2}=2×{(9+10)/(15+15)}であり、上の、シェーマを用いた図の説明になる。
比と比例 - 学ぶ・教える.COM
👇オーソドックスには、「内包量」であるとか「外延量」であるとか
http://www.educ.juen.ac.jp/educ/wp-content/uploads/134.pdf
問題は、
1/2+1/2+1/2=3/6
としても
1/2×3=?(掛け算がわかっていないか?)
ならば
3/6=1/2?(約分がわかっていないか?)
である。
このとき、この児童には、どこまで遡って教えればよいだろう?
児童が陥っていたのは実は「意味論」であって、他方、問題が求めていたのは法則性だったんだね。彼は(勘違いしていたけれども、一方の)「意味」は正しく理解していたのであって、「学び」というのは、「知っていること」ことの延長で「知らないこと」を理解しようとする営みであるはずだから、「学び」の姿勢として、彼に落ち度があるわけではない。ここで求められてたのは、それが新しく獲得する抽象概念なんだから、どうすれば既知の事実と正しく接続できるかが、問われている。
👇目的論から物理学を救ったのは、ニュートンだったけれど
目的論から数学を救ったのは、オイラーだったんだね。
「無目的」なグラフに落とし込んでみるのも、一つの「手」かもしれないよ。