日本会議って何だろう、ってずっと不思議に思っていて。
雲をつかむような話で、よくわからない、という感じで。
ただ、今日、これ立ち上げた人がワコールの
要は、近江商人か、と思ったら、腑に落ちた。
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/3038/1/76-3chiba.pdf
この論考の素晴らしいところは。
近世と近代がなだらかに繋がっていたということで、朱子学についても、理を二つの理に別けた、つまりは自然と当為に別けたことを評価していてわかりやすかったし、簿記の持つ二面性が実は、行為実践したがって規範とそのフィールドすなわち自然構造を表していて朱子学と結びつくし、或いは、マルクスと結びつく。マルクスは、簿記のそもそも制度であることを括弧に入れて、(そこにある二面性と左右対称性に着目して)「科学」と嘯いたんだ。そして、それは操作面と非操作面があると言い換えられると言えば、簿記の持つ対話性の説明になる。
やはり下部構造は「法」だったんだよ。マルクスはそれ(簿記はもともと制度に過ぎないこと)を括弧に入れて、入れたからこそ、下部構造が経済構造と言ったんだ。これは嘘なんだよ。
近代主義にばかり目が言っていたけれど。近代と近世の線引きを曖昧にすれば。
日本会議は近江商人組合だったんだ。なるほど、確かに、そこに伝統はある。
しかし、それは近世から近代の話で、もう古い。
社会の教科書に世界に伍する複式簿記を発明したって書いて終わればよい。
算聖関孝和と同じ扱いで好い。確かに関は偉いし、研究の対象にはなる。
しかし、今関流算術を尊んで実践する者がどこにいるんだよ。
社会の教科書の中が、彼らの本当の居場所だ。
いやー、そら、ここいらの人が関心持たないはずだね。
- 作者: アブナー・グライフ,神取道宏,岡崎哲二
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2009/12/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 3人 クリック: 270回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
銭と寺社ー営為と超越
慣例集詳細「鼻血が出た場合と戦闘準備の合図があった時を除いて食卓を離れてはならない」
興奮したけれど。
なんだ、中国にもイタリアと同時期に、複式簿記が発明されたのか。http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~satoshi/youshi/jiyu44.pdf
そうなると。西欧の影響ばかり考えて、近江商人はその影響を受けていないとしてたが、中国の影響は受けていなかったのか?
👇名著。