意見の食い違いがあって、不思議に思っていたが、どうもこういうことらしい。
概念【λ】の要素解釈が、Y⇒当為X/Y∨¬当為Xとあるとき、Xが「無答責」(Y∨¬当為X)である場合にしたがって、Yであるとして、概念【Λ】を返すか、「無答責」であるとは主体間の問題であること(間主体性)から「無答責」であることの主体に帰して、概念【λ】の解釈を委ねるかの違いであった。なお、様相論理 - Wikipedia
(なお、記号操作に関しては厳密性に拘らず、試みである。)
つまりは、例えば、中国式の、概念の論理学とユダヤ式の、対話の論理学の争いーモノローグとダイアローグの争いであったと考えると、わかりやすかったのだ。
ちなみに、いろいろと誤解されても困るが、中国式の概念の論理学について、私は非常に面白いと思っています。それを社会哲学として制度の基礎に据えるかどうかには興味なく。
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