amazonの「欲しいものリスト」が更新されてよりわかりわかりやすくなっていて、支援したい側としても助かる。たいへんななか、手間を増やして申し訳ないけれど、まだまだ時間がかかることでしょうし、頑張って欲しい。
でも、ポカリ2リッターペットのセットは23日に届く予定で、もうしわけない。もうキャンセルできず、「返品」扱いに成る。それはさすがに迷惑だろうから、そのまま送らせていただいただきます。ほんとうにもうしわけない。
(タイムラグも込みで、⦅100+α⦆%で考えているだろうと期待して、あまえさせていただきます。)

そうすると、👆の例も、失敗した者としては、あんまり責められないんだよなぁ。
もちろん。
普段から、町内のゴミ出しで、リサイクルを意識して行っているなら、古着については受付られないものがあることもわかっていると思うし、小さいお子さんがいらっしゃるご家族のかたなら、「バザー」を経験していらっしゃるだろうから、わかるのだろうけれど。

これもいっしゅのパニックなんだよね。
東日本大震災のときは「エリートパニック」が問題になったけれど。
やっぱり、上で挙げたような、日常生活での周知と習熟がまだまだ必要なのだろうか。リサイクルの場合、例えば、東南アジアなんかで、自動車のシートのウェス(クッション材)なんかに使われ"た"ものだけれど、一方災害支援の場合は、リユース(『フリーマーケットやオークションで古着や中古品を他者に譲ったり売ったりして再使用する場合』コトバンクリユース』より)なんだよね。
要は、メルカリに出せば、まだ買い手がついて売れる物を無償で提供するんだよ。
仮に「もったいない」と頭によぎったとしたらすごく正しくて、その価値を移転するのが支援だから。それは募金の代わりであるし、相手の生活を自分の生活や一般的に見て「ふつう」と思われる生活に引き上げる、生活の標準化の一部負担であるから。
実は、おそらくそれくらいわかっているのじゃないかと思う。
つまり、それを理解してなお起こる、このような「小さなパニック」を減らせるような工夫に対する支援ってなんだろうねってことで。