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デジタル庁の"本来"「一丁目一番地」は「戸籍」でしょう。つまり、個人登録化。
「選択制夫婦別姓」という単に仮想敵への政治的勝利を目指すだけの欺瞞的なレガシーの維持ではありません。
それが諸制度に反映されて財産形成の認識の変化を促し、行動に反映されるようになったら、はじめて「新生活様式」と呼べるでしょう。 
そこでの社会単位は「人権」となるでしょう。
この国でもようやく「人権」を基礎に社会建設が目指されるかもしれません。

面白いのは、英語が現在の英語に近づいたのは、フランス人によることで、多民族の使用で進んだ一種のクレオール化だそうです(古英語からの断絶)。経験を伴なう煩雑さが排除され、語順ルールによって単純化されたのです。
なるほど、この簡明さと、開明さが、英語を国際言語に押し上げたのかもしれません。
フランス語も国際言語のひとつで英語と競っていますが、しかし英語の特殊な地位を考えるとき、ヨーロッパの歴史の深遠を考えずにいられません。
社会変革とはそのようなものではないでしょうか。
そのときに、学校がどう変わるか。