あーちゃんママさんの最新ブログ記事です。補足していただけて、ほ。。
— Mai C. (@mcatwork) 5 februari 2020
「改めて”ギフテッド”とは」の補足記事 : Carpe Diem https://t.co/T8PQIE4D75
ギフテッド - Wikipedia
【いろいろ眺めた私の非学術的な雑感※】
※正しい言葉遣いは保障されていない
発達障碍(認定)と「ギフテッド」の認定の方向性の違い
⇒社会(性)をどこで導入して理解するかの違い
「還元主義」を巡る争いでもある。
発達障碍は、敢えて対比的に述べるならば、「本人原因説」
脳機能のバランスと社会行動のバランスの対比において発見され
(このとき、知能指数も社会行動の指標に過ぎない)
バランスの悪い行動(知能テストの結果を含む。)が還元的に脳機能のバランスの悪さを説明するが、例えばストラテラのようなもので、脳機能の操作にエビデンスが在り、それを以て行動改善が科学的に保証される。
「本人"原因"説」が(誤った)社会効率上「母親"責任"説」に混同されやすいので忌避され(場合によっては、それが「ギフテッド」への誘因、或いは最近では、 へ誘因となる。)、ともすれば「悪い(行動)」に規範性を見て、その矯正に批判的な態度を選択させる。
「ギフテッド」は、敢えて対比的に述べるならば、「社会原因(抑圧)説」
現代的な「狂気のロマン主義」を胚胎する。
社会政策としては、「人権(問題)」に集約され得るので、その社会の「人権観」が素直に反映されやすい。即ち、日本では弱者保護に偏りやすく、アメリカでは自由に直結して、社会目標の効率的な実現への説得機序(枠組み)を与える。
具体的には、①飛び級(制度内の逸脱)➁(制度外への逸脱)の取り扱いを巡って、
❶審級基準❷カリキュラム選択(の自由度)❸アクセス保障 が問題となる。
このとき、リテラシー教育(人権教育)⇒戦略的キャリアデザイン⇒主権者教育
の順序を受け入れるならば。
「ギフテッド」という言葉は、社会政策決定を担う主権者の「一人」である母親たちを励ますためにあるだろう。
子どもたちに必要なのは、望ましい時期に望ましい方法で体系的知識を獲得できるようにそれへのアクセスが保障されることであるだろう。