『巨人の☆』の三段論法

ちなみに、ギャラクティカ・マグナムの方が有名だったけれど、フツウに考えて、マグナムよりファントムだよな。

でもあの頃、44マグナムも流行ったから。「なんか知らんけれど、大口径だから凄いに決まっているだろう」ってイメージあった。

本当の蘊蓄は「いや、44マグナムだと」と始めて白ける。
だから、「蘊蓄」と「能力(スペック)」と直接結びつけるのは、実はニュアンスが伴う。そこにファンタジーという「飛躍」がないと。

 

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梶原一騎の特筆すべき点は、そのストーリー性もさることながら、ロジカルでもあるからだ。

前回、『大リーグボール』と一括して述べたが、『大リーグボール』に3種類ある。所謂『1号』『2号』『3号』で、裏の主人公である星一徹は、飛雄馬がそれを『大リーグボール』と名付けたことに憤慨するが、一転して嘲笑し、立ちはだかる決意をする。なぜなら、『1号』は、打ちとらせる魔球で、ただの『魔送球』(のアレンジ)だったからだ(ルール上の疑義はそもそもある)。『2号』は、消える魔球で、『魔送球』に忍術(「隠れ身の術」)を加えたもの、『3号』は、逃げる魔球で、合気道である。

『右投げ1号』は、分裂する魔球で、ナックルがもともとのアイデアだが、忍術(「分裂の術」)に科学(蜃気楼)を加えたものとなっている。サーキットでテストドライバーを買って出て、事故を起こしつつ「発見」したことだ。

毎秒795回転!飛雄馬を引退に追い込んだ魔球の仕組み | EMIRA

憶測だが『3号』は、王貞治の1本足打法の訓練が元ネタじゃないかと思う。
最初、ピンポン玉かと思ったけれどそうじゃなさそうで、つまり、王は真剣を持った訓練もしたのであるが、

ひらひらと風に舞う紙は、なまくらな扱いでは絶対に切れない。「静」から「動」へ

王貞治が居合から学んだ打撃の極意。真剣を手にした練習で新境地へ/特殊技能を持ったプロフェッショナル | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

赤字強調は引用者。
漫画上は、師匠の荒川博はさらにその上を行き、吊るされた短冊ではなく、空中に舞う紙を居合切するパフォーマンスをみせたんじゃなかったかと思う。
元ネタはこれだと思う。つまり、王貞治でも、いや、王貞治だから、打てない魔球として(『3号』は下位打線にはちょこちょこ打たれた)。

合気道 - Wikipedia

そうすると、『3号』がシュルシュルと音を立てた理由も想像がつく。

独楽(こま)がなぜ倒れないのか?|10、その他|合気道広島会 広島北道場ブログ

おそらく独楽である。ピンポン玉ではなく、独楽だったのだ(ちなみに、you tubeには、『シュルシュル選手権』を卓球の選手がやっていて、おもしろい。ラケットにスピンをかけた球をほうりつけて跳ね返ったところを5本指を窄んだ上に乗せるのである)。

すなわち、

  1.  卑怯
  2.  卑怯 + 術        
  3.       術 + 精神        
  4.       術 + 科学

となっていて、それぞれ表のストーリー/裏のストーリーがある。

  1.  科学的トレーニング(花形満)/様々な煩悩(飛雄馬
  2.  科学忍術・二度振り(花形満)/1本足打法(花形)
  3.  脱力打法(伴宙太)/解脱(飛雄馬) 
  4.  ー 

なぜ、左門豊作じゃなかったのか。わからないが、花形満トリックスターのようだ。要は、ひとりだけ日本人離れしている。伴宙太は花形のライバルで左門はライバルとなりえなかったのだろう。
ここに日本的な三段論法の特徴が見えるかもしれない。聖徳太子の三段論法にもみられるが※、通過儀礼の「離陸→混融→着陸」(宮台より)の三段階に模して、二段目にコミュニタス communitas(混融)を置くのだ。

※これが事実をイデオロギーで歪ませる理解ならば、却下しなければならないが、どうだろう?これは、法哲学者のいう、法的三段論法の曖昧さと比べてどうだろう。

いすれにしても、シャーロックホームズ的な科学によるミステリーという、探偵ものの面白さもある。「能力」を題材にするとき、「蘊蓄」はテキスト構造を通してミステリーを準備する演出効果があるのだ。しかし、そこにファンタジーが求められる。飛躍が望めなければジュブナイルなストーリーが続かない。そこは話を収束させるホームズと異なるかもしれない。

ターナーがこの言葉をどのような意味で使ったかを端的に言えば、 まだ組織が確定されていない状態。そして、自然に人が集まった状態。 まだコミュニティと呼べない状態を指します。 ターナーは例えばカーストコムニタスの対義として指摘します。

mbp-japan.com

 

ヴィクター・ターナー - Wikipedia

昼メロ・パターンを最初に洗練させたのが、今村昌平監督『赤い殺意』(1964年)だと思います

(2ページ目)宮台真司の『岸辺の旅』評:映画体験が持つ形式のメタファーとしての黒沢作品|Real Sound|リアルサウンド 映画部

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=105

👆通過儀礼が置き換えられる青年期

 

さて、

星親子を見て「失われ行く日本の美を感じた」と言う花形に対し、「そういうものを大切にしながら、西洋のものも良いものは取り入れて、明日の理想の青年像を花形さんは求めていらっしゃる」と明子が看破している。

花形満 - Wikipedia

花形はめちゃくちゃなキャラクターだし、古い一面もあるけれど、要は、科学的トレーニングのことだね。当時、「能力」と「科学信奉」と「アメリカ」が結びついていたんだね。
そういった思い込みとは別に、花形満のモデルは村山実というのは確定しているらしく、

同年はデトロイト・タイガースが来日した日米野球でも活躍し、11月17日の後楽園では野村克也(南海)とバッテリーを組み、8回2死までノーヒットノーランに抑える快投を披露。終盤に2安打を喫して快挙は逃したが、無四球9奪三振の完封勝利を収めた。日米野球で日本人投手が完封勝利を収めたのは史上初の快挙

村山実 - Wikipedia

ならば、星飛雄馬のモデルは沢村栄治なのかってところだよね。
そうすると、『明日の理想の青年像』が響いてくる。
『明日の』は『あしたのジョー』とも通底するが、ジョーの『真っ白に燃え尽きた』ラストシーンはちばてつやのアイデアで、梶原一騎の考えたラストは、廃人(パンチドランカー)になるってことだったらしい。
ただ科白があって『お前は試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ』というものだったらしい。

あしたのジョー - Wikipedia