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というわけで、田中義一なのであるが、
田中義一で検索すると、いろいろと出てくる。目についたのは、田中は初代拓務省長官なのだが、
関東長官を現役武官に変更したことで、後の軍部大臣現役武官制(の復活)を彷彿とさせる。
平沼騏一郎は相当の切れ者だったらしい。これなども平沼のアイデアでないのか?
永田鉄山や石原莞爾が「坊や」に見えてしまう。
田中義一のころは、原敬のころでもあって、田中は在郷軍人会を立ち上げることで、軍隊の「民主的」勢いを大きくした。ところが「民主的」に大きくなった軍隊はもはや長州閥で収まらなくなってしまったようだ。そうして、(長州閥崩壊後の個人的な)宇垣閥のあと統制派が主流を占めることとなった。「皇道派」と言うのだが、実際は、薩摩閥と佐賀閥の合流を本体とした反主流派で、田舎から出てきた中央の事情に疎い者たちの集まりが気勢をあげていたようだ。事件を期にほとんど壊滅してしまった。