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イチ 足ス イチ ハ ニ

 

paiza.hatenablog.com



文系が馬鹿にされるのって、やっぱり「ロジックを欠く」からだと思う。

takenokorsi.hatenablog.com

この方のブログ面白くて。やっぱり法学の華は刑法だよな、と思ったり。
ところが、日本国憲法の理解に対して、司法試験対策(古い学説の解説)を説きつつ、最近の通説にも言及して、専門家は違うな、と感心していたのだが。
憲法に関しては、判例法との関係で、制定法主義を以て日本国憲法大陸法の系譜と言うのだが。学者は違うことも言っているんであれば、もっと掘り下げてよい問題。

日本国憲法 - Wikipedia
戦前は、ドイツとイギリスの「両性具有」、戦後は?

大陸法系は、英米法系におけるコモン・ローとエクイティのような分化構造をとらない。』大陸法 - Wikipedia
英米法において、コモン・ローは、イングランドのコモン・ロー裁判所が下した判決が集積してできた判例法体系であるのに対し、エクイティは、コモン・ローの硬直化に対応するため大法官 (Lord Chancellor) が与えた個別的な救済が、雑多な法準則の集合体として集積したものであるエクイティ - Wikipedia


日本は、司法ではなく、国会がこの役割を果たしているという意味で、制定法主義だが下位が柔軟な二元構文的であるのは(そういった意味で、プラマテックック。)アメリカ的であると思う。さらに違憲審査制を考え、なお、司法が民主主義の一形態と(陪審制の求められ方ーその説明の仕方を)政治学的に考えるなら、やはり、アメリカ型の憲法であろうと思う。そもそもアメリカにしたところで、司法の独裁ではない(ここらへんは、ソ連法学と比較すると、興味深い)。
なんでそういう誤解をするのかを考えると、やっぱり「経典の民」じゃないせいかなぁ、と思う。ロゴスが皮膚感覚でない、というか。或いは、契約をプログラムと思っていない、というか。

👇日本国憲法は、米法の継受


対立軸とはよく言ったもので。
プロイセン型国家の「国体」を巡って、ホシュ(明治国家(主義)の伝統主義)とリベラルが(エリート「独裁」による国家社会主義、例えば、民主集中制が近いか)。または、フェミニズム(夫婦別氏)とウヨ(家族条項)が。
前者は、日本国憲法は、アメリカ型という話で、後者は、日本国憲法は「個人の人権を尊重」しているのであって(憲法を尊重するなら個人登録への移行ー今なら、マイナンバーがそれに近いか。しかし、それに反対するのもリベラルである~ちなみに、韓国戸籍は個人登録制で、またIDカードも普及している。戸籍自体には、他の制度の補完となり、(国家統制という意味ではなく)社会経済的な一定の利益があるので、継続するにしても、アメリカ式に氏並びに名の変更は、個人単位で、行政への届け出で済ますようにしてもよいのである。)、「女性(種)」のキリスト的救済までは予定しておらず、しかし係る権利の意志的な決定は可能で(したがって、国会案件。)、またしかし、それは、「家族条項」と同じ構図である(なお、GHQの原案にあった家族条項を削ったのは、リベラル(自身)であるーただ、このときは、保守の賛同を得た。それくらい、戦前回帰を警戒する雰囲気が、左右問わずあったのだ)。

こう考えると、憲法9条」も「夫婦別氏」も、あるいは最近だと「憲法裁判所」も、間違った前提に依る、疑似議論に過ぎないことがわかるのである。

私の「処方箋」は、やはり芦部であって、ただし「アシベガク」という、芦部神学にしておかすべからずなのか、芦部を額にいれて手の届かないところに掲げているのかは知らないが、実態は、戦前の「国体」を護持しているだけなので、そうするのではなく、芦部の志を受け継いで、アメリカ憲法とアメリカ法学の研究を地道に続けるべきだろうと思う。

マルクス云々といまだに云っている奴は、だいたい駄目である。

天皇制もそうか。
名称問題に揺れているが、歴史に答えを求めるのは上にあげたウヨと同じで、そもそも間違っているので「上皇」などという名称は、お笑いでしかない。
前提とすべきは、日本国憲法の規定する(近代的)「天皇制度」であって、その意味では今の専門家会議に「専門家」はいない。歴史家の云うことなんて聴いてどうするんだ(笑)正直に言って、本当に馬鹿なんだと思う。
陛下には尊敬と親愛の入り混じったような、その間のような淡い気持ちを抱いているし、特にフィリピン訪問とベトナム訪問に関して、国民の一人として感謝の念を抱いていて、退位問題に関しても、できるかぎりお気持ちを叶えて差し上げるべきではないか、と思っているが(ただし、憲法の許す範囲でーと言っても、退位を認めない、ということではなく、譲位とは言わない、といった程度であるがー誤解があってはならないが、ここで大事なのは、「戦前」(と言っても、仮想的、なのかもしれないが。)のような一元的な社会ではなく、二元的な社会である、ということである)。
まったく馬鹿げた社会になったものだ。
(ただ、これは結果論であるが、恒久法にしなくて、本当に良かった。本当、なんでも「イチ 足ス イチ ハ ニ」から始めないと、駄目なんだねぇ)