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なるほど。面白い。

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それはそれとして尊重するとして。
中学でなぜ、公式を丸暗記"させることしかできない"か。
第2章 各教科 第3節 数学:文部科学省


オイラーによる関数の発見

無限解析のはじまり―わたしのオイラー (ちくま学芸文庫)

無限解析のはじまり―わたしのオイラー (ちくま学芸文庫)

 

オイラーの関数には、第一の関数、第二の関数、第三の関数があるということで。
関数は曲線の理解が発端となっている。そして、数学は、計算ではなく、概念となった。
これらを踏まえて。
平方根という数の理解と関数の理解を同時に進めて、曲線の解析にならないと意味がないからなんだろうけれど。
ここが、日本の算数・数学教育の特色で、(いつも言及する)「学びの接続」の、「のりしろ」部分ということで、(オイラーから始まる数学のエッセンスからははずれ、しかし積極的に評価するところ、アプローチである)計算だけやらして、ちょっと「食い気味」にしとくんだろうと思う。

要は、二次方程式の解の公式は、二次関数(二次曲線)の理解と同じになるし、またこれは(本当は)微分と関わってくるので(軸は、一回微分したときの値)、まだ早いと思われているのだろうか。つまり、数学の理解は本来は一体としていて、しかし学びは順次行われるほかないことの、必然的な齟齬だろうと思っている。まだ一体としての能力が充足していない為、その内容を教えるべきではないが、内容を教えずして理解の発端を付ける、というアクロバティックな仕儀が求められるのが、学びの本質かもしれないとも思うのである(そして、すでに学び終えて一体として理解している人から、その道程を忘却したのか、だからよく誤解される)。

 ☟巻末のおまけに「抽象代数を歴史的に考える授業の例」が掲載されている。
例えば、小中接続に関して、算数と数学の違いに根差す「最難問」。「なぜ、(-1)×(-1)=1か」

抽象代数の歴史

抽象代数の歴史

 

 算数と数学の違いは、或る程度、和算と数学の違いに即していると思っていて、算数が無駄かというと、それは違うだろうと思うのは、結局それは、或る程度、一般化と抽象化ということに即しているだろうと思うからで、私が岡潔や  を「最後の和算家」と呼ぶのは、数学を研究するにしても、或いはアブダクションを経由して、一般化を重視していたからだろうと思うからである(岡潔は、最期まで、エミ―・ネーターらが強力にまた不可逆的に推し進めた、数学の抽象化に反対していた!)。そして、一般化は、いまでも有効である。

 

ラマヌジャンが評価されるときには、ラマヌジャンの伴奏者で、またリトルウッドとともに20世紀の数学をリードした、ハーディも同様に評価されてよいと思う。
尚、リンクはすべて、Wikipediaの該当項目。

ある数学者の生涯と弁明 (シュプリンガー数学クラブ)

ある数学者の生涯と弁明 (シュプリンガー数学クラブ)