「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ㉟

 

 

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「対応の規則」が明確に指定されていればよいというのです.その対応関係は本当になんでもよく,ディリクレ自身が挙げている例を見ると,(略)これは今日「ディリクレの関数」という名で呼ばれている関数にほかなりません.ディリクレのいう対応の規則は「完全に任意」と言われるだけに制約条件は無きに等しいのですが,ただひとつだけ,x に対応する y の値はただひとつに限るという,「一価性の条件」が課されています.

(略)
この概念の根底をたどると,上述したオイラーの関数までさかのぼることは容易に諒解されることと思います.この意味においてオイラーは今日の関数概念の始祖と見なければなりませんが,この種の関数は(引用者注:師であるヨハン・ベルヌーイに示唆を受けてオイラーがあらたに主張した)解析的表示式ではありません.

PP107-108,1.25 オイラーの第二の関数概念,無限解析の始まり,高瀬正仁,2009

自由意志を尊ぶ「人文学者」オイラーの誕生である。

 与えられた関数のグラフを描くと曲線が生成されるというのではなくて,逆に「任意に描かれた曲線を通じて関数が定められる」というのですから,時間 t の後に,x に対応する曲線上の点の向軸線(引用者注: ) yxt の関数と見ていることになります.ディレクレの関数のような抽象的な対応としての関数が,こうしてひそやかに誕生しました.これがオイラーの第二の関数概念です.
(略)
曲線が関数を定めることがはっきりと記されています.

P110,1.25 オイラーの第二の関数概念,無限解析の始まり,高瀬正仁,2009

 

 関数の概念が数学に導入されることになった直接の契機は「曲線の解析的源泉」を認識しようとしたところに認められますが,この認識自体はオイラーの発見で、オイラーは先生のヨハン・ベルヌーイとの数学的交流を通じてこの発見に到達しました.
(略)

動かしえない数学的発見は「曲線には解析的源泉が存在する」という認識そのものであるいう一事です.

P136,1.32 数学の出発点,無限解析の始まり,高瀬正仁,2009

別の言い方をすると、オイラーの関数には「ソクラテス・メソッド」(に由来する数理)があった、ということだろうと思う。
ソクラテスの「科学性」を受け継いだアリストテレスの言った『論理学とは新しい必然的な推論である』(P99,『ロジ・コミックス』)ことが見て取れる。
それは「中間項」をどう構成するかの問題である。
このアマルガムな特性が形式に則って(そもそも)胚胎していた解を「生む」ことがソクラテスの始めた「科学」で在り、それを受け継ぎ、言語的であることを主張したのがアリストテレスである。

 それと,関数概念の契機が「曲線の解析的源泉」であったことにまちがいありませんが,ひとたび関数概念が抽出されてみると,「曲線の理解」を越えて,広大な適用領域が出現しました.
(略)
オイラーの無限解析はライプニッツの段階の無限解析に比して格段に洗練されたものになっていました.その洗練の度合い高める決めてになったのが関数概念で,オイラーは十分広く展開された関数の解析学の土台の上にニュートン力学を構築したのです.

P137,1.32 数学の出発点,無限解析の始まり,高瀬正仁,2009

日本の誇る「オイラーより15年早かった」建部賢弘は、卓越したアルゴリズムを以てその後の和算の発展を支えたが、ロジカルではなかったために、(西洋で開花した数理に比して)それは制限されたものであった、と謂えるだろうか。

建部賢弘 - Wikipedia零約術

オイラーとコルモゴルフに共通している何かしらが在る。
意味を剥脱(抽象化)して、「目的」から「評価」へ移行したことである。

このとき、「量」は「対象」に「偶然」は「確率」になった。
「国語」で言うならば、(或いは、概念から捉えて)ある/あるべきの分別はそのままでは不可能だったが、ありうる/あるべきの二分法をさしはさむことで、「あるべき」から純粋な「ある」を抽出することができたわけである。
英語でSOMEが「在る」であることに近い。経験的に言うと、それが「偶々」になる。
つまり、「確率論」とは言っているが「存在論」、さもなければ「存在論的に捉えた偶然」なのであった。

何が言いたいか。
九鬼周造を読んだが、こういうことではなかっただろうなと思ったのである。

要は、大正時代にこの「存在論」を欠いていたということである。
哲学から始めたのは明らかに誤りで、数学から始めて、論理的に考えなければならなかった(その意味で、西田幾多郎は良い位置に付けていたが、数学を袖に振って哲学へ進むのは誤りであった。数学の先に分析的哲学へ進まなければならない)。

確率とは「「在る」と謂える」と括弧に居れた話であり、偶然とは

 

通俗小説の修辞学 精読』蛍草『久米正雄── 日高昭二

素人目には、主体の問題に帰着させるなら「純文学」で、表示の関係に帰着させるなら「通俗小説」でよいのではないかと思うが、外延的に、つまり、列挙したら区別がつかなくなってゆくのだろうか。
『道草』が通俗小説とならなかったのは、通俗的な細君を怒ったからだろう。
細君の言う通り「よかった」で仕舞いなら通俗小説だし、それだけのことだと思う。
「そうじゃない」と再帰的に自己を意味づけた、、、、、、、、から、純文学となっただけである。
さすがロジックに通じた漱石だけあって、「否定」の持つ(存在上の)効果を知っていた。

 

アマルガムな構成から「生む」のがソクラテスの「科学」であったが、「それ以上考えるな(考えるのが良くない)」と言ったのが禅である。
日本の近代化は近世の思想の上に成り立ったが、そもそも近代は個人に焦点が当たるゆえにロマン主義を前置する。理性的と言えるには、合理的では物足りないが、感情面で支えるのがロマンである。
これがリアリズムに晒されてバックラッシュを起こしたのが大正時代のオカルティズムであり、それに「生命」を与えたのが日本の場合仏教(的な意味での実証主義)だったのであるが、統計的な個人として、都会化の波に洗われて人と人とを包括的に覆っていた何かしらが剥離して孤独に悩むようになったときに、励ましたのが仏教的なホーリズムということだったらしい。
このホーリズムは、近代以前に慣習とか外から覆って束縛していたことを、近代的な個人の自己支配の原理に従って、潜在化しているので、何やら奇妙な侵害性を持っているのが、当然の理であった(仏教がそういうことであると言っているのではなく、その影響を受けた日本のホーリズムがそうではないかと思った次第である)。
ヨーロッパと異なる日本のリアリズム小説の奇妙さの原因は、ここにある。
日本で実証的理解力を与えていたのが仏教だからである(ギリシャ哲学・キリスト教から発達した科学を持ったヨーロッパと異なる。また源流として、インド哲学は別に、抽象性を与えたのが、中国哲学である。これら二つは調和したので、建部賢弘が、無尽ではなく、数理として「不尽」と謂ったときに、何の影響を受けてどのような理解だったか、すぐにわからない☟考察)。

日本のリアリズム小説は、基本的に、変態小説であるだろう
すなわち、心理学化を通じて、「個人化」「異化」「ホーリズム(的再帰)化」で彩られる。
日本の文学上の「偶然」もこの延長にあるのではなかろうか。


【考察】

なお,元来,和算で「不尽」といっていたのは,割り算などで現われる,割り切れない端下のことだったと聞いています。この概念を分析し,数の不尽をもたらすような可能性のある術を不尽の術と呼び,さらに,本質上,不尽な術による他のない型の問題を質の不尽と呼び,この最後の場合には無限級数という不尽の術の介在も余儀なしとしてこれを積極的に肯定したのは,たとえ今日の立場から 見ていくつかの論理的弱点が目につくとしても,和算家における「理論家」建部の面目を示すものだと私は考えているわけです。

P46,村田 全『建部賢弘の数学とその思想』

日本評論社数学セミナー 1982年8月号)

また、こうも言う。
ただ、これは「円理」を特別な「窮理」とみているからで、「円理」が「方理」の自然な延長と考えた場合、円周率の前に無理数の計算が当然にあって、聖徳太子ですら円周率を知っていたことを考えると、意外なほど時間がかかったとも言える。
つまり、和算の「達成」というよりも、中国に依存してきた数学に、ようやく「追いついた」(或いは、一部、追い越した)と考える方が違和感がない。
つまり、これは西洋数学ばかりを見て、その至高性を称揚する態度の裏返しに過ぎないのである。

当時の西洋数学における「無限小」や「窮極」などの概念にも,やはりそれなりの論理的弱点は含まれていましたし,建部がしばしば行っている暗中模索的な試みは,ニュートンなどにも見られます。ニュートンの二項定理を先駆したウォリスの場合など,不思議なほど建部と似たところがあるくらいなのです。ただ違うのは,西洋の場合の理論的伝統と,なかんずくニュートンの力学に結実するような,壮大な数学的世界構想という態の,思想的–哲学的要素の有無ではないでしょうか。建部の「不尽」の概念自身,西洋の「無限」概念の伝統と見比べると著しく色褪せる思いがするのですが,しかもそれはそれ以上に展開されなく終ってしまいます。

同P47