熱血派

 

www.asahi.com

ちばてつやさん、おめでとうございます。
梶原一騎はもっと評価されるべきだと考えていたから、ちばさんが受賞されるのはうれしいことでもあるけれど、ただ、ちばさんが描いてきたのは、「熱血少年」なんだよね。梶原一騎ハイカルチャーから評価されなかったことが、梶原一騎の苦悩ともなったのではないかと思うけれど、いざ評価されてみると、「そういうことなのかな」と思わないではない。
受け取り方の一般的なこととして、表現の「脱政治化」が進んだ結果だろうか。
漫画の為の漫画である。

「一中ブランド」なんて本当は馬鹿げて「いた」のだけれど、所謂、地方の「一中」なんて地方政治に寄与するのに過ぎなくて(都会と地方は事情が異なる。)、全体から見れば中位ヒエラルキーに属することの、内に閉じていることからくる、情報格差を「原資」とした淘汰に過ぎないから、「転校生」であった自分が小さい頃には心底馬鹿にしていたのだけれど(褒められた態度ではない。)、最近は、情報革命の影響がまず大きかったことと、そもそも論として学校は資産運用が本質の装置産業なところ、制度改革の一環として「高大接続」の取り組みが開始されてイノベーションが起きたことから、要は投資的経費が傾斜配分されたことから、むしろ実体を備えるようになったと思う。
そういった意味では、戦前の特別科学学級が参考になるが、留意しなければならないのは、戦前はあくまで戦前であって、今と違うということ。

特別科学学級 - Wikipedia

戦前の「伝統」と嘯くのは、かなり怪しい話だ。
本当に「昭和」って何から何まで暴力的だったなって、思い出すたびにうんざりする。

ある協会

 

courrier.jp

ドットの論文の前段には、最近起こったカトリックの歴史に対する見方の変化があっただろうか。

www.bbc.com

とんでもない牧師のようでいて、「藪医者」と決めつけたその医療行為の中身は

Rachel Maines - Wikipedia

によると、どうであるか。
レイチェル・メインズとエマニュエル・ドット(と歴史的フランス人男性代表、ジョシュアン)の争いも伏流していたりする。

世界の緊張が漲る社会状況の中で、日本では、堂々と、変態にまい進していたのだが、それは「家父長制」だからだろうか?

家父長制とは「産児支配(抑制)のため」なのか、「寝取られ防止のため」なのか、わからなくなってくる。

昔ならカトリック/プロテスタントという二分法が通用していたかもしれないが、

「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」後編(開始50分〜80分),miyadai.com

今後は、カウサ論/約定論に置き換わってゆくかな?ということもある。

包括的であること、対抗的であることの、それぞれ。

 

日本の歴史も見直された方がよいと思う。
いつまでも『枕草子』を日常雑事のエッセイ、『源氏物語』を恋愛小説と呼ぶのは、聖書をそう呼ぶのと同じくらいの違和感と納得感(の両方)しかない。

悪口は性的禁忌に触れる罰で在り、

www.rekihaku.ac.jp

歌は統治と医療行為(みんなで元気づける)のためにあった。

 


自分の文章に我慢がならない。

本当は今回の誕生日を区切りにして、もうやめて、今後10年の新たな目標を立ててそれにまい進しようと思っていたが、「書くこと」に関しては、書いてみないとわからない。「随分上達して、恥ずかしいと思うことがなくなった」と思えればやめるのかもしれないが、なんでこうも上達しないかねと呆れている。