Plus tard , que d'heures nous avons passées ici , studieuses et rapides à parler de l'art, de l'a mour, de toutes ces choses qui se sentent et que je n'avais jaunais senties !

訂正:jaunais → jamais

その後、私たちがここで何時間過ごしたのか、芸術について、愛について、私が今まで感じたことのないすべてのことについて、熱心にそして素早く話しました!

Later, how many hours we spent here, studious and quick to talk about art, about love, about all those things that feel and that I had never felt before!

En face de moi, de l'autre côté du salon , était assise une blonde et frêle jeune fille de dix-huit ans, vêtue d'une robe blanche et bleue, et dont les cheveux cendrés mêlés à des touffes de bruyère encadraient un visage à la fois frais et pâle où se lisait l'expression d'une énergie contenue et d'une fierté pleine de mélancolie, comme si , jeune encore et pourtant initiée déjà aux souffrances de la vie, cette enfant eût dû apprendre à renfermer ses douleurs et à dompter ses émotions.

私の反対側には、18歳の弱々しい金髪の少女が座っていた。白と青のドレスを身にまとい、灰色がかった髪にヒースの房が混じり、新鮮さと青みが混じった顔を縁取り、抑えられたエネルギーとメランコリックなプライドが感じられる。まるで、若くして人生の苦悩に入り込んだこの子は、痛みを抑え、感情を抑えることを学ばねばならなかったかのようだ。

Opposite me, on the other side of the room, sat a fair and frail young girl of eighteen, dressed in a white and blue dress, and whose ashen hair mixed with tufts of heather framed a face at once fresh and pale where one could read the expression of a contained energy and a pride full of melancholy, as if, still young and yet already initiated with the sufferings of the life, this child had to learn how to enclose its pains and to tame its emotions.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

いずれも、レオン・ワルラスの『フランシス・ソヴァ―ル』をDeepL.comで和訳、英訳してみた。
グレート・ギャツビー』と比較するため、色の表現を探したのだ。

jaunaisは黄色であって、重要なはずだが、訳するとピンと来ない。

Enfin pour répondre aux interrogations ardentes de nos âmes sur l'origine, sur la raison d'être , sur le but et le jeu de notre existence, survenaient les enseignements d'une philosophie singulière , amalgame confus de tous les sys lèmes connus, dont le nom même est aujourd'hui tombé dans le mépris le plus mérité , et qui , ruinant d'abord saps retour l'édifice ébranlé de notre foi catholique , nous bal lottait incertains et doutants des bas - fonds du malérialisme aux exagérations d'un spiritualisme outré , pour faire en définitive aboutir les plus intrépides et les plus robustes aux conclusions nuageuses et désespérées du panthéisme de Spinosa. 

そしてついに、起源、存在理由、存在目的、存在ゲームに関する私たちの魂の燃えるような疑問に答えるために、その名前自体が今日最もふさわしい軽蔑の対象となり、私たちのカトリック信仰の揺らぐ建物をまず台無しにし、悪霊主義の深みからとんでもない精神主義の誇張まで、私たちを不確かで疑い深いものに押しやった、あらゆる既知の体系の混じり合った独特の哲学の教えが現れたのである。この哲学の名前そのものが、今や最もふさわしい軽蔑の対象となり、最初は私たちのカトリック信仰の揺らいだ建物を見返りなく台無しにし、悪霊主義の深みから誇張された精神主義の誇張へと不確かで疑り深く導き、ついには最も勇敢で頑健な者をスピノーサの汎神論の曇った絶望の結論へと導くのだ。 

Finally, to answer the ardent questions of our souls on the origin, on the reason for  being, on the purpose and the game of our existence, the teachings of a singular philosophy arose, a confused amalgam of all the systems known lemes, whose very name has now fallen in the most deserved contempt, and who, first ruining saps back to the shaken edifice of our catholic faith, we bal lotait uncertain and doubtful of the shallows of maleialism to the exaggerations of an outrageous spiritualism, in order to definitive lead the most intrepid and the most robust to the cloudy and desperate conclusions of the pantheism of Spinosa.

これが緑の灯である。

『グレート・ギャツビー』の細かい描写から分かること - グレート・ギャツビーの感想 | レビューン小説

グレート・ギャツビー』では、「黄色い窓」と「黄色いロールスロイス」である。


我々は知らない、知ることはないだろう - Wikipedia

複式簿記が成立する前段に、対価的牽連性による留置権(資産の差し押さえ)があった。ワインの海上輸送は戦争の原因だったが、契約がこれに変わった。債務として取り扱うことで、訴権が確立したらしい。「資産」とは法的制度なのである。

「裸の合意は訴権を生じない」というときの「裸」とは、カウサ(着衣)という「拘束具」に縛られないことを意味し、カウサとは「物、言語、文書、合意、引き渡し、付着」であり、これらが契約を為す。
カウサ論はスコラ哲学から始まり、ローマのカノン法の中で、ルネサンス文化において、コモンローの影響を受けて対価性を明確にした約因論を形成したらしい。

大陸法に於けるカウサ論とコモンローに於ける約因論,菊池 肇哉

このような背景を以て、複式簿記は成立したと考えてよいだろう。

債務を数学的に証明しようとしたのはライプニッツである。

それは興味深いが、真理を突いたパラドックスである。すなわち、ユティヌアヌス法典においての古代ローマの法学者ほど、幾何学者に類似した様式をとる著者は存在しない、ということである。

Leibniz,P.S.Ⅶ,p.167

P145,第10章確率と法,確率の出現,イアンハッキング

法学の「カウサ理論」は、科学の「被覆法則」に相当する。

被覆法則モデルは、英語ではcovering law model of explanationと呼ばれる。説明すべき現象に対して、何らかの一般的な自然法則が当てはまる(cover)することを示すのが科学的説明なのである。

ただし、注意すべきこともある。現象と関連性のある情報が一般法則に含まれていなければならないのだ。どういうことか。

https://konokoe.com/column/philosophy-of-science

これはむしろ、実在論としての「エーテル論」と考えた方がわかりやすく、約因論は「フロギストン論」である。「エーテル論」はライプニッツの謂う「建築術的推論」で『知にとって中核的重要性を持つ中間の基盤』であり、ライプニッツが『幾何学者に類似』とはこのことであるだろうと思う。

 神以外の全ての事物に対する神の原因性の解説において『短論文』が取り上げるの は作用因のみであり, へーレボールトらの分類にならって八つの原因を挙げて説明を 加えている. 重要なのは, 作用因の分類において, 媒介する活動を必要としない流出 原因(causa ema nativa)とそれを必要とする活動原因(causa ac tiva)とを区別す るへーレボールトに対して, スピノザが一一活動原因と作用困とを等値した上で一一 両者を区別せず, Iこれらは互いに関係するから, 私たちはこれを一つのものとする (KV1!3: 2)としている点である. rエチカ』においてこの分類は出現しないが, そ れは, 流出原因と活動原因とが作用困として一括されたという重要な事実をむしろ示 している.

 さて, へーレボールトは, 流出原因を「結果を直接的に流出する」原因, 活動原因 を「媒介する活動によって結果が産出されるJ8)原因と定義し, その例として, 火が 内的熱の原因であることと火がそれ以外の事物において熱を産出する場合とをそれぞ れ挙げている. したがって, 流出原因においては原因/結果の二項しか存在せず, 原 因の存在と原因性とは等しい. これに対し, 活動原因においては原因/結果/原因性の 三項が存在する. ここから, 流出原因の場合には, 原因が措定されると結果が措定されないことは不可能だが, 活動原因の場合には, 原因が措定されても結果が措定され ることは必然的ではない, ということになる.

PP172-173,2 作用因の系譜学 『エチカ』からスアレスへ,,スピノザと中世スコラ哲学 (自己)原因概念を中心に,鈴 木 泉,中世思想研究47号

http://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol47/166-177_Sym-suzuki.pdf

もとより

さらに第三に, トマスはその批判において, とり わけ作用因に照準を集めて批判を行っている. 或る何かが, 自己自身の作用因 (causa efficie ns sui ipsius) であることは可能ではない, というのも, そうするとそ れは自己自身に先立つことになるが, このことは不可能だからであるJ (Summa theologiae, Ia, q. 2, a. 3 ad resp目). さらに, アンセルムスもドゥンス ・ スコトゥスも オツカムもスアレスも(自己)原因の神への適用を否定しているのであり, つまりは 中世哲学一般において自己原因は思考され得ないものであった. それでは, いつ自己 原因が「一般に言われるようにjなったのか. この点に関する解答は明確である. 1641年のデカルトのテクスト(= í第一答弁J, í第四答弁J)がこれを可能にした. だが, トマスの批判を初めとする中世哲学の傾向に抗して導入される自己原因概念と はどのようなものか.

PP1682/自己原因概念の問題性,,スピノザと中世スコラ哲学 (自己)原因概念を中心に,鈴 木 泉,中世思想研究47号

http://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol47/166-177_Sym-suzuki.pdf

デカルト以前は「不可能」と断じたのであるが、デカルトは「可能」を『力能』へ転化し、要は、実在論を以て「論じることができる」とし直したのである。
これがデカルトの真骨頂であって、直観主義から明証主義への転換であり、近代科学の黎明となったわけだ。デカルトが居たからニュートンが居た理由である。
そしてこのときに、「再帰的可能」の取り扱いの地平で「矛盾」を論じることができるようになったのである。近代的微分論の祖がデカルトである理由である。

科学史家である山本義隆はそれを『魔術の復活』と呼んだが、そうではなく、「再帰的(自己)原因論による不分明な関係を用いた明証」に過ぎなかった。存在的な「魔術」が存在論的な「実在」を以て論理的な「矛盾」の取り扱いの可能性に拓かれたのである。
ライプニッツが命題的な可能性を語るとき、命題的可能性と   の可能性がライプニッツに於いて区別されないとはこのことであり、デカルト以降のことであったのである。ライプニッツは法学者であり数学者だったのだ。

そして、16世紀のルネサンスは、一度に多くことを成し遂げていたのだ。
それは独立して起こったことではなかったようだ。
いまほど専門分化されてなかったのである。

留置権論 - 国立国会図書館デジタルコレクション

法学上の発見と民法 - 信山社出版株式会社 【伝統と革新、学術世界の未来を一冊一冊に】

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https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/19261/hogaku0100100670.pdf