wedge.ismedia.jp

マルティン・ハイデッガー - Wikipedia

根底にあるのは「カント」への問いで、昨日、本屋でノイマンの『作用素環の数理』を斜め読みして、図書館で『プリンストン数学大全』を読んだのだが、最後はやっぱりカントへ行き着く。デカルトが理念系という演繹主義を打ち出して猶、その後の数学者たちが経験からの修正を余儀なくされているとき、それを復調して完全にするために打ち立てられるべきカントの体系が挫折してしかし、ヘーゲルに完全に受け継がれたとき、もう数学は完全に別のものになってしまっていた※。
※数学的サヴァンノイマンもこの点で挫折したらしい。彼も「経験」を受け入れざるを得なかった。

実を言うと、あまり明言されないが、要は、フッサールなのだ。デカルトはカントによって「デカルト」になったように、カントはどうもフッサールによって「カント」になったらしい。

なんのことはない。
デカルトは所詮キリスト教徒であって、キリスト教世界の中で考えたに過ぎないし、カントは所詮初期近代人であって、数学革命の洗礼を受けていないので、極めてロマンチックなのに過ぎないからだ。

そう考えると、ハイデッガーの『解釈』という用語も、実は、心理学の用語なのではないかと思えて来る。

ハイデッガーも数学を専門的に学んだ。その数学が、フレーゲの数学だったのか、フッサールの数学だったのか、ヒルベルトの数学だったのか、ブラウワーの数学だったのか、コルモゴルフの数学だったのかである。
同じではないのだ。まさに数学論的な問いである。


この点に関する能弁な証拠を、われわれは他ならぬ偉大な哲学者でルソーの賞賛者であるイマヌエル・カントに見出す。カントは、自分自身を「生来真理の探究家」であると称し、思想と知識だけが「人類の栄誉を構成する」と信じたときがあったと回想した後で、「何も知らない大衆コモン・マンを軽蔑していた」と白状している。そのときまでは、カントは啓蒙主義運動とその知的俗物根性の典型的代表者として語っていた。

P203,12ルソーとカントにおける平等,政治学入門ハーバード大学12講,カールJフリードリヒ,学陽書房,昭和52年5月6日

ルソーは

ことの意外性に打たれるが、その後、『ルソーは全体主義の生みの親か』『ルソーの社会契約論』『ルソーの「一般意志」論』『カントにおける平等と永久平和』へとトピックは続く。

こう見ると、『プリンキピア数学大全』では、デカルトの理想は〈世界〉に及ばず、数学(世界)に限界を見せたが、それを補ったのがルソーであると考えると、すっきりする。
デカルトの〈実在〉の交錯は、ルソーの社会契約に、ルソーの『各人は自由になることを強制される』は、デカルトの「自然」に、したがって、『それは全体主義的概念というよりは、むしろ立憲主義的概念である』のであり、ルソーの『一般意志』は、デカルトの(〈実在〉の)稠密に、そして二人を基礎づけるのは、平等である。

すなわち、デカルトの理念は、数学的デカルトと人文学的デカルトに別れ、前者は(ウォリスを通じた)ニュートンオイラーに目的論的性格が批判され、後者はルソーを通じてカントヘ受け継がれたようだ。

このとき、問題は、それが神学的秩序だったことである。
果たして、ルソーやカントに、ニュートンオイラーのように、その目的論的性格を批判できただろうか。
むしろ、ハイデッガーに強化されたのではなかったか。

カントも良し悪しである。
ノイマンが慨嘆したように、「完全な理念系」は経験から挑戦を受けるのであった。