ここではたと気づいた。

媒介と中間構成物は必ずしも同じではない。

おそらくデカルトの曲線論とオイラーの関数論の違いを見ることでわかりそうだが、面倒なので、いったん置く。

  1. スコラ哲学のストア派からの批判をした
  2. スコラ哲学の否定した媒介を導入した
  3. ソクラテスの弁証的科学観を以て、矛盾から真理を導く機械論を踏襲した
  4. より方法論的には、アリストテレスの名辞(概念)論理から矛盾を導くためにストア派の命題論理への移行を参照した
  5. エーテル(稠密)論を主張した

つまり、デカルトは、哲学者(世界の分析者)でかつ(アリストテレスに軸足を残した)方法論的ストア派なのだが、このとき「世界」とは「キリスト教の世界」なのである。

したがって、被造物たる人と神の関係が措定されていなければならないが、そのとき、

『観念を介して』というが、それは人に限った話ではなく、彼のエーテル論に触れないのは不合理である。反対に、実在を介すれば、エーテルも「私」も同一線上に並び、その方が、「キリスト教の世界」の説明としても自然である。
デカルトにとって主要な目的は、直示ではない(直接心に表れるのではない)、オートマチックな明証、すなわち、現れる真理であって、反対に謂うと、真理は最初隠されていなければならず、また、それが順序良くなければならない。

このとき、矛盾(的実在)を媒介する必要があったに過ぎない。
そして、それはスコラ哲学に反するはずである。
具体的には、デカルトの「神の存在証明(神の擁護論証)」はどうであったか。

方法序説』はカントの批判哲学もそうであるが、世界を説明するための、原理の在り様の説明である。このとき「神の仲介」とは、ニュートンだと「力」になるところ、心と身、すなわち、真理と存在の中間(矛盾)物たる「実在」で説明したはずである。要は、真理は神に帰属していなければならないのが、大前提である。
しかし、デカルトは、それは「媒介」であるところが、反スコラ哲学的で、ストア派流なのである。

つまり、この泰斗の説明は、「近代的」過ぎるのである。
デカルトが存在し得た歴史的意義、特に、本質的には『方法序説』は世界を説明する曲線論の序章であることを無視しすぎていると思う。
すなわち、デカルトは、法線を媒介としたのである。これが接線から(の転換で)説明される必要があったのである。法線から順次曲線が立ち現れなければならない。
それは概念の交錯を媒介として世界が現れることを意味するはずである。
それが実にストア派流の明証方法なのであって、反スコラ的なのである。

観念論 - Wikipedia

神の存在証明 - Wikipedia


デカルトは不思議な人である。
晩年には『情念論』を著したが、これになると、医学書で在り、ヒポクラテスアリストテレスーガレノスの学統である。

中世では、外科はキリスト教徒の職業とはみなされていなかった。病気は神の恵みであり、医療は神への冒涜とされた。当時は理容師(英Barber surgeon:理容外科医とも言われた)によって外科手術やまじない的な瀉血治療などが行われていて、これは学術的な医学が発達するまで広く行われていた。このように、ヨーロッパにおいては、古代ギリシア等の知識が継承されることなく、学問としての医学は低迷した。

西洋医学 - Wikipedia

デカルトが批判したのは、このような中世であって、方法論的には、ギリシア哲学、とりわけアリストテレスだったことがうかがえる。

さらに不思議なのは、当のフランス人が、なぜかその歴史を直視しないことだ。
デカルトは数学者として有名だが、それはウォリスやニュートンの功績も大きい。
ロックにも影響を与え、なお、3人ともイギリス人である、
どうも、かのライシテの国で、スコラ哲学を批判したことが、最大の功績であるようだ。

ja.wikipedia.org

http://iim.cs.tut.ac.jp/member/kanatani/papers/essence.pdf

https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~yasuyuki/suri0404.pdf

Takuo Yasuoka
★★★★★現実的な神々
2015年5月18日に日本でレビュー済み Amazonで購入

『数学者』

ノイマンも数学の真理探究において屈辱と変遷を経たということです。

時代背景ですが、 カントにおいては、哲学や数学は理念や悟性の領域であり、それを経験に当てはめようとするところにアンチノミーが生じ、ハイデッカーやフッサールは数学や数学的物理学の規定する実在ではなく現存在、実存としての世界を切り拓こうとしました。

意外なところから、カントが出てきた。