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塩崎 悠輝
静岡県立大学国際関係学部 准教授 10時間前
ちょうど今自分が関心を持っていることと重なっているので、思ったところを。
二元論が何を言っているかというと、結論から言えば、「無限」を引き受けるのが「私」か「神」かのとき「私」と謂うこと、だね。
したがって、「(近代的)個人」の出発点となっている。
なぜ、デカルトが、所謂「コギト」の発見の後、神の存在証明を必要したかというと、「論理」の本質が、中間項にあるから(当たり前なんだね。つまり、説明不足を補うために「神の存在証明」を追加したわけではない、ということ)。
すなわち、所謂「コギト」は、デカルトに拠る構成法だったから、その論証が求められたんだね。
曲線のすべての性質を見いだすためには、そのすべての点が直線に対して持つ関係を知り、また、その曲線上のすべての点でこれを直角に切る他の線〔法線〕方法を知れば十分である・・・・・・(〔〕は著者の註。以下、同)
P21 第1章 曲線をめぐって,人物で語る数学入門,高瀬正仁
高瀬先生、足立先生は、本当に尊敬している。面白い。
わかりやすくいうと、「点」も「個人」も大して違いがない、とデカルトが言っているということ。(或いは「再帰性」に係って来るけれども)点に関係が「含意」されて、法線、接線を「生む」という感覚で説明するとき、「生む」をアリストテレスは論理と言ったんだ。
それをアリストテレスはソクラテスから学んだ(アリストテレスは「論理の父」というよりも「愛知の父」。ソクラテスにとって、真は、二者間の正義(衡平)の問題だったけれど、アリストテレスのとっては、二者以上に開放された普遍の問題となった。対話から学問への転換)。
- 神〈思う(無限)〉→私〈→思う、身体〉 芽の比喩
- 神〈(無限)〉→思う私〈身体〉↔思う私 鏡の比喩
- 私〈思う(無限)、身体〉↔私 コギト
したがって、これは、自由意志と人文学の誕生の話なんだね(鏡の比喩の段階では、自由意志は必ずしも保障されていない。)。
デカルトによって「私」という〈主体〉が誕生したんだ(それまでは神の客体乃至目的に過ぎなかった)。
だからデカルトから近代が始まるんだよ(ただし、デカルトはまだ神を必要としている。近代社会とはポストキリスト教社会のことで。ポストキリスト教社会とは、キリスト教の影響の残滓を残している社会のこと)。
だから、サイバーということで言えば、「計算可能性」の話じゃないかな。
「停止問題」かな。
AIがその壁を越えられなかったら、そこに「人間らしさ」があるとすれば、それを「こころ」と言ってよいんだよ。
これは大作だ。
戦前の思想をリードした最重要人物は元良勇次郎だったのではないかとさえ思えて来る。なぜなら、近代心理学の影響こそが、戦前の思想にとって、決定的だったからだ。
本科の夏目漱石と選科の西田幾多郎を安易に「同窓」と云えるかどうか。
谷崎潤一郎の愚痴もあるけれど、早川千吉郎の例もあるので。
それと、夏目漱石も西田幾多郎も父が何たら、というのは、こじつけだろう。当時の学生はどこでも暴れて居った。
ソコツ
VINEメンバー
★★★★☆近代日本の哲学と文学をつなぐ具象と抽象
2017年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入前者については、彼らが学生時代にその講義を受けたであろう、心理学者の元良勇次郎の存在意義について論じている部分が、まず興味深かったです。西田も漱石もウィリアム・ジェームズから大きな示唆を得ていますが、そのきっかけは元良にあったようで、これは重要な指摘かと思います。また、両者の禅とのつながりについて、北条時敬らを軸にその人脈の広がりを改めて検証した上で、彼らの文学と哲学における禅の影響を検討し直した部分も、学びどころが多いです。
むしろ、こういったことだろう。
本良勇次郎こそが、「学問の青春」を送っていたのではないかと思う。
すなわち、教育学から始め、カント哲学、経済学、社会学を経て、集団心理学に至った。
社会学史において元良が果たした役割は, アメリカ社会学を中心とする心理学的社会学, および統計を用いた実証的な研究手法の導入といえるだろう. 元良の構想において, 実験心理学と社会学, 感覚の理論と社会の理論は, ともに総合的な「社会の学」のなかに位置づけられる. こうした元良の立場は, 当時の主流派を形成していた建部遯吾らの国家主義的な社会有機体説に対し批判的な役割を果たした. 日本における最初期の社会調査の実施にも尽力し, また社会学研究会等を通じて後進の育成に努めたことも考え合わせるならば,
元良勇次郎は、行動主義に立ち方法的個人論を標榜したフロイド・オルポートと心理テストの理論家と態度を軽量化したルイス・L・サーストンを兼ねようとしていたのだ。日本の「シカゴ学派」の黎明であるはずだった。
ゴードン・オールポート - Wikipedia
[ルイス・L・サーストン(Louis Leon Thurstone, 1887-1955)]: Keyword Project+Psychology:心理学事典のブログ
元良 勇次郎 1858年12月05日 - 1912年(大正元年)12月13日
ルイス・L・サーストン 1887年05月29日 - 1955年9月30日
ゴードン・オールポート 1897年11月11日 - 1967年10月9日
元良勇次郎は、(経済学における)限界革命後の世代で在り、著書にそれへの言及もある。藤澤清造はアメリカの「シカゴ学派」の誕生に間に合わなかったが、日本に元良勇次郎は居たのだ。
限界革命について
形式論理と判断論理について
(いずれも、論文集 - 国立国会図書館デジタルコレクション)
ただし、留保が要るのは、元良勇次郎が当初求めた集団心理学ということには「人種心理学」も含む※。
※元良勇次郎の事績として指摘されることはないが、当時の心理学の文献を国会図書館のデジタルアーカイブで読むと、集団心理学について説明している。
本良良次郎は、集団心理学では挫折して、どうも仏教へ向かったらしい。
これはすごい。
つまり、夏目漱石『道草』(大正4年・1915年)と藤澤清造の『根津権現裏』(大正11年・1922年)の関係を見たいのだけれど。『変態心理』を挟んでいる。
それと懸案の『女地獄』の口調の方は、なかなかこれくらい軽薄なものが見当たらない。