図書館へ行って借りてきた。
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『私の個人主義』を学習院輔仁会で講演した半年後に連載開始(1915年・大正4年)
夏目漱石にとって、手塚治虫の『ブラック・ジャック』のような位置づけの作品だ。
『ブラック・ジャック』は手塚のもうひとつの金字塔となったが、『道草』の方は芳しい話を聞かない。『ブラック・ジャック』は手塚治虫の劇画だった。
劇画 - Wikipedia
ブラック・ジャック - Wikipedia
最後に「世の中に片付くなんてものは殆どない」と吐き出す。
そうではなく、
世の中に片付くなんてものは殆ほとんどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他ひとにも自分にも解らなくなるだけの事さ
赤字強調は引用者(以下、同じ)。
であって。それに対して
おお好いい子だ好い子だ。御父さまの仰おっしゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね
細君が返す(夏目漱石 道草)。そのほかに気付くことは、
などである。
神経衰弱症,後藤省吾,天地堂,1907年・明40.12
国立国会図書館デジタルコレクション
「私小説」であることが取り上げられやすいが、かなり「新しい小説」ではないかと思う。同じ年に、カフカの『変身』がある。
変容は男性性と女性性にまたがっても、あらわれる。
男にひそむアニマ(男性のなかの女性性)と女にひそむアニムス(女性のなかの男性性)の変容である。
男はその内なる女性性を、
- 肉体的なアニマ
- ロマンティックなアニマ
- スピリチュアルなアニマ(たとえば聖母マリア志向や女神志向)
- 知的なアニマ(モノセクシャルな女性)
というふうに変容させる。
これに対して、女は自身の内なる男性を、
- 力のアニムス
- 行為のアニムス(行動力としての男性感覚)
- 言葉のアニムス(表現された男性性)
- 意味のアニムス(意味の指導への憧れ)
というふうに変化させていく。
何を以て『高踏』何を以て『余裕』というかは知らないが、夏目漱石が、『自然』でないと言われたのは、ソクラテスが論理的でないと言われるようなことに過ぎない。
論理学の歴史から言うと、〈判断〉を文中でどう扱うかの問題に過ぎず、ソクラテスは二人の〈主体〉間の対話を要としたのであるが、アリストテレスはそうではなかった(テキストを間に置いて、二人に限らなかった。そこに「在る」のは、「対話」から読者という〈鏡〉となった)に過ぎない。
だから、夏目漱石は、遂に正義を語る。論理的帰結である。
他の文学者にそういった論理学的な傾向がなかったに過ぎない。
ほかの文学者に夏目漱石ほどの教養がなかったからではないか。ほかの法学者に穂積八束ほどの教養がなく自然法を十分制度的に理解できなかったように。
?「私小説」と言われる『道草』を採り上げていない。
ちなみに、
上杉慎吉の影響がなかったか、国立国会図書館で、上杉慎吉の講演録をいくつか見ても、「余計な一言」が見当たらない。大学の講義では奇矯な恰好をするなど耳目を集めるのが好きだったなら、講演会を開けば盛況と聞けば、軽妙な語り口で聴衆を喜ばせたのかと思いきやそうではなかったのだろうか。確かに、本を読めば、家族の伝として「外では厳格そのものでも、家では」家族への肌理の細かい心配りが在る、というくだりもあるにはあるが、どこまで信じてよいか。聴いていて肩が凝りそうである。
ほかには、暁烏敏が1903年(明治36年)から『『歎異抄』を読む』を新聞紙上で初めて、それをまとめたものを1911年(明治44年)に『歎異鈔講話』として刊行した。これなら、聞かせる講話として、言葉の運びに節回しが加わっているかもしれない。
you tubeに朗読がアップされているが、意外にそうでもない。
学問の面でも『歎異抄』などをよく読み、その自戒生活の実践の中で得意の哲学を駆使して『宗教哲学骸骨』『他力門哲学骸骨試稿』を執筆する。1892年8月に刊行された『宗教哲学骸骨』は、1893年9月のシカゴ万国宗教大会で英訳されて評判となった。
確かに、法科大学の早川千吉郎、一木喜徳郎とともに、文科大学に、「德永滿之」の名が在る。
官報. 1887年07月11日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
ところが宗教心は、第一歩の出発点において無限の実存を確信し、これに対向して、その感化を受けようとするのである。
とあって、
和辻はこうした通俗的理解に抗して、ニーチェの思想を、表面上の論理的混乱を貫いて存立するニーチェの人格的統一に即して把握すべきことを主張したのである。同種の見解は既に高山樗牛などにも見られるが、
和辻 哲郎 1889年(明治22年)3月1日 - 1960年(昭和35年)12月26日
藤澤 清造 1889年(明治22年)10月28日 - 1932年(昭和7年)1月29日
当時の論理学の発展を見ると、和辻のアイデアは、(フレーゲに比して)論理学上は「伝統的」という評価に留まるというべきだろう。むしろ、文学上は、時勢に乗っていたと言える。
「ここには『ニイチェ研究』とは異質の何物かが入ってきている。自我、内面的自我、個性、まして「実存」とはまっ たく土台が違うもの、後者の例でいえば和辻さん特有の意味での 「人間」 (間柄にある人) という観念が中核をなしている」 (唐木順三「解説和辻哲郎の人と思想」 、唐木順三編『和辻 哲郎』所収、 筑摩書房、 一九六三、 三五-三六頁、 ()内原文) 。
服部P134 脚注(3)
清沢の『実存』はスコラ哲学(乃至アリストテレス哲学)における、「存在」の意味か。
Existenz に対応する「実存」の訳語は、九鬼周造が「実 存の哲学」 (一九三三)等の論文でExistentia に「現実存在」 の語を当てたことから一般に広まったといわれる。
服部P134 脚注(2)
こうなると、暁烏敏は、異端の宗教家で、西洋哲学の教養から仏教を捉え直したと言われるが、先達が居て、また、後衛が居たということではないか。
暁烏敏の『『歎異抄』を読む』の有名な冒頭文は、アウグスティヌスの『告白』を思い出すが、『告白』自体、(その内容はともかく)オーソドックスな「話型」に過ぎなかったらしい。
西欧において最初期に書かれていた自伝にはよく見られる内容であり、
個人主義が出て来る。
一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも影響を与えた。
アウグスティヌスは若いころから弁論の勉強をしていたらしい。弁論術の教師をしているうちに、キリスト教徒になった人だ。