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弁護士野村此平の玄関番
野村此平さんがどんな方かと思って検索してみたら。
岡山県出身で、小学校教員を経て中央大学へ進学し、明治31年7月に優秀な成績(邦語法学科45番)で卒業した。卒業後に弁護士登録をして芝(区)愛宕町に事務所を構えた。今の港区ということで、当時はどうだったのだろう。
東京法学院第13回卒業生(法学新法第88号明治31年7月20日)
府参事会員がどういうものかはわからないが、なかなかの人物であるようだ。
当時、つまり、おそらく明治中期以降、こういうキャリアパスもあったのだ。
藤澤清造はどうやって知り合ったのだろう。
政治学では人間本性の問題に対して主知主義の立場を採っている。つまり人間の政治活動とは目的に基づいた手段を選択することで成立しているという前提に基づいた推論を行う。しかしながら、現実の政治では人間は個々人の経験や思想によって動機づけられる。つまり政治学は人間の情緒を取り上げる必要があることが分かる。本書では政治的な行為や動機を形成する人間の本性としての傾向を論考している。
グレアム・ウォーラスは夏目漱石と同じくウィリアム・ジェームズの影響を受けている。上の主張はそのまま(F+f)と謂える(乱暴に言えば、それをFにしようとしたのがフレーゲであり、F自体がダメだと言ったのがラッセルである。
反対に、だからよい、と言ったのが、ウィリアム・ジェームズである。
フレーゲの論敵であるフッサールはラッセルに先駆けてパラドックスに気付いたが、フッサールの心理主義は、後の「態度」を評価する科学を生み出すことがない技術的限界を持っていた)。
『還元的感化』に近い語彙として『還元的環化』があり、reductive cyclization らしい。
まずケクレは1854年にロンドン滞在中に馬車の中で、大きな原子が小さな原子を引き連れて飛び回り、大きな原子同士がそのまま連なっていく夢を見て、炭素が互いに結合して鎖状化合物を作ることを思いついたという。
また、1861年にベルギーのヘントで教科書を執筆していた際に、ストーブの前でうたた寝をしたときに再び連なった原子が蛇のようにうねっており、さらに1匹の蛇が自身の尻尾に噛み付きながら回っている夢を見て、ベンゼンの環状構造を思いついたという。
夏目漱石は講演で、しきりに『還元的感化』を奇妙な言い方と説明したらしいが、こんなところから着想したのではないだろうか。
ケクレがこの着想にまつわる秘話を話したのは、1890年(明治23年)の講演でのことであるらしい。夏目漱石の『文学論』の10年前のことである。
夏目漱石は本当に科学を目指していたと思う。
ただ、それは技術の問題であって、着想の問題ではない。
芥川龍之介『歯車』や夏目漱石『夢十夜』に見られる、素朴な心理主義の中での克服、すなわち、主知主義への傾倒であったり、連鎖の援用であったり、には、それなりの理由があったのだろう。