「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ⑨

 

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要は、あちらこちらで似たようなことをやっているものだから、それぞれ見ていたら、大変なことになったということであった。

元々の発端は何かといえば、芥川龍之介の『歯車』である。

 

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心理学が世界を席巻した様を見てきた。フロイトなど今日の評価では芳しいものではないが、当時は、フロイトの決定的な影響がなければ、カントの言う「妄想」を「卒業」できなかったのだ。

一言でいえば、「完全な個人」はフロイト以降の話だったのだ。
これが重要なのは、それがすなわち「近代的個人」だからである。
ここに夏目漱石の青春の夢※は打ち砕かれた
※と言っても『文学論』を著したのは40歳。

これがどれほどすごいことかというと、簡単に言うと、「ゲーデル不完全性定理」の発見並みのインパクトであり、「アローの不可能性定理」の発見並みのインパクトである。なぜならば、「態度」(サーストン)と「公的訴え」(セン)によって命題関数化することで、実質、これら2つを架橋したからである。実際のところ、アンセルムス、ゲーデルスマリヤンもセンもサーストンも言っていることに同じことを含んでいる。
これらはおそらく対偶を取る。
そして、センはアローを、少なくとも論理上は、克服するアイデアを出したのであるから。
ごく大雑把に言うと、神学は、カントのインチキをすり抜けて、形式論理学となった。

さて、横光利一の突破によって、日本では、「ラッセルのパラドックス」までは行き着いた。こういうことは逸脱した人間にしかできないのだろうか。だが、これ以上がないのである。いや、それは本当だろうか。

だから、藤澤清造である。彼は早すぎた天才だっただろうか。
ここでようやく明らかにされるべき、、、、、、、、、『フィロソフィ』が現れた。

命題による2重構造のロジックを内に秘めているかどうかである。
藤澤清造の『根津権現裏』をぱっと眺めたところでは、主客転倒の物語であり、横光利一の『機械』で見せた主主'転倒(自己再帰)の前置きにしかなっていないのは、新感覚派の盟友、川端康成が仄めかしたところだ。
しかし、「信条」(スマリヤン)であれ、「態度」(サーストン)であれ、「公的訴え」(セン)であれ、二段階の認識作用が分別してなお再帰的であれば、藤澤清造の方が高度な完成品でかつ、時代を先どった「早すぎた天才」の名にふさわしい。横光利一の仕事はラッセルの仕事の30年後のことだったのだ。
運が良ければ、藤澤清造にケース・メソッド(の萌芽)も発見できる。
それが〈個人〉〈生活〉〈社会〉の新たな関係を示していたからである。

さて、反対に『フィロソフィ』のなかった徳田秋声自然主義とは何であったか。
この経緯から言うと、カント以前のことか、制度的なことだろう。