「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ⑩

 

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心理学が世界を席巻した様を見てきた。フロイトなど今日の評価では芳しいものではないが、当時は、フロイトの決定的な影響がなければ、カントの「妄想」を「卒業」できなかったのだ。

一言でいえば、「完全な個人」はフロイト以降の話だったのだ。
これが重要なのは、それがすなわち「近代的個人」だからである。
ここに夏目漱石の青春の夢※は打ち砕かれた
※と言っても『文学論』を著したのは40歳。

 

とは、前回述べたことだが、ようやく芥川龍之介の迷走の理由がわかりかけてきた。
あくまで可能性であるが、心理学の影響を受けていた文学が刷新を始めていたのだ。
論理学が心理学と決別しようとしていたとき、別の方法で、、、、、政治学社会学、法学、文学もまた、刷新されようとしていた。それは「心理学」と呼んではいたが哲学をも「非科学的」と過去へ押しやる運動だった。
本質的に科学足り得えず、ジェームズの影響を受けて「(F)+f」を旗印に掲げ、むしろ違うこと、、、、として称揚していた夏目漱石たち、、も困惑しただろうと想像してよいならば(夏目漱石自身は余裕派・高踏派と呼ばれたが。これは私立大学群の整備による、法学の諸学派の広がり、或いは、師範学校と中等初等学校群の整備による、教育主張の広がりと同じ現象かと思っていた。)、(王朝物を  するなど)方法的な「物語」が方法的な「事態の記述」に脅かされたのかもしれない※。

※現代の(経済学の)言葉ならば「(マクロへの)ミクロ的基礎付け」である。

ここで若干の  が要る。「自然主義」を主張したそもそものゾラは、「科学を標榜」したことになっているが、どうにも判然としないのである。少なくともその説明に於いては、論理実証的であることと科学的であることが区別されていない。いずれも直観乃至主観を排除しようと努めるが、これらは実は異なるニュアンスを含みうる。「対象性(化)」と「客観性(化)」が異なるニュアンスを含むからだ。〈評価〉と〈判断〉が異なるからだが、科学が科学足りえるためには、要素の「対象化」を得なければならない。実証主義は〈判断〉をテキスト(記述)の外に出したが、それは外に出しただけで、外に居る主体に返しただけである。主体の「悪」が実証的なテキストを通して浄化されることはない。
これは実際の社会生活上の政治においては危険であるが(ゾラの優生学への態度をどう理解すべきか。)、政治を「政治」として概念化し仮想的批判者として「リベラル」を気取る文学ならば、「サド・マゾ」も芸術として自由な表現である。それが独特の広がりを見せた日本の自然主義の拠りどころとなったはずで、露悪的であることが政治的に「悪」ではないのは、芸術的だからだ。「概念化」というマジックを持っていた。
しかし、実はそれは、「制度的」であった。少なくともそう批判されうる「事態」であった。

ゾラは早すぎて、十分「事態化」できていなかったのだ。一方日本の「(文学的)自然主義者」たちはそれを新しい「物語」として消費する一方だった。
係る状況に於いて困惑したのは、古典的なロジシャンたちのはずであって、それが芥川龍之介だっただろうと思う。数学者のチャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)なら(数学では絶対に譲れなくても、余技に)おとぎ話をかけた(それで名声を獲得するなら儲けものであり、実際に、このような「不純な動機」で熱心に活動した)。芥川龍之介は元来文学者である。不純な動機で小説を書けなかったに違いない。

 

さて、藤澤清造の『フィロソフィ』の候補が見つかった。
ハーマン・オリファント(Herman Oliphant, 1884-1939)である。
アメリカにおけるリアリズム法学の泰斗で、1924年大正13年)からはシカゴ大学ロー・スクール(イェール・ロー・スクールのようにシカゴ・ロー・スクールではない。)のdean(「学長」なのだが「学監」なのだがわからない。)を務めた、かなり主張の強い人で、後には、「経済実験家」として経済学の知識を請われてFDRから財務長官に指名され、ニューディール政策で税制改革に辣腕を振るった。

Herman Oliphant - Wikipedia

経済学なんてわかるのだろうか?と思ったら、大学では学生に「記述的な、、、、経済学くらいわかれ」と散々叱咤(激励というより、記述できない、、、、、、ことへの嘆きーオリファントが言った「今時の学生は、何も書けない、、、、」は一見、標準的なリテラシーのことかと思うが、「記述」のことだろう)。
このオリファントの主張がメリアムにそっくりなのである。メリアムら政治学者の「シカゴ学派」にとって法学的アプローチも批判対象だったが、法学者のオリファントはすっかりソッチの方へ乗っかったのであった。

オリファントの前にハーバードにラングデル(Christopher C. Langdell, 1826-1906)が居て、ケースメソッドによってロー・スクールの基礎を築いたらしい。

「法は学問である。」(Law as Science)との理論から、ケースブックを使用するケースメソッドと、教授と学生の議論を重視するソクラテス・メソッドを組み合わせることにより法的能力の向上を図るという教育革命を行ない、今日のロー・スクール (アメリカ合衆国)の基礎を築いた。

クリストファー・コロンブス・ラングデル - Wikipedia

新しいことを始めるにあたってオリファントがランデグルを否定したかというと、必ずしもそうではなく、(批判がましいが)発展的な継承とでも呼べるようなことだったらしい。

そしてそれ以前の前提として

「約因論」がある。要は、当事者主義とでも言えばよいだろうか。

約因を構成するためには、履行(Implement)または反対約束が交換的に取引されなければならない。

約因 - Wikipedia

カウサ理論の不可解性
大陸法契約法に於けるカウサ・causa論、つまり、契約の有効性に正当iusta causaを求める理論は抽象的で不可解とされている。

大陸法に於けるカウサ理論とコモン・ローにおける約因論,菊池肇哉

そしておどろくべきことに、このリアリズム法学は今日、判例の論理モデルとしてロジック化されているのであった。そこで『判決文の記述から事実、原告、被告の主張,裁判官の判断理由と結論,に出現するファクタや法的トポスを抽出したものが論理モデルである』(判例の論理構造モデルによる教育支援,平田勇人(朝日大) 新田克己(NII),情報処理学会第81回全国大会,2019年3月)と説明されていることは(その言及はないが)そのまま「リアリズム法学」である。

情報処理学会 第81回全国大会講演論文集

平田 勇人 (Hayato Hirata) - マイポータル - researchmap

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