付け足した。

markovproperty.hatenadiary.com

 

ギャッツビーがGadなら、全部つながるのだけれど。

Gaddesby's name is derived from the Old Norse words gaddr and by, meaning 'farm/settlement of Gaddr' or 'farm/settlement on a hill spur',[3] indicating that it was a settlement during the Danish occupation of England between the 9th and 11th centuries.

Gaddesby - Wikipedia

実は、別に語源の要素を検索すると、

英語 there(そこ)+by(~によって)⇒ thar(その場所で)⇒ tha(それ)+-r(場所)⇒ so(それ)が語源。「それによって」がこの単語のコアの語源。where(どこ)と同じ語源をもつ。

thereby 意味と語源 – 語源英和辞典

古期英語 bi(近くに)⇒ bi(近くに)⇒ hepi-(近くに)が語源。「近くに」がこの単語のコアの語源。beside(側に)と同じ語源をもつ。

by 意味と語源 – 語源英和辞典

【ゲルマン祖語】㋝ 定まった場所を示す副詞を造る

-r 意味と語源 – 語源英和辞典

場所を指示する r が付属する際末尾の子音を重ねさせる変形を伴ったとすると、gad-r-byであり、要は、ガド(人名)の居た辺り、地域名としてのガド、或るいは、そのガドの側である。
そうすると、サムエル記下(口語訳) - Wikisource24章に関係するイスラエル12部族

Judah, Reuben, Gad, Asher, Naphtali, Manasseh, Simeon, Levi, Issachar, Zebulun, Joseph, Benjamin

が浮かび上がる。

アッシャーという名前は聖書で何を意味していますか?

アッシャーはジェイムズの息子だ。


レオン・ワルラスは、経済学のレジェンドであるけれど、文学にも大きな足跡を残したのではないかと思う。
すなわち、アメリカ革命を参照しながらも、複雑な経緯をたどったフランス革命が、変化しながら受け入れられていった様を見るには、バルザックユゴーワルラス(―フィッツジェラルド)を見るのが、最適なのではないかと思う。

Charlotte Mary Brame - Wikipedia

アメリカとフランスの違いについては、或いはシャーロット・メアリー・ブレイム(バーザ・M・クレー)※、或いはミラン・クンデラを見ればよいだろうと思う。
※同時期に、シャーロット・ヤング - Wikipediaも居て著名だが、別人である。

作品の梗概を見ると、『ドラ・ソーン』はイギリス貴族社会を背景にした作品であり、恋愛と陰謀をテーマにしており、家庭小説と探偵小説の要素を取り入れた作品であるといえる。

東アジアにおける『ドラ・ソーン』の翻訳と翻案 —小説の翻訳を中心に— , 鄒 波, 復旦大学外文学院

『女より弱き者―米国版金色夜叉』(バーサ・M.クレー)の感想(1レビュー) - ブクログ

そして、同時期に近代化を目指した日本においては、メアリーが『金色夜叉』のアイデアを提供したように、『ドグラ・マグラ』への影響を見ればよいと思う。
特に、日本では、近代小説における心理主義の影響が言及されにくいので、論理主義との相克を踏まえて整理されてよいと思う。

しかし、それを十分に理解するには、19世紀までに起こった一連の変革、数学革命、科学革命はもとより、17世紀までに起こった法学革命も、デカルトらの近代哲学の黎明とともに、視野に入ってくるだろう。なぜなら、それが、(カウサ理論と対比される)「約因論」というアメリカニズムを準備したからである。

アメリカニズムとは - コトバンク


ちょこちょこ「約定論」としてきたが、「約因論」の誤りであった。訂正


同時期に、ソロヴィヨフという人が居て、この人がドフトエフスキーらに多大な影響を与えたらしい。

いや、アメリカニズムを考えるにあたって、自然法論に根差した商法の泰斗田中耕太朗の著作で、何か小説でもないかと検索したら、小説はなかったが、この人の名が出てきたのである。
ロシアに関しては、後進国として、哲学的にはドイツの影響、科学的にはフランスの影響を見るのは短絡的すぎるのだろう、要は、16乃至17世紀から始まる「近代化」を一気に捲し上げたような勢いである。だから、反対にいうと、つまらない。
つまらないのだが、この人の仮想論敵の一人がカントで、カントの永続平和論とソロヴィヨフの戦争論を比較すると、この地域の人たちの実感がうかがえるかもしれない。
父親が大した歴史家で、

ポーランド・リトアニア共和国の衰退を著した「ポーランドの没落」(История падения Польши)(1863年)

セルゲイ・ソロヴィヨフ - Wikipedia

を著していて興味深い。
ロシアはやっぱり、確率論である。
宗教哲学はアジア過ぎる。普遍性を装えないのである。ロシア擁護のくだらない「言訳」を理解するには多少の参考になるかもしれない。当時にあってきわめて発達した科学的観念ときわめて発散したオカルティズムが同居していたのであった。
余談であるが、その後に発達したソビエト法も、だからか、なんだか無理をした奇妙な感じなのであって、日本も戦後、そのおかしな影響を受けたことも(一部で)あったのであった(いや、ドイツで生まれた行為無価値/結果無価値のアイデアは、就中結果無価値論は、むしろソビエト法の中で成熟したのかもしれないが、詳しくは知らないので、間違った理解かも知れない)。
マルクス主義法学のその支配的地位と無残なまでの体たらくは、そもそもに無理があったと確信している。長い法学の発展史において、その大部分が、余計だった。
ドイツの神秘主義とドイツ人の口説の悪影響が凄まじいので、その対抗馬になった程度である。