綿矢りさ「小説を執筆する上でも大変影響を受けた」 自身のアニメ史を明かす(ananweb) - Yahoo!ニュース

綿谷さんって、バルザックの影響を受けたのかな?

と思ったら、太宰だった。

意外だったなぁ。

太宰ってただの変人で、破綻した人間だよ。
まともに受けとるべきではない。
それで、綿谷さんって、まともに受けとるような人じゃないから、大丈夫なんだろうね。

太宰治の神について - 人間失格の「神様みたいないい子でした... - Yahoo!知恵袋

「要蔵」の自己憐憫は界隈では「あるある」だよ、ただの。

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志賀直哉の「神」だな。

なるほど、これかもしれないな、と思うのは、紹介文に

たけくらべ』の美登利の心変わりにおける「突然」と「偶然」の相違とは?

とあるからで、私も、志賀直哉が『城崎にて』で開眼した「偶然」とは偶然じゃなく、意図的なものであると感じていたからだ。もちろん「たまたま手元が狂った」からであるが、それが意図的なのは、志賀独特の三段論法を用いていることからわかる。
これは通過儀礼的な古典で、政治的人格への関与である。要は、志賀直哉なりのトーマス・マンであるが、なにしろ白樺派である。「自然の改造」とはもとからあった「西洋思想」ではない。
志賀直哉は、彼自身の思想への「帰依」を否定したが、カミュとも違った反抗的な「態度」があったのだろう。この「態度」への自己評価に志賀唯一の科学性(統計心理学も科学である。)を認めることができる。

19世紀は科学革命の時代で、数学革命における(集合論の)「対象」の具象である「偶然」の取り扱いが画期をもたらしていたが、文芸に関して言えば、心理学就中実験心理学、統計心理学が大きな意味を持った。夏目漱石を生んだのは、元良良次郎である。

ところが、文芸は文学であるから、科学と同じわけにはゆかない。「學」の何たるやを問われるのであるが、それが「意思」であるのは、間違っていないだろうと思う。
志賀直哉は構造的に考えられる希代のロジシャンであったが、『小僧の神様』では、「意思」が「信念」として描かれている。おどろくべき慧眼である。

その文脈において、「偶然」は「突然」と理解した方が、自然である。その「偶然」は条件付けで構造化されているからである。これこそがロジシャンたる志賀直哉の面目躍如であって、それを「生殺与奪」と受け止めるのは、その評者は日本主義者なのか?と思わずにいられない(文学教育はもとより道徳的で、しかしそれは戦後教育的なはずであったが、それでも戦前の残り香はあるのである※)。志賀直哉はやはり、思想的なのではなく、論理的なのであった。
※これが、「論理国語」を必要と考える、ひとつの動機である。何をどう嘯こうが、道徳的であることは意思的に妨げられない。構造的に理解するほかないのだ。
特に問題は、「大正デモクラシー」を理想化していることで、大正期は次の昭和期を準備することはあっても、なにひとつ、妨げていない。戦前への批判の目は、当然、「大正デモクラシー」にも向けられなければならない。ようやくそのよすがとなるべき「大正生命主義」の勃興が取り上げられるようになった段階である。「戦後」がいかに長かったか。80年かかったのである。

n.loilo.tv

と思ったら、今は、こう教えているんだね。
以前、国語の授業ノートで検索したら、「生殺与奪」が出てきたけれど、もう出てこない。

それをこの渡辺直己に発見したのは嬉しい。
というのは、渡部直己は、

秋山駿、蓮實重彦平岡篤頼柄谷行人金井美恵子、ジャン・リカルドゥー、ロラン・バルトらの影響を強く受ける。いわゆる「テクスト論」の文芸批評家としてデビュー。絓秀実との共著『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(1993年)などで知られる。

渡部直己 - Wikipedia

このような人で、

谷崎潤一郎蓮實重彦中上健次江川卓青木淳悟を愛し、

村上春樹を嫌うらしいが、

1976年同大学院修士課程(フランス現代文学)修了。当時ヌーヴォー・ロマン研究の牙城であった早稲田大学の中心的人物平岡篤頼と師弟関係を結ぶ。博士課程への進級試験に落第。横浜の高校でフランス語を教える。

で、

アラン・ロブ=グリエクロード・シモンマルグリット・デュラス等、ヌーヴォー・ロマンの翻訳で知られているが、バルザックやメリメ等も翻訳し、小説も書くなど、幅広い活動をおこなった。

平岡篤頼 - Wikipedia

とくに、

平岡のもとで学んだ教え子には、栗本薫重松清堀江敏幸小川洋子角田光代勝谷誠彦らがいる。

栗本薫がよい。栗本にとっての「SF」が、谷崎にとっての俗論心理学だったと思えて来る。栗本は物語性の復権を主張した。

Afterdawn
★★★☆☆小説は人生? 煮え切らないフォルマリズム
2013年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入

馬琴の「稗史七則」という、ジュネット『物語のディスクール』に匹敵する驚くべきナラトロジー・小説技法論を紹介し、その「影響の不安」(渡部氏は使っていない言葉だが)の下に、逍遙らが呻吟していたことを明らかにする。その上でこそ、馬琴の一則「襯染(しんせん)」を超越して、「突然に」狂う樋口一葉の女たちによる「切断の奇蹟」の歴史的意義が見事に浮き彫りにされるのである。
ところが、その後の展開ではこのように鮮やかなフォルマリズム批評は影を潜めてしまうのだ。
わずかに森鴎外の「史伝」と谷崎潤一郎の「古典回帰」の対比(第八章)にそれが再現されるのみである。
この第八章が「「文」はどのように「人」めくのか?」と題されているところに、実は、本書の帰結するところが示されている。
それは、結局は、「文」は「人」であり、「文学」は「人生」、「人生」は「文学」だということなのだ。
このことそれ自体はけっして古い見方ではない。
作者そのものが歴史や社会のコンテクストから切り離しえないこと、人間そのものがテクストであることは、現代批評が到達した一つの結論である。
しかし、渡部氏の議論からは人間そのものの、このようなテクスト性は浮かび上がらず、いかにも古色蒼然としたものになってしまっている。

なんのこっちゃとの感慨しか抱かないが、悪口ではない。

ジュネット『物語のディスクール』要約 : 社会学しよう!

実はこのレビューにおける現代的なテクスト理解の欠如を生む人間観が、私の志賀直哉への感想そのものなのである。
志賀直哉が自己を「思想的でない」というとき、超然的なように感じるのである。
社会に、否応に、叩き込まれていないのだ。志賀は父親との確執を持った。
しかし、その確執は、「小僧の神様」ではなかった。むしろ、小僧扱いされることへの反発であるが、それは自己への当然の信頼がある。言ってみれば、白樺派的な行動の動機もそれであった。武者小路実篤は挫折したが、反発して保守的になった。
こうなると、単にプライドの問題であるが、人間がプライドの器であることを疑っていないのだ。戦後の、帰還した傷痍兵などの軍人への態度を見ると、プライドの内容が何であるかにこだわったが、器であることには無関心であった。戦後はその器性に焦点があたったのである。