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デカルトの作図における(直交座標でない)斜交座標ってピンと来なかったけれど、
ワシのもう一つのライフワーク
愉快なおじさん図のことか。
ワシは法線の基準となる円の代わりに現場猫を使って居るが、「振り向き」が鍵になっている。
2種類の斜交座標の交錯は、見えない「高さ」を出すのに、有効だと思うんだよね。
そうか、そういうことか。
意外なところで、意外なアイデアが役に立ちそうだ。
デカルトとは気が合いそうだ。
ただ、これ、錯覚(の利用)なんだよな。
西洋絵画はどうだったかというと、
サンタ・マリーア・ノヴェッラ修道院スペイン礼拝堂のアンドレア・デル・ボンニュート作のフレスコ画(1365年頃)。大聖堂の完成予想図が描かれている(ドーム直下のドラムはない)
これらは、イタリアフィレンツェを称賛した
に詳しいらしい。著者は、
ジョルジョ・ヴァザーリ 1511年7月30日 - 1574年6月27日
ルネ・デカルト 1596年3月31日 - 1650年2月11日
すなわち、建築の発見から透視図法の発明があり(ブルネレスキ)、絵画の「ルネサンス」があり(マサッチオ)、作図の「ルネサンス」があった(デカルト)というわけで、きわめて実学的だったのだ。ここで「ルネサンス」とはスコラ哲学との関係から述べている。
この頃から1418年ごろまで、フィリッポ・ブルネレスキは同時代の彫刻家の大家であったドナテッロと共に何度かローマに足を運び、ローマの建築物を数多く見ることになります。やがてフィリッポ・ブルネレスキはそうした建築物の中に一定の法則が隠れていることを見出し、そこから、「透視法」を確立。フィリッポ・ブルネレスキは歴史上、透視法を正式なものにした一人者だと言われています。フィリッポ・ブルネレスキがまず最初に描いた透視図は一点透視法を用いたサン・ジョヴァンニ洗礼堂、そしてそれに続くのが二点透視法によるシニョリーア広場の図面です。ただし、現在残っているフィリッポ・ブルネレスキの透視図では、「サント・スピリト聖堂」の透視図(上図)がよく知られています。
気になったのは、
フィラレーテは、ギリシャ語で「徳を愛する者」という意味で、彼が晩年に用いた名である。実作はあまり手掛けていないが、奇異で神秘的な計画案を遺したことで有名である。
フィラレーテがギリシャ語であること。
フィラレーテの『著書に,理想都市「スフォルツィンダ」の構想を述べた『建築論』Trattato d'architettura(1460~64頃)がある』(コトバンク)らしい。
全25書からなる《建築論》では,対話体の物語にそって架空の理想都市スフォルツィンダSforzindaの建設,架空の《黄金の書》にもとづく古代都市プルシアポリスPlusiapolisの様子,作図法と色彩論が語られ,王宮,城塞,集中式教会堂など多様な設計例が紹介される。それらの作例には北イタリアのロマネスク,ビザンティン様式の影響が残り,実施作オスペダーレ・マッジョーレとも共通する折衷的な古典主義は,写稿を通じて独特の理想都市平面とともにスペイン,フランス,東欧,北欧にまで広く知られた。
フィラレーテの実作には
ブルネレスの「順序文法」を極端に適用することなく、装飾的な豊かさによって和らげられている。
がある。おそらくブルネルスキの誤り。特徴はゴチック様式で
- 尖頭アーチ:スパンの半分よりも長い半径をもつ2つの円弧でつくられる先端のとがったアーチ。
- リブヴォールド:横断アーチとその対角線のアーチをリブとし、その隙間をセルによって覆うヴォールト。
ゴシック様式は、フランスのイル・ド・フランス地方から始まって各地へ広まった様式であり、ゴート族またはドイツ語を話す人々が創始した様式ではない。また、この様式が創始された時代の者たちは「現代様式」や「フランス様式」と言い表している。
『西ヨーロッパの12世紀後半から15世紀にかけての建築や美術一般を示す用語』(同上)であり、『ルネサンス期以後ゴシック様式は蔑まれ、一部その使用され続けたところもあるにせよ(ゴシック・サバイバル)、ほとんど採用されなくなった』(同上)らしい。
現時点ではっきりしているのは、提案者の一人、フィリッポ・ブルネレスキという金細工師が、一つではなく二つのドームを建てると大見得を切ってみせたことだ。
『外側のドームの内側にもう一つのドームを造るという二重構造を提案』したらしい。
こうなると、サグラダ・ファミリアを思い出すのであって
ガウディはカテナリー曲線を実験で独自に発見したことで有名である。
サグラダ・ファミリアは曲線と物語で彩られている。
絵画は「読む」ものでもあったのだ。
そこで初めて東洋絵画との比較が出来る。
斜交座標と直交座標の組み合わせで描いた共通点があるにも関わらず、東洋絵画は「透視図法」とならずに独自の発展を遂げた。
そこに世界観の違いを感じるのである。
一般的に、東洋絵画は「立体的」とみなされない。
そうだろうか?
雷神図は「高さ」の違いがダイナミックに描かれている。
「立体的」ではないのではなく、「分析的」でないのだ。
だから、西洋絵画に見られない、継時性が見られ、天才ダヴィンチでも苦慮した物語性を容易に獲得している。西洋絵画を「読む」には、別途ルールを設けなければならず、大変なのだ。東洋絵画はルールが内部化されているに過ぎない。
デカルトはフランスにおけるルネサンスを引き受けていたようだ。
憧れの先進地はガリレ・オガリレイを生んだイタリアであって、フランスは後進国だったのだ。
それでも、デカルトがただの模倣に終わったと考えることはできない。
楕円は複数の円の構成物を超えるものだからだ。デカルトがその歴史的経緯の中で果たした画期にも着目しないわけにはゆかない。
コンパスと定規による作図法と座標と算術による記述法にまたを架けたデカルトの特殊さがある。おそらくそこに、建築或いは作図とは別に、絵画という、世界を平面に映す術が介在しているのではないか、と思った次第である。すなわち、作図と描画と記述を繋げることによる、世界性の獲得である。そこに、ラプラスが算術に対して言ったアナロジーを別に感じるのである。