小学5年生、つまり第二次性徴期を迎える児童に、夏目漱石の『こころ』を読ませる。

高校2乃至3年生に、つまり、成人年齢を迎えて社会人としての準備を始める児童(生徒)に、ウィリアム・ジェームズの『プラグマティズム』を読ませる。

ちなみに、ティーンエイジャー - Wikipedia

体験から読み取れないから、文の構造から「答え」を導く。

ちなみに、経験と体験 - 川越こころサポート室(埼玉)

読めるかね?

というのは、いずれも著名であるが、いずれも相当濃い時代的背景を持っている。
だから、『こころ』をゲイ小説と読んでしまう。
もともとひとつのテーマを掲げてそれぞれに独立した話を連作するつもりで書き始めたもので、間違っているかどうかすらわからない。そもそも「友情」と「愛情」が曖昧で(夏目漱石正岡子規心理的な関係は一筋縄ではゆかない。寂寥感に焦がれて求め、一方で疎ましく思っている。要は、「患って」いる。)、リンカーンだって、婚姻前に悩んだ末に遠隔地の友人を訪れて一夜のベッドをともにしたのだ。そこにlove affirがあったかどうかはわからない。

An affair; a usually adulterous relationship between people who are not married to each other.

英語「Love Affair」の意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

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夏目漱石シェークスピアが描出した「悪」をテーマにしたというのは、まだわかる。『オセロ』でのイアーゴーのそれが不完全だったから、それについてインスピレーションを得ていた。

それが「同性愛」となると、間違っているかはわからないが、飛躍を感じる。
当時は、心理学に大きな期待がかかっていた時代である(おそらく宗教に替わる方法論である科学に対して。「女性」「知能」「犯罪」そして「変態」など様々な検証が、社会に存在した主体的な価値の擁護を目指す、係る科学者自身の主体性を反映して、試みられた時代であった)。

漱石の参禅体験を補助線に引くならば、禅とは「円」に代表される曖昧模糊としたママ受け取る態度であるが、ソクラテス・メソッドは、アマルガムな中間項の構成こそがその本義であるが、なお、形式的な順序を持つことによって、帰結を「産む」のである(「産婆法」と呼ばれた)。
「不立文字」が禅であり、  が論理である。
しかし、実のところ、似たような機序を持っている(まただから、その克服が、近代科学なのであった)。

漱石は文学の科学化を目指し、それは実のところ独創的でも突飛なアイデアでも決してなかったのだが、近代科学として成立しなかったことが近代文学の大きな遺産となった。

歴史学の奇妙さを知っている人は少ないないだろうが、ただマルクス史観の影響ではなく、マルクス史観を含めた近代国家史観(ある統治領域を「近代国家」の指標から当然に考える。「当然に」とは無自覚のことである。)とでも呼べる特殊な見方のことである。この指標が、科学的要素である「(操作)対象」のことであるが、これが成立していないことが、どうもよくわかっていないようなのだ。

文学においては、科学ではなく、社会思想である。「存在」とは実のところ思想における語彙であって、直ちに科学的な「対象」となるわけではない。モダニズムを工業化や資本主義化から考えて、孤立に焦点を当てるのは、そもそも自然科学的でないのだ。それはそのままでは思想である。
だから、科学的統計などを通じて、科学的になろうとするとき、科学と呼ばれるようになる。方法論が科学なのであるが、文学や法学などの「科学」とは、統計ではなく資料の渉猟と、資料の基礎要素である文字による構成関係を照らして矛盾を排した判断をすることを指す。これは(科学主義というより)経験主義なのだ(技術的に「普遍」に至ることのない帰納主義とも言え、とどのつまりは、より納得しやすい一般的見解の提出であって、判断に関して大きな制約が係ることが自明である—科学的方法論が「真に普遍的であるか」については、所詮は、社会的存在である人間を原器としたコミュニケーションである「社会的事実」を免れないことは言うまでもないが、言うならば、判断レベルの違いである。人間が世界を創造するわけではないが、「社会的事実」としてしか受け取れない認知上の限界が人間にあるという端的な事実を言っているのであって、「社会的事実」が世界のすべてではない。こんなことはヴィトゲンシュタインの独創のわけがないのであって、カントを始めドイツ人が為した世界的な影響とは、「当たり前のことを偉そうに言う」ことである☟note。これが重要なのは、当時のヨーロッパは、いろいろな意味でイスラムに支配されていたから、「独立」を果たす必要があっただけである。ところがこれが世界の近代化に大きな役割を果たした。「俺たちは俺たちでいいんだ」ということが多くの来るべき「国民」を鼓舞したからである。これが「近代国家」の「成人儀礼」となった—すなわち、歴史法学である。これが神に変わる社会進化論と、神を内在化して個人的に所有する人権思想と相まって、近代国家を生んだのである一方で「神の裏口からの援用」という批判にあるように、近世までの幾何的世界観を残したのであった)。「科学的実在論」「抽象的実在論」に先立つ「素朴実在論」であるとも言える。

漱石の文学は、実験心理学になれなかった。内心の「進化」の素朴な観察に留まったのであった。


☞note  いや、当時は当たり前でなかったのでは?というと、そうとも言えるが、そればかりとも言い切れなかったようなのだ。

どうも、だからたびたび 、、、、 ルネサンスが起こる。「ルネサンス」を見ようと思うときに驚くのが「どのルネサンスを見ればよいのか」ということである。


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遠近法が歴史的に重要なのは、もちろんレオナルド・ダ・ヴィンチと、おそらくデカルトである。

デカルト座標については、寝っ転がっていた時に、飛んでいる蠅を壁からの距離で測れることがヒントと成った逸話が有名であるが、ニュートンがリンゴを見て重力を「思いついた」くらいに奇妙な話である。

「測る」ということについて言えば、四角と円の構成によって人体を測ることを図示した  が有名である。これが普遍的な方法論であることが鍵である。
デカルトがこれを参考にしたわけではないと聞いたと思うが、これはかなり普及した方法であって、  以前の実在論に依拠したデカルト及びヨーロッパ社会が「まったく」この普遍的な方法の影響を受けなかったとは考えにくい。

具体的には、当時隆盛と成った立体図の描出と光学の方法が建築技術でルネサンスされた透視図法として結実したとき、やはり、ギリシアの伝統に沿って立体図の投射問題としての平面図形の図示問題を考えていたデカルトにとって、僥倖をもたらしたと考える方が自然である。

特にデカルトの図示に関して重要な事実は、(実のところ当初直交でなかったことも重要であるが—ただし、要再調査。)方程式を解くためもあったためか、長さの比しか書き表していなかったことである。これはデカルトが「量」を扱っており、いまだ「数」に至っていなかったこととも整合的である。

ChatGTPに聞いてみた。

—influence between "Cartesian coordinate system” and The Vitruvian Man drawn by Cesare Cesariano

The "Cartesian coordinate system" and "The Vitruvian Man" drawn by Cesare Cesariano are two distinct concepts, but they are connected through their contributions to the fields of mathematics, art, and science during different historical periods.

  1. Cartesian Coordinate System:

    • Influence on Mathematics and Science: The Cartesian coordinate system, developed by René Descartes, revolutionized mathematics and science by providing a standardized way to represent geometric shapes and positions in space. It laid the foundation for analytical geometry and had a profound impact on fields such as calculus, physics, and engineering.
  2. The Vitruvian Man by Cesare Cesariano:

    • Artistic Representation: "The Vitruvian Man" is an artistic representation of ideal human proportions, inspired by the writings of the ancient Roman architect Vitruvius. Cesare Cesariano created his own version of this iconic image in the early 16th century.
    • Connection to Geometry: While "The Vitruvian Man" is primarily a work of art, it does emphasize the importance of proportion and geometry in representing the human form. The image showcases a figure inscribed within both a square and a circle, highlighting geometric relationships.

The connection between the two lies in their shared interest in geometry and proportion, albeit from different perspectives:

  • The Cartesian coordinate system provides a mathematical framework for understanding and working with geometric shapes and positions in space. It is analytical and precise, serving as a foundation for various scientific and engineering applications.

  • "The Vitruvian Man," on the other hand, is a visual representation of the aesthetic and proportional ideals associated with the human body, as described by Vitruvius. While it doesn't directly involve Cartesian coordinates, it emphasizes the significance of geometry and proportion in art and the human form.

In summary, the Cartesian coordinate system and "The Vitruvian Man" drawn by Cesare Cesariano are both influential in their respective domains, with the former focusing on mathematics and science, and the latter on art and the representation of ideal human proportions. They showcase different aspects of the importance of geometry and measurement in their respective fields.

「カルテシアン座標系」とセザーレ・チェザリアーノによる「ビトルビアン・マン」は、異なる歴史的な時期における数学、芸術、科学の分野への貢献を通じてつながっていますが、それぞれ独自の概念です。

  1. カルテシアン座標系:

    • 数学と科学への影響: カルテシアン座標系は、ルネ・デカルトによって開発され、幾何学的な形状や空間内の位置を表現する標準的な方法を提供することで、数学と科学を革命化しました。これは解析幾何学の基礎を築き、微積分学、物理学、工学などの分野に深い影響を与えました。
  2. セザーレ・チェザリアーノによる「ビトルビアン・マン」:

    • 芸術的表現: 「ビトルビアン・マン」は、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著作に触発され、理想的な人体の比率を表現した芸術作品です。セザーレ・チェザリアーノは、16世紀初頭にこの象徴的なイメージの自身のバージョンを作成しました。
    • 幾何学との関連: 「ビトルビアン・マン」は主に芸術作品ですが、人体の形態の表現において幾何学と比率の重要性を強調しています。このイメージは、四角形と円の内に図示された図形を強調することで、幾何学的な関係を示しています。

これら2つの概念のつながりは、異なる観点からジオメトリーと比率への共通の関心にあります:

  • カルテシアン座標系は、空間内の幾何学的な形状や位置を理解し、操作するための数学的な枠組みを提供します。これは分析的で正確であり、さまざまな科学的および工学的な応用の基盤となっています。

  • 一方、「ビトルビアン・マン」は、芸術と人体の理想的な比率の表現に関連しています。直接的にカルテシアン座標を使用するわけではありませんが、芸術と人体の形態における幾何学と比率の重要性を強調しています。

要約すると、カルテシアン座標系とセザーレ・チェザリアーノによる「ビトルビアン・マン」は、それぞれ独自の分野で影響力を持ち、前者は数学と科学に焦点を当て、後者は芸術と理想的な人体の比率の表現に焦点を当てています。両者はそれぞれの分野で幾何学と測定の重要性の異なる側面を示しています。

"Vitruvian Man", illustration in the edition of Vitruvius' De Architectura by Cesare Cesariano (1521).Cesare Cesariano - Wikipediaより

—"Vitruvian Man", illustration in the edition of Vitruvius' De Architectura by Cesare Cesariano (1521)日本語に翻訳してください

「ビトルビアン・マン」は、セザーレ・チェザリアーノによるウィトルウィウスの「建築について」の版(1521年)の挿絵です。

—Wtat's "The Vitruvian Man"

"The Vitruvian Man" is a famous drawing created by the Italian Renaissance artist and polymath Leonardo da Vinci around the year 1490. It is a depiction of a man standing in two superimposed positions with his arms and legs apart inside both a square and a circle. The drawing is accompanied by notes and measurements in the margins.

The image is based on the writings of the ancient Roman architect Vitruvius, specifically his work "De architectura" (On Architecture), which described ideal proportions for the human body. Leonardo's illustration is a visual representation of Vitruvius' concept, highlighting the idea that the human body can be inscribed within both a square (representing earthly or architectural aspects) and a circle (representing divine or spiritual aspects), demonstrating the harmony and symmetry of the human form.

"The Vitruvian Man" is not only a celebrated work of art but also a symbol of the intersection of art, science, and mathematics during the Renaissance period. It remains an iconic representation of human anatomy and proportion.

「ウィトルビアン・マン」は、ルネサンス期のイタリアの芸術家兼万能家レオナルド・ダ・ヴィンチが約1490年に制作した有名な図面です。この図は、四角形と円の中に立つ男性の姿を描いており、その上に重ねられた2つの姿勢が示されています。図面の周りには注釈と測定値が記されています。

このイメージは、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著作、「建築について」(De architectura)に基づいており、そこで人体の理想的な比率が説明されています。レオナルドの図は、ウィトルウィウスの概念を視覚的に表現したもので、人体は四角形(地上的または建築的な側面を表す)と円(神聖なまたは精神的な側面を表す)の両方に内接でき、人体の調和と対称性を示しています。

「ウィトルビアン・マン」は、芸術、科学、数学の交差点を象徴するだけでなく、ルネサンス期におけるアートの優れた作品であり、人体の解剖学と比率の象徴として今も尊敬されています。

—Who's Cesare Cesariano

Cesare Cesariano, also known as Cesare di Pietro Filippo da Cesena, was an Italian architect and engineer who lived during the Renaissance. He is best known for his translation and commentary on the works of the ancient Roman architect Vitruvius.

Cesare Cesariano's most notable work is his translation of Vitruvius' "De architectura" (On Architecture) into Italian. This translation, titled "Il trattato dell'architettura di Marco Vitruvio Pollione," was completed in 1521 and included Cesariano's own illustrations and annotations. It played a significant role in reintroducing Vitruvius' architectural principles to the Renaissance world and had a substantial influence on the architecture and engineering of the time.

Cesare Cesariano's work helped bridge the knowledge of ancient Roman architectural theory with the architectural advancements of the Renaissance. His translation of Vitruvius' work remains an important historical document in the study of architectural history.

セザーレ・チェザリアーノ(Cesare Cesariano)、またはセザレ・ディ・ピエトロ・フィリッポ・ダ・チェゼーナとしても知られています。彼はルネサンス時代に生きたイタリアの建築家およびエンジニアで、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著作を翻訳し解説したことで知られています。

セザーレ・チェザリアーノの最も注目すべき業績は、ウィトルウィウスの「De architectura」(建築について)をイタリア語に翻訳したことです。この翻訳は「Il trattato dell'architettura di Marco Vitruvio Pollione」と題され、1521年に完成し、セザリアーノ自身の挿絵と注釈が含まれていました。これはウィトルウィウスの建築原則をルネサンス時代の世界に再紹介し、当時の建築とエンジニアリングに大きな影響を与えました。

セザーレ・チェザリアーノの仕事は、古代ローマの建築理論の知識をルネサンスの建築の進歩とつなぐのに役立ちました。彼のウィトルウィウスの著作の翻訳は、建築史の研究において重要な歴史的文書として今も残っています。