andを通じた「法文構造」を明らかにしたので、そろそろ、レシピの「逐条解説」をしようかと思ったけれど、なんか面倒くさい。

意外だったのは、英語と数学が、発想の点で近い、というか、ごく自然になだらかに繋がっているということ。だから、夏目漱石の”F+f”は、実は、発想の点では、それほど突拍子もないアイデアではなかった、ということ。

アスペクト ステヴィン,ブルバギ 代表(マーカー),写像
モダリティー フレーゲ 判断
コピュラ デカルト,カント,スマリヤン 実在、述語、可能

Simon Stevin (1548-1620)はフランドルに生まれた数学者・物理学者・会計学者であり、シェークスピア(1564-1616)と同時代にあって、アントワープで簿記会計の仕事に就いた後、財務局に勤めたらしい。ステヴィンは、はっきりとしないが、(レコンキスタを終えた)スペイン侵攻による宗教迫害を逃れたのではないかと推測されているようだ。

アムステルダム | 世界史の窓
シモン - Wikipedia

経歴が後の「法学者」ライプニッツ(1646-1716)と比較出来て興味深い。「債務整理」繋がりで、紙の上の数字を操作していたのだ。そこでは、「数」は「量」ではなく「法」なのだ。「存在」ではなく「象徴」である。
シェークスピアが存在ゆえのある不可能から倫理を要請したとき、ステヴィンは、数を考案したのだ。

※もちろん、数学と英語は同じではない。発想の根底に同じものがある、乃至、影響を受けている、という理解の仕方である。しかし、それは「文化」であるがゆえに、異文化に属すると、見えてこないことかもしれない。ルネサンスが実のところイスラム神学の受容であったと、同じ敬典を奉ずる人々でなければ、どうして理解できただろう?
キリスト教徒は積極的にそれを語ってきただろうか。近代化によって、完全に、ルーツを断ってしまったように見える。それはギリシャ哲学ではなく、イスラム神学者に解釈された「ギリシャ哲学」だったのだ。すくなくとも、オッカムは、その強い影響下にあったようだ。ならば、プロテスタントは、その末裔である。単純に「カトリックの腐敗」に対抗したとは言い切れなくなる。これはルターの「ユダヤ人問題」に微妙な影を落とす。キリスト教徒は、時に、イスラム教徒に支配され、時に、イスラム教徒を弾圧した。ユダヤ人は、時に、イスラム教徒であり(ユダヤ人でなくなるわけではなく、イスラム教徒のユダヤ人である。)、時に、キリスト教徒になった。そのような複雑な問題を孕んでいる。

ならば、なぜ、夏目漱石が挫折したかというと、and の要請する”=”の意義がよくわからなかったのではないかと思う。すなわち、”F+f”とは”F and f”のことであるが、これはあくまで、「」の中に焦点を合わせただけで、これにはそれを参照する「」の意義を明らかにしなけれならない。つまり、構造である。それによって、Fとfがどのように一致するのかを説明できなければならない。これができなかったのだろうと思う。

 

 

トマセロの言語獲得の理論は社会語用論的アプローチと呼ばれ、共同注意(ジョイントアテンション)を初めとする社会的・コミュニケーション的な側面の果たす役割の重視を特徴としている。

1972年にデューク大学から心理学の学士号を、1980年にジョージア大学より実験心理学の博士号を取得。

マイケル・トマセロ - Wikipedia

  1. 言語現象の記述や説明において、チョムスキーが仮定した普遍文法仮説のような「他の認知能力に還元できない生得的な言語知識」というようなものを置くのではなく、一般的な認知能力の発現として捉え、記述・説明する。
  2. 意味は静的なものではなく事態把握・語用論的面を含めたダイナミックな「概念化」として記述する。
  3. 言語の運用という面から言語の実態を見直す。

認知言語学 - Wikipedia

TIME-AWAY構文を確認しようと思って検索したら、

time away constructionについて | 英語の勉強メモ

というすごい人が居て、学校の先生なのか、学生さんなのか、何がすごいって、

Twistin' the Night Away | jstor

を参照しているのだけれど、”JOURNAL ARTICLE”って論文でしょう、これ。
教科書を読むのではなく、論文を直接引用して、立教大学の入試問題に解説を施している。

そうすると、Early Bird先生が紹介していた、Z-KAIが、

実は、この学統に属する乃至棹差すものであるのかもしれない。

つまり、

『原仙』が

の「ジュニア版」的位置づけであるのと対照的であるようにも見える。
しかし、実のところ、

there are some respects in which it is seriously flawed and disappointing. A number of quite basic categories and concepts do not seem to have been thought through with sufficient care; this results in a remarkable amount of unclarity and inconsistency in the analysis, and in the organization of the grammar.

The Cambridge Grammar of the English Language - Wikipedia

categories(カテゴリ)””concepts(概念)”に言及して、英文法を分析するあたって十分考慮していなかったと告白している。

これが「神学」が「人間学」に変わった瞬間である。

  1. 人間は言語によってのみ人間である
  2. 言語と人間の社交性とは、ともに人間に属している。かくして人間は本質的に言語を話すものであり、したがってまた社会的動物(animal sociale)である。
  3. 言語は自我と世界の間を媒介する。
  4. 言語において人間は、人間形成の可能性を所有する。
  5. 言語は人間育成の機関(Organ)として、精神の絶えざる緊張であり、活動(Energeia)である。

P.42,ヴィルヘルム・フォン・フンボルト言語哲学--言語の起源と本質
同志社外国文学研究 / 同志社大学外国文学会 編 (通号 4) 1972.12.00 p.39~61

ただ、或る意味で差別主義者だったフンボルトにとって残念なことに、言語は、猿でなくとも、鳥も解する※。彼の信じた科学がそれを明らかにした。彼の「科学」は「人間に関するイデオロギー」だったのだ。
その場合、制限を少し緩めて、「言語」ではなく「文化」と言えばよい。
実際のところ、「(国語)文法」は文化だったのであり、「構造」が科学だったのだ。

markovproperty.hatenadiary.com

※もしかしたら、日本人が、世界に果たした”人類史上”最大の貢献でなかろうか。

「鳥も文法を解する」

ワールドカップでドイツに1勝したどころの騒ぎではない。
「ドイツ世界主義」を粉砕してやったぜ。